2020年2月8日土曜日

ヒュー・パジャムのゲートリバーブがロックを席巻した時代。

国外逃亡した誰かさんのせいでPA機材のチェックが厳しくなったとか(笑)



というわけで(?)今回はサウンドのお話。

一つ前のクリーム再結成の記事で触れたゲートリバーブについて深掘りしたい。


なにしろ1980年代のロック界を一世風靡したサウンドである。
猫も杓子もゲートリバーブみたいな勢いで、あれれ!この人までと驚くくらい。
英国で生まれたゲートリバーは世界中に大流行した。(1)



では、ゲートリバーブとは何か?

深めにかけたリバーブ(残響音)をノイズゲート回路を通して、意図的に残響の
途中でスパッと大胆に切り落とすエフェクトの手法のこと。

残響音の減衰時間が極端に短く、強制的に終了する。
その結果、強いアタック感が得られる。





スネアドラムにかけることが多い。バシッ!バシッ!と強調された音になる。


言葉で表現するなら。。。

通常のスネアの音 → タン
リバーブをかけた音 → スターーン
ゲートリバーブを通した音 → ズタンッ!

こんな感じだろうか。





初期のころはゲートエコーと呼ばれていたが、英語表記のGated Reverbに合わせて
ゲートリバーブと呼ばれるようになった。


英国のプロデューサー/エンジニア、ヒュー・パジャム(2)がピーター・ガブリエルの
3枚目のソロ・アルバム(1980)製作時に、フィル・コリンズと共にこのサウンドを
生み出した。(3)



↑クリックするとゲートリバーブの解説が見られます。なかなかおもしろいです。
(昨今のDTMソフトにはゲートリバーブが入ってて誰でも簡単に使える)



以降パジャムはピーター・ガブリエル、フィル・コリンズなどジェネシス一派
プロデュースを手がけことになる。

ヒュー・パジャムが名を馳せるようになったのはフィル・コリンズのソロ・ アルバム
Face Value(1981)とシングルカットされたIn The Air Tonight (夜の囁き)だろう。



ゲートリバーブは瞬く間に業界中に飛び火して、最先端のエフェクト処理として
ミキシング現場ではもてはやされることになった。

No Jacket Required(1985)ではローランド製のドラム・マシーンとフィル・コリ
ンズのドラムをミックスさせゲートリバーブ処理を施すという先進的手法を試みる。
当時のミキシング・エンジニアに対して与えた影響は大きかった。



クリックするとフィル・コリンズのInside Out が聴けます。


ヒュー・パジャムはXTCのレコーディングにも関わっている。
アルバムBlack Sea(1980)ではチーフ・エンジニアとしてゲートリバーブ処理を行う。
(ピーター・ガブリエル3と同時期)

アルバムEnglish Settlement(1982)ではプロデューサー/エンジニアとして参加。
収録曲のBall and Chainでは、ドラムスのアンビエンス(空間音)用マイクで拾っ
た音をSSL社製ミキシング・コンソール内蔵のリミッター回路を通し、大胆なドラム
・サウンドを作り出している。
※この手法は後にパワーステーションも行っている(後述)



クリックするとXTCのBall And Chainが聴けます。


ポリスのプロデュースもアルバムGhost in the Machine(1981)から行う。
5枚目の出世作Synchronicityでもパジャムのゲートリバーブ処理が聴ける。
またスティングのソロ作品でも貢献している。


ポール・マッカートニーもPress To Play(1986)で、ヒュー・パジャムを共同プロ
デューサーに迎えている。

ゲートリバーブ以外にも、ロングディレイやロングリバーブなど、様々なミキシング・
テクニックが聴ける作品である。
ど派手なサウンドはポールっぽくないと不評だったが(4)今聴くと悪くないと思う。



クリックするとポールのPressが聴けます。典型的なヒュー・パジャム・サウンド。


ヒュー・パジャムは後にポールの音作り、ミキシングは意外と大雑把だった、と
語っている。

↑ポールが描いたミックスのイメージ図。


この他にもホール&オーツのH2O(1982)、デヴィッド・ボウイのTonight(1984)、
チャカ・カーンのDestiny(1986)、ヒューマン・リーグ、ハワード・ジョーンズ、
ポール・ヤングなど、1980年代のMTV全盛期の音楽の多くにヒュー・パジャムの
ゲートリバーブ・サウンドが貢献している



