2019年10月1日火曜日

ヨット・ロックは大嫌いだ。

ボズ・スキャッグスのインタビューがローリングストーン誌に載っていた。
彼はシルク・ディグリーズに代表される自身の1970年代後半のアルバムが
ヨット・ロックと呼ばれることに「ヨット・ロックは大嫌いだ」と答えている。

マイケル・マクドナルドやスティーリー・ダンと同じようにカテゴラズされる
ことが不満なのではなく、ヨット・ロックという呼び方が嫌らしい。



ヨット・ロック。。。はて?そんなジャンル、いつできたのだろう?







最近Apple MusicやSpotifyには「Yacht Rock」というタイトルのプレイリスト
たくさんアップされている。
それらはほとんどが、かつてAORと呼ばれていた曲と重なる

ヨット・ロックという言葉は、2005年〜2010年にアメリカのネットTVチャンネル
101で放送していた「Yacht Rock」という番組から生まれた言葉らしい。




<「Yacht Rock」という番組>

この番組はフェイク・ドキュメンタリーで、架空の音楽評論家、音楽業界人と
実在のミュージシャン(別人がモノマネで演じる)が登場し、名曲の架空の誕生
秘話をでっちあげる、という構成になっている。


たとえば1回目の放送。ヨット・ハーバーに「Yacht Rock」のタイトル。
スティーリー・ダンからドゥービーズに移籍したジェフ・バクスターが、曲が書け
ずに悩む新入りのマイケル・マクドナルドに、ヒット曲を書けといびる。

マイケル・マクドナルドとケニー・ロギンスの共作、What A Fool Believesは
呑んだくれのジム・メッシーナのことを「お前はなんてバカなの」をたしなめる
曲だったとか。けっこう笑える。
ホール&オーツは「フィラデルフィアの汚いストリート出身」とぞんざいな扱い。




↑クリックするとYacht Rock #1が視聴できます。



2回目はまさにヨット・ロックの象徴、クリストファー・クロスのSailingが登場。
(そういえば、この曲辺りからAORにゲンナリし始めたっんだっけ)


他にもポール・サイモン、ドナルド・フェイゲン、ウォルター・ベッカー、マイ
ケル・ジャクソン、ジェフ・ポーカロ、スティーブ・ルカサー、ヒューイ・ルイス、
アル・ジャロウ、テッド・テンプルマンと1970年代から1980年代にかけてヒット
を飛ばしたアーティストやプロデューサーの名前が登場する。

毎回ここまでオチョクるか!と思うようなおバカな、ウソで固められた疑似ドキ
ュメンタリーだが、名曲へのリスペクト、愛情は感じられる。
それと、こういうギャグに鷹揚なのもアメリカならではだ。
サタデー・ナイト・ライブにも通じるパロディー精神が支持されるのだろう。



<ヨット・ロックとは何か?>

ヨット・ロックという言葉は、富裕層が好んで聴く洗練された耳障りのいいAOR
に対する軽い茶化しで使われていたのではないかと思う。


もはやハングリーではなく、スピリットも失われビジネス化したロック。
高級なレコーディング・スタジオ、陽光に恵まれた海とプライベート・ヨット。
当時の南カリフォルニアでは定番の華やかな快楽主義のライフ・スタイルである。







リスナーも成熟した音楽を聴くと、あか抜けたリッチな気分になれたのだ。
「Yacht Rock」はそんなライフスタイルをパロディにした番組だ。

番組ではヨット・ロックとは「1976年から1984年にかけてヒット・チャートを
席巻したスムーズな音楽」と紹介している。
まさに、かつてAORともてはやされた大人の鑑賞に耐えうる洗練された、かつ
成熟した都市型ロックとかぶる



<AORとは何か?>

AORという言葉についてはいくつか解釈がある。
1970年代〜1980年代初め米国でAudio-Oriented Rockという言葉が使われた。
音を重視するロック」という点でラウドなロックとは一線を画し、クロスオー
バー(後のフュージョン)・サウンドと大人向けのボーカルが特徴である。

その後シングルチャートではなくアルバム全体としての完成度を重視したロックを
Album-Oriented Rockと呼ぶようになる。



大瀧詠一のジャケットでお馴染みの永井博のイラストは日本のAORの象徴だった。



日本ではレコード業界の勘違いAdult-Oriented Rock(大人向けロック)
と勝手に解釈され、それが浸透していた。
Adult-Orientedってなんか隠微な響きが。。。いや、やめておこう(笑)



