2018年1月9日火曜日

ロックな青春映画10選(3)1962年の夏、君はどこにいた?

1973年公開の映画「アメリカン・グラフィティ」は高校を卒業しそれぞれ
の旅立ちを控えた若者たちの一夜を追う、いわゆるワンナイトもの。
ほろ苦くも甘いエピソードが落書き(グラフィティ)のように描かれる。

ジョージ・ルーカス監督・脚本の2作目で彼の出世作となった。
舞台はカリフォルニア州北部の地方都市モデスト。(1)
ルーカス自身が育った街であり、彼の青春時代がモチーフになっている。

当時は無名だったリチャード・ドレイファス、ハリソン・フォード、ロン・
ハワード、チャールズ・マーティン・スミスなど後のアメリカ映画を代表
する大スター・売れっ子監督が出演している。



↑写真をクリックすると映画のトレーラーが観られます。



<映画のあらすじ>

1962年夏の一夜、高校を卒業した4人を軸に物語は展開する。

カート(リチャード・ドレイファス)は東部の大学に入るため明日出発する。
迷いや未練があるのか夜のモデストの街を彷徨い、不良に絡まれる。



スティーヴ(ロン・ハワード)(2)は優等生の学級委員。
やはり他の地域の大学進学を予定しているが、恋人のローリーを残して街を
去ることをためらっている。

ローリー(3)は高校で主席のチアリーダーを務める人気の女の子。
スティーヴと離れるのが不安でたまらない。



イケてないトード(チャーリー・マーチン・スミス)はスティーヴの車、シ
ボレー・インパラを借りて意気揚々。
遊び慣れたおバカ系キャラのかわいい女の子デビーをナンパ。
酒の調達に苦労して、なんとかセックスにこぎつけたい一心だ。





走り屋のジョン(ポール・ル・マット)は街を流しているうちに、子供のよ
うなポニーテイルの女の子を乗せるはめに。


彼らより年上で大胆無敵なカーレーサー、ボブ(ハリソン・フォード)(4)
はジョンにレースを挑もうと町中探し回る。
スティーヴと口喧嘩したローリーはそのボブの車に同乗していた。




夜明け前にレースはスタート。
ボブの車は横転。ボブとローリーは危機一髪で脱出。
取り乱した彼女をスティーヴは抱きしめ、進学をやめ街に残ることを約束。


一方カートは信号待ちの時、白いティーバード(5)に乗ったブロンドの美女から
微笑まれ、何かことばをかけられる。






一目惚れしたカートは一晩中、その美女を探すが見つからない。

カートは地元のラジオ局に赴き、DJウルフマン・ジャック(本人)(6)にティ
ーバード美女へのメッセージを流してもらうよう頼む。




公衆電話のブースで電話がかかってくることを祈りながら彼は眠ってしまう。

朝、電話のなる音で目を覚ましたカート。あの憧れのブロンドの美女からだ。
彼女は今晩会わないかと誘うが、カートは大学に向けて発つ予定だと伝える。




みんなに見送られて、カートを乗せた飛行機は離陸。
窓から眼下の街を見下ろすとあの白いティーバードが走っているのが見えた。


エピローグでは彼らのその後が語られる。
ジョンは飲酒運転の事故に巻き込まれて死亡。トードはベトナム戦争従軍中に
行方不明に。スティーヴはモデストで保険のセールスマンを。カートは作家に
なりカナダで暮らしていた。



<時代背景>

「アメリカン・グラフィティ」が公開された1973年といえば。。。
この前に紹介した「あの頃ペニー・レインと」の時代設定の年だ。

ツェッペリンが全米を席巻し、続くディープパープル、ブラックサバスも
黄金期を迎えハードロック全盛だった頃である。

オールマン・ブラザーズ・バンドがブレイクしサザン・ロックが人気に。
ジェイムス・テイラー、キャロル・キングなどシンガー&ソングライター。
イーグルス、ドゥービーズなどウエストコースト・ロックも台頭してきた。


そんな1973年から一気にタイムスリップして1962年のアメリカへ。
まさに「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の感覚である。



では1962年はどんな時代だったのか?