そして前回ちょっと触れたクラプトンのBehind the Sun(1985)。
それまでの南部、ブルース色が後退し、ポップな音作りになった。(5)

ヒュー・パジャムではないが、フィル・コリンズをプロデューサーに迎え、
彼自身がドラムを叩き、ゲートリバーブ処理をしている。





しかしゲートリバーブのビシバシとい強烈なドラム・サウンドも、ずっと聴いて
いると食傷気味で疲れるのも事実だ。
今や1980年代の過去の遺物という感もまぬがれない。あ〜流行ったよね〜的な。



最後に今、聴いてもカッコいい!と思える強烈なサウンドを紹介しよう。

パワー・ステーションが1985年にリリースしたSome Like It Hotという曲。
このドラムから入るイントロはボディーブローみたいなドスンと来る迫力だ!



クリックするとパワー・ステーションのSome Like It Hotが聴けます。


パワー・ステーションはデュラン・デュランのアンディー・テイラー(g)とジョン・
テイラー(b)+シックのトニー・トンプソン(ds)、ロバート・パーマー(vo)、
プロデューサーはシックのバーナード・エドワーズ、という豪華なユニットだ。


もともとデュラン・デュランでアンディーが目指したサウンドはファンクとハード
ロックの融合であったという。(1st.アルバムを聴くとそれが分かる)

しかし、だんだん商業主義的なビジュアル系のアイドル・グループになって行った
ため、アンディーがジョンを誘って新しいプロジェクトを始めることになった。


ファンクの要としてシック(6)のリズム・セクション、ベースのバーナード・エド
ーズとドラムのトニー・トンプソンに声をかけた。

トニー・トンプソンは黒人だがファンクだけでなく、縦ノリのハードロックのビート
も叩けるドラマーである。



バーナード・エドワーズはプロデュースに回ったが、アンディーによるとレコーディ
ングではベースはジョンではなくバーナード・エドワーズが弾いたという説もある。
(スラップベース(チョッパー)の巧さを聴くと確かに。。。という気もするが)

ボーカルはアンディーがファンだったロバート・パーマーに依頼した。
ロバート・パーマーは英国人のブルー・アイド・ソウル(白人のR&B)シンガーで、
イタリア仕立てのスーツを粋に着こなす洒落者である。


バンド名はアルバムのレコーディングで使用したニューヨークのザ・パワー・ステー
ション・スタジオに由来している。
アルバムを1枚残しただけだが圧倒的なパワー感は今も語り草になっている。






ロバート・パーマーのソウルフルなボーカルや、ハードなファンク・サウンドもさる
ことながら、このバンドの魅力は空間処理を取り入れた大胆な音作りにある。


トニー・トンプソンのドラムはかなり広い部屋で演奏し、残響音ごと録音したらしい。
(この手法はツェッペリンでボンゾもやっている)


その残響音にゲートリバーブ処理をしてるわけだが、ヒュー・パジャムのようなノイズ
ゲートを使用した受動的な処理ではなく、SSL社のコンピューター・オートメーション
でリバーブに対して細かくデータを書き込む能動的なノイズゲート処理をしている
という点が違う。


機械的にリバーブ成分をカットした音と比べると、テンポに合わせて任意のタイミング
でリバーブ成分がカットされているため、不自然さのない、それでいて迫力のあるサウ
ンドになっていているのだ。




ヒュー・パジャムが考案したゲートリバーブの新たな解釈、進化系である。
パワー・ステーション・スタジオのエンジニア、ジェイソン・カーサロが編み出した。
この音処理方法は後にパワー・ステーション・サウンドと呼ばれるようになった。


それにしてもカッコいいなあ。オマケにもう1曲、聴いてください。



クリックするとパワー・ステーションのGet It On (Bang A Gong)が聴けます。
T-REXとは違った解釈でオリジナルを凌駕する傑作に仕上がってます。


