2020年1月24日金曜日

クリーム再結成(1993年/2005年)は感動的だった。

<クリーム解散後のクラプトン>

クリーム解散後、クラプトンはスティーヴ・ウィンウッドやベイカーらとブラインド
・フェイスを結成。
アルバムBlind Faith(1969 邦題はスーパー・ジャイアンツ)を残して解散した。

この頃のライブで再びテレキャスター(サンバースト、ホワイト・バインディング、
ストラトのメイプル・ネックに交換)を弾いている。アンプはマーシャル。


新天地を求めてアメリカに渡り、南部のサザンロックに影響を受けたクラプトンは
デレク&ザ・ドミノスを結成。(1970年)ストラトキャスターのハーフトンで演奏。
デュアン・オールマンを迎えLayla and Other Assorted Love Songsを録音した。
翌年メンバー間の不和が表面化し、2枚目のアルバム製作中に口論となり解散。

クラプトンはデュアンやジミ・ヘンドリックスの相次ぐ死で精神を病み、ドラッグ
に溺れ暫く音楽活動から遠ざかるが、1973年のレインボウ・コンサートで復帰。





1974年には名盤461 Ocean Boulevardを発表。
レゲエ、スワンプなどを取り入れ、レイドバックという新境地を確立する。

クリーム時代の攻撃的なプレイを期待したファンは最初は戸惑ったが、ストラト
キャスターのハーフトーンを多用したレイドバック・サウンド、しだいに渋みを
増してきたボーカル、ソングライティング力の評価は高まった。

以降10年ほどはライブでクリーム時代の曲を演奏していない
が、Badgeだけは定番曲として取り上げている。
ジョージ・ハリソンとの共作で自らが歌った曲だから例外ということか。 


1985年発表のBehind the Sunはフィル・コリンズをプロデューサーに起用し、
ポップな音作りを指向。

この後、長くクラプトンをサポートすることになるネイザン・イースト(b)と
グレッグ・フィリンゲインズ(kb)初参加アルバムとなるが、旧メンバーも混在。
ライブではドナルド・ダック・ダンなど旧メンバーがバックを務めていた。




↑1985年ライブ・エイド出演時。ドナルド・ダック・ダン、フィル・コリンズも参加。
これがブラッキー(1957ストラト)+マーシャルの見納めになる。



翌1986年夏のツアーではメンバーを一新し、フィル・コリンズ(ds)、ネイザン・
イースト(b)、グレッグ・フィリンゲインズ(kb)との4ピース・バンド編成に。
ゲートリバーブ(1)バリライト(2)を駆使したハイテク・クラプトン期だ。

クリーム解散後初めて、White Room、Sunshine Of Your Love、
Crossroadsをライブで演奏しファンを熱狂させる。





ブルースの原点に立ち返るFrom the Cradle(1994)で自分探しの旅?をした後、
MTVアンプラグドで放送されたUnplugged(1992)が全米1位、グラミー賞受賞。
アコースティック・ギター人気の再燃、1990年代前半のアンプラグド・ブーム
のきっかけとなった。



着実に地位を築いていったクラウトンに対して、ジャック・ブルースやジンジ
ャー・ベイカーのその後あまり華々しい活動はなかった。

ジャック・ブルースはジョン・ポール・ジョーンズからツェッペリンへの加入
を打診されていたが、自身のバンドの活動のため断ったという。
ジョンジーはキーボードに専念したい意向があったらしい。
(断ってくれたのは正解。 Zepはあの4人で完成形だと思う)



↑1972年にマウンテン解散後のレスリー・ウエストと組んでたこともあるようだ。


↑1989年にブルース、ベイカーとの顔合わせもあったらしい。(ブートのジャケ写)



<クリームのロック殿堂入りと一夜限りの再結成>

1993年クリームはロックの殿堂入り(The Rock and Roll Hall of Fame)を果
たし、その場限りの再結成として3曲を演奏した。
(Sunshine of Your Love、Crossroads、Born Under a Bad Sign)





クラプトンは1986年から使い始めたレースセンサー・ピックアップ(3)搭載のスト
ラトキャスター(シグネチャー・モデル)を弾いている。

アンプはソルダーノSLO100真空管ヘッドアンプ+キャビネット。
クランチ(軽い歪み)に定評があり、ドライブ・サウンドはシングルコイル/
ハムバッカー問わず対応可能である。