エルヴィスは1960年の除隊後「G.I.ブルース」「今夜はひとりかい?」
くらいしかヒットを放っていない。
ビーチボーイズはデビューしたてでまだブームになる手前である。

ビートルズはこの年の6月にEMIのオーディションを受け10月にデビュー。
英国で人気に火がつくのは翌1963年で、アメリカで「抱きしめたい」が
1位を獲得しビートルズ旋風が巻き起こるたのは1964年初頭。

つまり1962年の音楽シーンは嵐の前の静けさ的な感じだったのだろう。




ジョン・F・ケネディもまだ暗殺されていない。
キューバ危機はこの年の10月。
ベトナム戦争の泥沼にアメリカが入り込んでいくのもまだ先の話だ。

映画の舞台の1962年夏はまだ平和で豊かで楽しいアメリカである。


映画公開時のキャッチフレーズ(7)Where were you in ’62(1962
年、あなたはどこにいましたか?(8)」は多くのアメリカ人の共感を得た。



<日本公開時の影響>

日本での「アメリカン・グラフィティ」公開は一年遅れの1974年12月。

ロンドンブーツを履いてた友人が髪を撫でつけベースボールジャケット(9)
にLeeのストレートジーンズで遊びに来てびっくりした思い出がある。
「アメリカン・グラフィティ」を見て感化されたらしい。




僕にとってもウッドストック以来のカルチャーショックだった。
1962年のアメリカの高校生はデカいアメ車のベンチシートに彼女を乗せ、
カーラジオからは次々とR&Rやドゥワップ、R&Bが流れてくる。
ドライブインのウエイトレスはローラースケートで注文を取りに来る。


卒業前のダンスパーティーなんてあるんだ!
プロム(10)と呼ばれるらしい。
投票で選ばれたキングとクイーンがみんなの前でチークを踊る。
映画ではスノーボール・ダンスパーティー(11)と言ってた。(夏なのに?)




そしてアイビー・ファッション
ロン・ハワードの水色のギンガムチェックのプルオーバー半袖BDシャツ
にコットンパンツ、ローファーという正統派コーディネート。

リチャード・ドレイファスがマドラスチェックの半袖BDシャツの裾を
アウトしてるのも(今では一般だが)こういうのもアリか?と驚いた。
足元はネイビーのキャンバス地デッキシューズ。

二人ともBDシャツの下のクルーネックTシャツをしっかり見せている。
クルーカットもさりげなくいい感じ。



ロン・ハワードの彼女役のレタード・カーディガンとチェックのスカート、
ネイビーのソックス、白のキャンバス地のスニーカー。

そのどれもが「こなれ感」があってすごく馴染んでいるのだ。
メンズ・クラブで毎号掲載されていた「街のアイビーリーガーズ」みたい
な「アイビーでキメてみました」的な恥ずかしさはまったくない。


前述のダンスパーティーのシーンもそうだ、
プロムは正装が基本だが、映画では田舎街のせいかみんなカジュアル。
体育館の床を痛めないよう靴を脱いで踊るソックホップ・パーティーだ。




日本では1974年頃にはアイビーは過去のものになりつつあり、メンズビ
ギなどデザイナーズブランド流行の兆しが見えり始めていた。

しかし、そうした流行は長くは続かない。
1976年にはサーファーがもてはやされ、アメリカン・キャンパスカジュ
アルへの回帰が始まった。


ビームスが原宿で開業したのが、この映画公開の2年後の1976年。
6坪の店は「カリフォルニアの学生の部屋」をコンセプトにした、西海岸
から直輸入したカジュアル衣料を置いていた。

雑誌「ポパイ」創刊も1976年。
西海岸やハワイの学生のライフスタイルやファッションを紹介。
1960年代にVANジャケットが流行らせたアイビーよりもルーズでハズシ
を取り入れたプレッピースタイルが注目されるようになる。