1985年の夏、1ヶ月LA滞在中に毎日フリーウェイで聴くカーラジオからこの曲が
ヘビロテで流れてたっけ。。。(遠い目)

ロバート・パーマーもトニー・トンプソンもバーナード・エドワーズも、エンジニア
のジェイソン・カーサロも既に死去。いい仕事をしてくれました。


<脚注>


(1)ゲートリバーブが世界中に大流行
日本で一番最初にゲートリバーブを取り入れたのは吉川晃司らしい。


(2)ヒュー・パジャム
Hugh Padgham(英語の発音はパドゥガムと聞こえる)
イギリス出身のプロデューサー/ エンジニア。
XTC、ピーター・ガブリエル、フィル・コリンズらのレコーディングを手がける。
1980年代ブリティッシュ・ポップで一世を風靡したゲーテッド・リバーブ・サウンド
を創始した人物として知られる。グラミーなど多くの賞を受賞。
1992年にはMix誌上の「最も影響力のあるプロデューサー・トップ 10」に選ばれた。


(3)ゲートリバーブ処理が始まった時期
これ以前にYMOやYESでも似たようなエフェクトが取り入れられていたらしい。
※ヒュー・パジャムは1970年代後半、YESやELPのアシスタント・エンジニアを務めて
いたので、YESはその実験の場だった可能性もある。


(4)ポールの低迷期
思えば1980年代はポールにとって苦難続きだった。
1980年1月ウイングス公演で初来日した際、大麻不法所持でまさかの逮捕劇。
宅録作品、McCartney IIはテクノなど実験的な内容だがパッとしない内容。
ジョン・レノン射殺にショックを受け活動を中止。
翌年デニー・レインの脱退表明によってウイングスは解散。

Tug of War(1982)、Pipes of Peace(1983)は再びジョージ・マーティンにプロデュ
ースを依頼、それぞれスティービー・ワンダー、マイケル・ジャクソンをゲストに迎え、
ポール復活を印象づけた。
が、映画のOST盤Give My Regard To Broad Street (1984)は過去の作品のカヴァ
ばかりで、ミュージシャンが豪華なわりには残念な内容(映画もつまらない)。

で、Press To Play(1986)も低評価。
フィル・ラモーンのプロデュースによるReturn to Pepperlandはお蔵入り。
Снова в СССР(1988)はソ連限定のR&Rカヴァー集で新鮮味はない。
コステロとのコラボを含むFlowers In The Dirt(1989)で本領発揮。
この年からワールド・ツアーを行うようになる。


(5)クラプトンのBehind the Sunのサウンド。
参加ミュージシャンはドナルド・ダック・ダン(b)、クリス・スティントン(p)、
マーシー・レヴィ(vo)など旧クラプトン・バンドの常連がいるかと思えば、
TOTOのスティーヴ・ルカサー(g)、ジェフ・ポーカロ(ds)、この後長く組むこと
になるネイザン・イースト(b)、グレッグ・フィリンゲインズ(kb)が混在している。
全体的に新しい音にまとまっているのは、やはりフィル・コリンズの力だろう。

同年7月に開催されたライヴ・エイドにクラプトンは旧メンバーを率いて出演。
この時クラプトンは自分のバンドの音が古いと感じたのではないか。
翌1986年のツアーではフィル・コリンズ(ds)、ネイザン・イースト(b)、グレッグ・
フィリンゲインズ(kb)の4ピース・バンド編成にした。


(6)シック(Chic)
(英語の発音はシィークに近い)
1977年にデビューしたアメリカのファンク、ディスコ・バンド。
中心メンバーはギターのナイル・ロジャースとベースのバーナード・エドワーズ。
1970年代後半のディスコ・ブームを牽引したが、演奏レベルが極めて高いことから
ファンキーなフュージョン・バンドとしても認められていた。



<参考資料:DTM用語辞典、ベストヒットUSA、ザ・カセットテープ・ミュージック、
g200kg偏ったDTM用語辞典、島村楽器 Digiland、Wikipedia、YouTube、他>

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