前年のボブ・ディラン・デビュー30周年トリビュート・コンサート出演時と同じ、
短髪にアルマーニの黒いスーツという装いがキマっている。





ジャック・ブルースはワーウィックのシグネチャーモデルを使用。
フレッテッドとフレットレスがあるが、この日はフレットレスを使用していた。

ボディはブビンガ、指板はエボニー、ネックはウェンジとブビンガのラミネイト
構造で、ピックアップはセイモアダンカン製3バンドのアクティブサーキットが
搭載されている。

ブルースの使用アンプは特定できないがハートキー(HARTKE)と推測される。

ジンジャー・ベイカーはラディックのブラックのセットを使用しているようだ。
2バスドラ、4タムのセッティングもクリーム現役時代と同じだ。
シンバル類はジルジャンだと思われる。



↑クリックすると1993年再結成時のSunshine of Your Loveが観られます。


25年ぶりのクリームの演奏を終えたクラプトンは「感動した」と言っている。
否定し続けてきたクリーム再結成についても「考えている。が、こういうことは
急ぎたくない。じっくり考えたい」とも述べた。



そして再結成が実現したのは、それから12年後であった。

招集をかけたのはクラプトンである。
「多くのバンドがオリジナル・メンバーが揃わなくなってきている中、僕たちは
幸い3人ともまだ生きている。やるべきだと思った」と言っていた。


2005年にクリームの再結成ライブが5月2、4、5、6日の4日間、ロンドンのロイ
ヤル・アルバート・ホール(1968年に解散コンサートを行った会場)で行われた。


4日間の演奏は5ヶ月後に2枚組CD、DVDで発売された。
オープニングはI’m So Gladだった。3人の気持ちを表しているような選曲だ。
Sleepy Time Time、N.S.U、Politician、Sweet Wineと懐かしい曲が続く。



↑クリックすると2005年再結成時のI’m So Gladが観られます。


CDとDVDのソングリストはほぼ同じだ。以下、CDのソングリストを載せておく。




DVDを見て一瞬、目を疑った。
あの3人がお互いに目を合わせ笑い、終始なごやかムードで演奏している。



↑クリックすると2005年再結成時のSleepy Time Timeが観られます。


しかし緊張感がないわけではない。ビシッと締まった演奏はあいかわらずだ。
昔と違うのはエゴむき出しの攻撃的な演奏ではなくなったということだ。

それを昔のクリームではないと嘆く人もいるだろうが、僕は上質なワインを37年間
寝かせておいたような熟成したインタープレイとして楽しめた。


ジャック・ブルースが肝臓疾患を患っていて、持ち堪えられるか懸念されていた。
体力が続かないのかスツールに座って演奏する場面も見られる。
息が上がり歌が続かないと、さっとクラプトンがカヴァーしていた。

1976年のザ・バンド解散コンサート、ラスト・ワルツでソロを弾いてるクラプトン
のストラップが外れた際、即ロビー・ロバートソンがソロをつなぐあの有名なシーン
を彷彿させた。

ブルースの圧が弱くなり、クラプトンのボーカルが渋く力強くなった分、かえって
以前よりもボーカルのバランスがいい按配になったと思う。



↑クリックすると2005年再結成時のSweet Wineが観られます。


リハーサルはかなり入念に日数をかけて行われたようだ。
最初はギクシャクしたが、しだいに勘が戻りクリームのサウンドになったそうだ。

クラプトンはインタビューで「クリームではキーボードも他のギタリストもいない。
一人でバッキングからソロ、ボーカルまでやらなければならないから気が抜けない、
いつも以上に神経を使う」と告白している。





クラプトンは2005年製、新型ストラトキャスターのシグネチャーモデルを使用。
フェンダー社が新しく開発したヴィンテージ・ノイズレス・ピックアップを搭載。
シングルサイズながらスタックコイルのハムバッキング構造を持ち、ローノイズで
ヴィンテージ・シングルピックアップの音を再現している。

ミドルを25dbブーストアップするミッドコントロールを搭載
ストラトでレスポールのハムバッキングの様な歪んだ太いサウンドが得られる


アンプはフェンダーの57ツイード・ツイン
クリーンからクランチ、さらにツイードアンプ特有の荒々しくジャリッとしたサウ
ンドも再生可能だ。
ハンド・ワイアリング回路、パイン材単板キャビネット、12インチのエミネンス
スピーカー×2、40Wという仕様。