アイビーだけではない。
映画に登場すっる不良たちのロカビリーっぽい服装も注目された。

ダックテイル、ジーンズ、ポニーテイル、落下傘(フレア)スカート。



原宿〜渋谷にはシカゴ、サンタモニカ、ハリウッドランチマーケット、
スタークラブ、バックドロップ、クリームソーダ、ピンクドラゴンなど
古着やオールディーズ・ファッションを扱う店が出現した。



<サウンドトラックは珠玉のオールディーズ集>

当時ラジオでよくかかったヒット曲、現在ではオールディーズと称される
楽曲が全編に散りばめられる。
使用された41曲はすべてルーカス本人の好みで選ばれたらしい。
サウンドトラックだけでも楽しめるコンピレーション・アルバムだ。


「アメリカン・グラフィティ」で流れた曲の数々は1974年時点でまだ
10代だった僕はリアルタイムで聴いた記憶がない。
ハードロックやプログレで慣れた耳にオールディズは新鮮だった。
原体験がないのになぜか懐かしい。古き良き時代のアメリカへの憧憬。



印象的だったのは冒頭のシーン。
ビル・ヘイリー&ザ・コメッツの「Rock Around the Clock」が流れ、
夕刻のメルズ・ドライブイン(12)に若者たちが次々と集まる。



↑写真をクリックすると映画のオープニングが観られます。


スティーヴは白の1958年製シボレー・インパラ(13)の横に佇んでいる。
ベスパに乗ったトードが現れるが、止まり切らずに壁に激突(笑)(14)
カートはシトロエンの2CV。(15)不調なのか軽く蹴りを入れている。

ローリーは水色の1958年製エドセル・コルセア(16)で登場。
ジョンはホットロッド仕様にカスタマイズされた黄色の1932年製フォ
ード・デュースクーペ。(17)


もう一つはスノーボール・ダンスパーティーでスティーヴとローリーが
みんなの前でチークを踊るシーン。
投票の結果クイーン(映画ではジュリエットと呼んでいる?)はローリーと
発表され、体育館の隅で口喧嘩をしていた二人にスポットライトが当たる。


プラターズの「Smoke Gets In Your Eyes」が流れ、二人はとりつくろい
がら中央に進み出て踊るが、まだ小声で言い争っている。
ローリーはスティーヴの肩に顔を埋め涙を流す。この心理描写が絶妙だ。


↑写真をクリックするとスノーボールダンスのシーンが観られます。



他にもバディ・ホリーの「That’ll Be The Day」「maybe baby」、
デル・シャノンの「Runaway」、プラターズの「Only You」、
チャック・ベリー「Johnny B. Goode」などが全編に流れる。

1962年夏のヒット曲、フォーシーズンズの「Sherry」は入っていない。
エルヴィスが1曲も使用されなかったのは著作権の問題だろうか。
前年の1961年にヒットした「Are You Lonesome Tonight?」なんかは
いい感じだと思うのだが。


これだけ多くのヒット曲が映画に使用された前例はなく、配給会社は楽曲
使用料が多額になることを渋っていたそうだ。





長いエンドロール(18)で流れるビーチボーイズの「All Summer Long」
は1964年発売の曲で、本作で描かれる1962年にはまだ登場していない。
ルーカスのお気に入りということで起用されたらしい。
この映画のテーマの最後をしめるにはぴったりの選曲だと思う。

また劇中で流れるビーチボーイズの「Surfin’ Safari」も1962年10月発表
で、1962年の夏にラジオでオンエアされるのは早すぎる。
でも初期のビーチボーイズといえばカリフォルニア、女の子、サーフィン、
ホットロッド(車)だから外せないよね(^^v)


細かい粗捜しついでに言うと、スノーボール・ダンスでバンドのギタリスト
が弾いてるフェンダー・ストラトキャスターはCBSに買収された1965年
以降のラージヘッド・モデルでこの時代にはまだない。

些細なことだけどギター弾きとしてはいささか気になる(笑)
「バック・トゥ・ザ・フューチャー」でもそうだったけど。




とにかくこの映画を見ていると、1962年の夏にカーラジオから流れるオー
ルディーズを聴きながら青春していたような錯覚にとらわれる。


1962年の夏、君はどこにいた?