<AORの立役者たち>

ボズ・スキャッグスボビー・コールドウェルクリストファー・クロスはAOR
の代表的な存在と言える。


そしてウエストコースト・ロックの雄、ドゥービーズがマイケル・マクドナルド
加入後に放ったWhat A Fool BelievesもAORのアイコンといえるだろう。

数多くのパクリも生まれた。
ロビー・デュプリーのSteal Away、ポインター・シスターズのHe’s So Shine。
松任谷由実の「灼けたアイドル」もそうではないかと思う。

ついでに言うと松任谷由実の「ノーサイド」のイントロはクリストファー・クロス
ニューヨークシティ・セレナーデによく似ている。







スティーヴン・ビショップ、ニック・デカロ、ピーター・アレン、ビル・ラバウン
ティ、ルパート・ホームズ、ポール・デイヴィスなどのシンガー&ソングライター。

東海岸のドナルド・フェイゲン(スティーリー・ダン)、マイケル・フランクス、
ビリー・ジョエルもAORには忘れてはならない立役者だ。

ウエストコースト・ロックで活躍していたJ・D・サウザー、カーラ・ボノフ、ネッ
ド・ドヒニー、ジェームス・テイラー、ジム・メッシーナ、ケニー・ロギンス、
ヴァレリー・カーターもこの時期、AORのシンガーとして名前が挙がる。



AORの特徴は「爽やかでリッチな気分に浸れる大人のロック」と言えるが、その
成り立ちのキーワードとして「転向」「融合」「裏方の台頭」が挙げられる。



<転向>

冒頭のボズ・スキャッグスはスティーヴ・ミラー・バンドに在籍後、ソロになり
ソウル、R&B色の強い泥臭いブルージーな曲を歌っていた。
1970年代後半デヴィッド・ペイチやデヴィッド・フォスターに出会うことで、
ソフトでジャジーでメロウなポップスへと舵を切ることになる。

しかし彼の音楽の底流は変わらない。
クールな音をまとっているが、ブルーアイド・ソウル(白人ソウル)なのだ。







ボビー・コールドウェルもやはりブルーアイド・ソウル(白人ソウル)だ。
デビュー時は白人であることを伏せて黒人チャートでヒットした話は有名だ。


そう、創世記のAORは白人のソフィスティケイテッド・ソウルだったのだ。



元来ワイルドなバンドだったドゥービーズは、マイケル・マクドナルドの加入(同時
にトム・ジョンストンの脱退)で土臭さを一掃。
ジャジーなキーボード主体の都会型ポップ・ロックに大変身してしまった。


ブラス・ロックから転向したシカゴはデヴィッド・フォスターに作曲とプロデュース
を委ね、Hard to Say I'm Sorryをヒットさせる。
その後もビル・チャンプリンが加入し、さらにAOR色を強めた。

ジェイムス・テイラーのバック・バンドだったザ・セクションは1972年という早い
時期からクロスオーバーへのアプローチを試みていた。
ジェイムス・テイラー自身もR&Bやカントリーから、テンション・コードを多用
したより深みのあるロックへと変化して行っている。



<裏方の台頭>

デヴィッド・フォスターは本来、作曲家・アレンジャー・プロデューサーであった。
TOTOやリー・リトナー、ラリー・カールトン、デイヴ・グルーシン、スタッフも
スタジオ・ミュージシャンである。

こうした裏方たちが注目され、全面に出るようになったのがこの時期の特徴だ。
アルバムにはプロデューサーと参加ミュージシャンがクレジットされるようになり、
耳の肥えたファンはそれを保証マークとしてレコードを買う。





ボズのバック・バンドから派生したTOTO、ジェイ・グレイドンとデヴィッド・フォ
スターのユニットであるエプレイは、AORサウンドの雛形となった。
スティーヴ・ルカサー、ジェフ・ポーカロ、そしてスタッフのスティーヴ・ガット
などは引っ張りだこだった。

トミー・リピューマ、アリフ・マーディン、デイヴ・グルーシン、デヴィッド・フォ
スターは売れっ子プロデューサーとして君臨していた。



<融合>

フュージョンのインストゥルメンタルもブームになった。
ボブ・ジェイムス、アール・クルー、リー・リトナー、ラリー・カールトン、スパ
イロ・ジャイラ、スタッフ、ジョージ・ベンソン、英国のシャカタクなど。