1968年のアルバート・ホールでの解散コンサートで使用したチェリーレッドのES-
335+マーシャルが登場するか、と予測してたが違った。

上述のミッドブースト搭載の新しいストラトで、ギブソンのハムバッキングに近い音
が出せると判断したのだろう。
(フェンダー社とクラプトンのエンドースメント契約も理由かもしれない。)
PAが発達した現在はマーシャルをスタックしなくても充分な音量も得られる。




↑クラプトンは3日間、色違いのウエスタン・シャツを着用。
(解散コンサート時に着用した赤いウエスタン・シャツへの思い入れだろうか?)
3日間でブラック、ライトブルー、ブルーのチェック。いずれもロックマウント(4)
だった。(菱形のスナップボタン、W型フラップポケットで分かる)

1日は半袖のネイビーのシャツだったが、これはどこのものか不明。
ジーンズはリーバイス。シルエットから察するに503か504(旧タイプ)ではないか。
靴はビズビム(5)。メガネはサヴィルロウ(6)のリムレス。






ジャック・ブルースはクリーム時代のEB-3+マーシャルを試してみたが、上手くいか
なかった、と言っている。

ジャック・ブルースのためにギブソンがカスタムメイドで製作したヴァイオリン型の
ソリッドベース(EB-1をモチーフにしたと思われる)を使用していた。
フロントにハムバッキング・ピックアップ搭載のシンプルな作りだが、EB-1のような
擬似Fホールはない。


晩年の愛器、ワーウィックのシグネチャーモデルのフレットレスも使用していた。
チェロ奏者だったブルースにとっては、フレットレスもお手の物だろう。





ワーウィックは2005年クリーム再結成記念ジャック・ブルース・シグネチャーモデル
(EB-3を模したボディシェイプ)も製造しているが、映像を見る限り使用していない。

ベースアンプの定番、ハートキー(HARTKE)を使用している。
アルミコーンのウーハーユニットを搭載したキャビネットで、ジャコ・パストリアス
など多くのベーシストから支持されている。
(1993年クリーム・ロックの殿堂入りの再結成時もハートキーだったと思われる)



ジンジャー・ベイカーは2005年再結成コンサートではdw(ドラムワークショップ)
のセットを使用していた。

ラディックの時と同じ2バス+4タムのセッティングである。
カウベル、REMOのスポークス(ロートタムのフレーム部を利用したパーカッション)
も使要していた。シンバルはジルジャン。
フットペダル等のハードウェアはdw。スティックはジルジャン7Aを使用。



↑クリックすると2005年再結成時のN.S.U.が観られます。




結果に満足したクラプトンは、今後のコンサートの予定も考えていると語った。

10月にはニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンでも3夜連続で実施


次は東京公演は?期待に胸が膨らむ。
1960年代クリーム現役時代には来ていないから、実現すれば初来日となる。

なにしろ日本びいきのクラプトンのことだ。
1991年にはジョージの17年ぶりのコンサート・ツアーを日本で行うことを提案し、
一緒に来日し自分のバンドで全面サポートしたくらいだ。
消極的なジョージを「日本のオーディエンスは素晴らしいから」と説得したらしい。

ジャック・ブルースの体調を考えると全米ツアーは厳しい。
東京と大阪なら充分、可能性がある。





しかし、その夢は実現しなかった。

後にジャック・ブルースが再結成コンサートが続かなかった理由を述べている。
「ジンジャーがまたやっちゃって、エリックを怒らせたんだよ」と。

ベイカーの性格の気難しさゆえか、本人が告白した「過去に金のためにクリームを
利用したこともある」的なことをまた勝手にやってしまったのか。。。。



ジャック・ブルースは肝臓の病気により2014年10月25日死去。
クラプトンは自身のフェイスブックで「彼は素晴らしいミュージシャンであり、
ソングライターだった。私に非常に大きなインスピレーションを与えてくれた」
とコメントを発表。ブルースに捧げた曲「For Jack」を公開している。


ジンジャー・ベイカーは2019年10月6日に80歳で亡くなった。
この数年、健康面で様々な問題を抱えていたらしい。
慢性閉塞性肺疾患、変形性関節症な。2016年に心臓疾患で開胸手術を受けていた。