<脚注>

(1)モデスト
カリフォルニア州北部、サンフランシスコから東に147kmに位置するスタ
ニスラウス郡の都市。人口201,165人(2010年)。
州都サクラメント郡の人口推移502,778人(1960年)→1,347,799人
(2006年)から推測すると、1962年当時のモデストは人口7〜8万人の小
さな街だったのではないかと思われる。


(2)スティーヴ役
スティーヴを演じたロン・ハワードは後に「バックドラフト」「アポロ13 」
「ビューティフル・マインド」「ダ・ヴィンチ・コード」などの監督として
成功するが、俳優でもあり子役のころから多くのテレビドラマや映画に出演。
1974年〜1984年にABCで放送された青春コメディドラマ「ハッピーデイズ」
では主役リッチーを演じているが、まさに「アメリカン・グラフィティ」の
スティーヴそのままのアイビー少年である。


(3)ローリー役
ローリーを演じたシンディ・ウィリアムズはこの後ルーカス監督の「スター
ウォーズ」のレイア姫役のオーディションを受けたが、キャリー・フィッシ
ャーに奪われる。
代わりに人気ドラマ「ラバーン&シャーリー」で主役を務め人気を得た。


(4)ボブ役(ハリソン・フォード)
ハリソン・フォードは役者業がパッとせず生活費のため大工をしていた。
この映画にボブ役で出演したことがきっかけで、ルーカスの次作品「スター
ウォーズ」のハン・ソロ役に抜擢される。


(5)ティーバード
フォード製のスペシャリティーカー、サンダーバードの愛称。(T-Bird)
シボレー・コルベットの対抗馬として「スポーツカーでありながら乗用車
の快適性を合わせ持つ」を売りに1955年に発売された。
映画でブロンド美女が運転しているのは1956年製、初代のクラシックバー
ズで2シーターのスポーツ・クーペ。
後部にポートホールと呼ばれる窓が付いている。


(6)ウルフマン・ジャック
ニューヨーク・ブルックリン出身のラジオDJ。
1962〜1965年にかけメキシコのラジオ局でDJを務めた。
局がアメリカとの国境付近にあり出力が大きかっため全米にリスナーを持つ。
番組や広告もアメリカ側で制作され事実上の海賊放送として機能していた。
ダミ声と犬の遠吠えの声まねがトレードマークでウルフマンを名乗る。
1970〜1986年には米軍放送網・AFNラジオで「ウルフマン・ジャック・
ショー」が放送された。
日本でも当時FENと呼ばれたAFNの日本支局で放送された。

「アメリカン・グラフィティ」ではウルフマン・ジャックの名前でモデスト
のローカル・ラジオ局のDJ役で出演している。
日本でも話題になり、某音響メーカーのラジカセの広告に起用された。


(7)キャッチフレーズ
日本でよく使われるキャッチコピーは和製英語。
英語ではキャッチフレーズ(catchphrase)という言い方が正解。
セールスコピー(sales copy)という言い方もある。
スローガン(slogan)という場合は

印刷媒体の広告で最も目立つ文句がヘッドライン(head line)。
日本ではこれを勘違いしてキャッチコピーと呼んでいることが多い。
これに対しタグライン(tag line)は企業やブランドの特性、消費者や社会に
約束することをわかりやすく伝える簡潔な文章。スローガン(slogan)。
ブランド・ロゴの近くに添えられることが多い。


(8)あなたはどこにいましたか?
Where were you?はどこにいたの?の意味。
ある時点を指して、そのときはあなたはどこにいた?何をしてた?と問う。
Where have you been ? だと、今はここにいるけどそれまでいったいどこへ
行ってたの?と詰問されるようなニュアンスになる。


(9)ベースボールジャケット
スタディアムジャンパーというのは石津謙介氏による和製英語。
アメリカではベースボールジャケットと言わないと通じない。


(10)プロム
プロムとはプロムナード(promenade)、舞踏会の略称。
アメリカやカナダの高校で学年最後に開かれるダンスパーティーのこと。
衣装は基本フォーマル。参加は原則として男女のペア。
パートナーを決めるのは男子が女子を誘うパターンが一般的。