フュージョン自体が当初はクロスオーバーと呼ばれ、ロックとジャズの融合である。
ほとんどジャズ畑だが、ロックやR&Bからのアプローチもあった。


ロック・バンドはボーカルが伴うが、ジャズ・ミュージシャンは通常は歌わない。
ジョージ・ベンソンは演奏だけでなく歌える点が強みとなり、ヒットを生んだ。

またリー・リトナーがボーカルを招いてヒットした成功例に倣い、フュージョン界
では1曲ゲスト・ボーカルに歌わせればアルバムは売れる、という認識が広まる。



AORサウンドはブラック・ミュージックにも波及し、ブラック・コンテンポラリー
と呼ばれるようになった。

チャカ・カーン、ジェイムス・イングラム、ホイットニー・ヒューストン、シック、
アニタ・ベイカー、アース・ウィンド&ファイアー、パトリース・ラッシェン、
レイ・パーカーJr.、カール・カールトン、ビリー・オーシャン、シェリル・リン。







そして日本のロック、ポップスもAORの余波を受けた
寺尾聡のReflectionsは日本を代表するAORといっても差し障りないだろう。
山下達郎、竹内まりや、大瀧詠一、角松敏生、南佳孝、山本達彦、稲垣潤一も
和製AORを牽引したシンガー・ソング&ライターだ。



<AORの衰退>

1976年〜1979年AOR、フュージョン創世記は数多くの名盤が生まれた。
ジャズ、ロックからいろいろなミュージシャンが参入し、まさに融合であった。
その科学反応が面白かった新しい音楽が生まれている息吹が感じられる。
新譜を買うたびにワクワクした。



しかし1980年に入るとAORは定型化してしまう。

同じ顔ぶれのミュージシャン、プロデューサー、同じサウンド。変わり映えしない。
ストラトのハーフトーンの16ビート・カッティング、スラップベース(チョッパー)。
コーラスやフランジャーなどのエフェクトも使いすぎ。シンセも鼻につく。


都会的でオシャレなイメージにもいいかげん飽きてしまう
カフェバー遊びに疲れたのと同じだ。ヨットでぎっしりの海なんて行きたくない。








よくAORの代表として挙げられるクリストファー・クロスがデビューした時は、
既に僕自身はもう食傷気味だった。

1984年レコード会社から、これは売れますよとジョン・オバニオンのサンプル盤を
聴かせられた時は、そのナヨッとした線の細い声とお約束AORサウンドに、世も末
だと思ったものだ。

もういやだ、お腹いっぱいNo More AOR ! 



TOTOにしても僕が好きだったのは1978年のデビュー時だけで、Rosanna、Africa
のヒットを放った1982年には好きではなくなっていた。

ドゥービーズも1980年のOne Step Closerは完全にマイケル・マクドナルド支配下で、
原型をとどめない腑抜けのバンドに思えた。ロックはどこに行った?



演奏スタイルやアレンジのせいなのか、レコーディング技術のせいなのか分からない
が、1980年以前のロックは音に「間」があった気がする。
誇張していうなら、適度なスカスカ感、ゆるさがあり、それが心地よかったのだ。




シェリル・クロウのスタジオ。
1970年代の音を再現するため、ヴィンテージ機材、スタジオの空気感にこだわる。



確かフーターズの誰かの言葉だったと記憶しているが、音楽は音と音の隙間が大事、
それがないと呼吸できなくなってしまう、と言ってたっけ。激しく同意。


後期AORはソリッドな音が隙間なくビッシリ詰まっていて、聴いてて疲れる
演奏レベルは高い。が、もはや誰が何を歌おうとみんな同じ。

1980年代半ばに華やかなAORは消えていく。過去の音楽となった。




<AORの復権はあるのか>

最近AORの名盤が紹介されたり、特集が組まれることもある。
1980年代にどっぷり浸かってた世代が、そろそろリタイアの時期に入り、やっぱり
懐かしいな〜いいな〜と思うのか。
カセットテープの再評価なんかもエアチェック世代の心の琴線に触れるのか。

確かにいい曲はあった。名盤もあった。一時代を築いたと思う。
でも若い世代は、それをオールディーズとしては聴かないような気がする。


最近クルマのCMで使われる曲で、あれ?AORっぽい?と思うような曲がある
その一つ、サチモスという日本のバンドはネオ・ソウルやブラックミュージック、
ヒップホップの影響を受けているとか。

ボズ・スキャッグスやボビー・コールドウェルのブルーアイド・ソウルの現代版
ノリと言えなくもない。
AORという恐竜は絶滅したけど鳥に進化して多様化している、みたいな?




↑クリックするとサチモスのStay Tuneが視聴できます。


<参考資料:Rolling Stone Japan、discovermusic.jp、note JAZZ CITY、
Wikipedia、YouTube、レコードコレクターズ>

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