プロムクイーンとプロムキングは学校で一番の女子と男子を決める人気投票。
プロムキングはアメフトやバスケのヒーローか優等生、プロムクイーンはチア
リーダーの目立つ女子が選ばれることが多い。


(11)スノーボールダンス
プロムとは別の冬のダンスパーティーで女子が男子を誘うと聞いたがある。
「アメリカン・グラフィティ」ではあえて卒業時にスノーボールダンスにした
のだろうか?
だとすると選ばれたクイーンのローリーだけ発表されて、ローリーが口喧嘩
してスティーヴを「さあ(Come on)」と促すのも理解できる。
スティーヴは「何が(Come on what?)」と返しローリーに嗜められる。

またWikipedia (English) によるとスノーボールダンスとは。。。。
音楽がスタートすると少数の人たちが中央で輪を描くように踊り始める。
「snowball」のかけ声で踊り手が新しいパートナーのもとへと移動。
ダンスの輪は周囲の人たちを巻き込み、雪だるま(スノー ボール)のように
大きくなり、最後には全員がフロアで踊る。
アメリカでは高校の体育館で行う伝統的なパーティーだったようだ。


(12)メルズ・ドライブイン
サンフランシスコに実在したドライブイン。
当時既に閉店していたが映画撮影のために再度開店させた。
店は撮影終了後に取り壊されている。


(13)1958年製シボレー・インパラ
1958年型シボレーの最上級車種ベルエアのスポーツパッケージ仕様。
フルサイズの2ドアハードトップクーペ。
スティーヴは裕福な家庭の子だったようだ。


(14)ベスパに乗ったトードが壁に激突
演じているスミスがコントロールできなくなって壁に激突してしまった。
ルーカスは撮影中のアクシデントやアドリブもカットせずに使用。
役者たちは本来NGなのにやり直しさせてもらえなかったと語っている。
またルーカスは撮影のすべてを物語の順番通りに行ったそうだ。
撮影が進むにつれて増す俳優たちの疲れが、夜明けが近づくにつれて疲れて
くる登場人物たちの姿に重なるようにするためである。


(15)シトロエン2CV
フランスのシトロエンが1948年に発表した前輪駆動方式の大衆車。
簡潔軽量な構造で非力ではあるが優れた走行性能と居住性、経済性を実現。
ユーモラスなスタイルが親しまれ、フランスの国民車として普及。
世界中に広まりフランス文化のアイコンの一つにまでなった。
2CVはフランスでは「ドゥシュヴォ」(deux chevaux )と呼ばれる。
1990年までの42年間大きなモデルチェンジもなく387万台製造された。


(16)1958年製エドセル・コルセア
エドセル(Edsel )はフォードが1957年に立ち上げた独立部門のブランド。
高級車マーキュリーと大衆車フォードの中間の価格帯の車種が欠けていた
ため、GMのポンティアックやオールズモビルなどに対抗すべく導入された。
しかしフォードの思惑は外れ、販売不振でわずか3年で撤退した。
ローリーの車は1958年のイヤーモデルの一つ、4ドア・ハードトップのコル
セアだと思われる。


(17)1932年製フォード・デュースクーペ
正式名称はフォード・モデルB・クーペ。
T型フォードに代わり登場したモデルで1932年のみ生産された。
当時時の最先端技術であったV型8気筒エンジンが搭載されこと、1年限り
でモデルCへ移行したため希少性が高く、ホットロッド・ファンの間では
神格化され現在でも圧倒的な人気を誇っている。


(18)長いエンドロール
低予算で製作されため、ルーカスはクルーの全員に給料を払えず、代わり
に映画のエンドクレジットに名前を載せることを提案。
多くのクルーたちがこれを承諾。
現在スタンダードとなった製作陣全員の名前が載った長いエンドロールの
伝統はこの映画から始まったのだ。


<参考資料:LUCAS FILM LTD.、ROCKABEAT.NET、TAP the POP、
13 Nostalgic Facts About 'American Graffiti' 、THE FASHION POST、
ciatr、Wikipedia他>

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