故ジャック・ブルースの家族は「二人は愛憎関係を乗り越え、ジンジャーはジャック
にとって兄のような存在で、二人のケミストリーは本当に壮観でした。史上最も偉
なドラマーの一人だったジンジャー、安らかに」と追悼メッセージを発表。

ポール・マッカートニー、ミック・ジャガー、リンゴ・スター、ブライアン・メイ、
デヴィッド・カヴァーデイル、キンクスのデイヴ・デイヴィスらも追悼の意を表明。


クラプトンは盟友ジンジャー・ベイカーの功績を讃える一夜限りのトリビュート・コン
サートを2020年2月17日ロンドンのハマースミス・アポロで行うこと発表した。




<脚注>


(1)ゲートリバーブ(Gated Reverb)
深めにかけたリバーブをノイズゲートを使って意図的に残響の途中で切り落とすエフェ
クトであり、スネアドラムにかける事が多い。 強いアタック感が得られる。
ピーター・ガブリエル、フィル・コリンズ、ヒュー・パジャムなどジェネシス一派に
よってこの手法が開発され、1980年代に大流行した。
日本ではゲートエコーと呼ばれることもあった。



(2)バリライト
コンサート会場や舞台上で用いられる照明装置。
色彩・光量・光の方向等を多数のライトで自由自在かつ効果的に用いることができる
遠隔操作システムで、今日のムービングライトの先駆け。
1981年ジェネシスが使用したのが初めてで、1980年代に広く使われるようになる。
VARI*LITEはGenlyte Thomas Group LLC社の登録商標・製品名。


(3)レースセンサー・ピックアップ
AGI社がストラトキャスター用に開発したピックアップ。
1985年〜1996年までフェンダー社から発売し1996年まで採用されていた。
独自のパーツと構造により、シングルコイルの弱点(ノイズ、低出力、線が細い)
を解消している。
クリーントーンでは甘めのシングルらしい音だが、歪みを加えると音が前に出る。
ブースターをかませるとストラトとは思えないファットな音になる。
ただしストラト本来のシングルコイルならではのトレブリーさとピッキング・ニュアン
スに欠ける。ヴィンテージ・ストラト志向の人には不向きかもしれない。


(4)ロックマウントのウエスタンシャツ
Rockmount Ranch Wear Mfg.Co(ロックマウント・ランチウェア)は1946年創業。
アメリカ初のウエスタン・シャツ専門のメーカーである。アメリカ製にこだわる。
今では当たり前になっているスナップ・ボタンをシャツに最初に採用した。
Sawtooth Pocket(ギザギザポケット)やDiamond Snap(ひし形スナップ)など
ユニークなデザインで、ハリウッドの俳優やロックスターなど数多くの著名人に愛され
ている。


(5)ビズビム(Visvim)の靴
2001年に裏原宿で中村裕樹が設立した日本のブランド。
日本とアメリカに店舗を持っている。
当初は靴からスタートし、そのデザイン性・機能性から絶大な人気を誇る。
2003年からウェアも手がけるようになった。
クラプトンは藤原ヒロシの紹介でビズビムの愛用者になった。


(6)サヴィルロウの眼鏡
元々はArga Worksという英国の眼鏡工房で保険適用で買える眼鏡を製造していた。
メタル・フレームまたはセル巻メタル・フレームでトラディショナルなデザイン。
1960年代前半は野暮ったい、年寄りがかける眼鏡という印象が強かったが、ジョン・
レノンが愛用するようになって人気が再燃する。
日本では1978年頃から白山眼鏡店が輸入販売していた。
ポパイが創刊され、プレッピー・ブームのマスト・アイテムとして人気を博した。
1996年頃からArga WorksはSavile Rowとブランド名を改め、18金を使用した高級
化路線として生まれ変わる。
ショーン・コネリー、ハリソン・フォード、ハリーポッターのダニエル・ラドクリフ
が映画の中でかけていたり、エリック・クラプトンが愛用していることで有名。


<参考資料:DTM用語辞典、ギター博士、ベース博士、ドラム博士、指1ギター、
ギター改造ネット、ロックの歴史を追いかける、allmusic、rockin’on、
legendary Tones、WHERE’S ERIC、Wikipedia、YouTube、Saville Row、
Cream - Royal Albert Hall, London, May 2-3-5-6 2005、R&Co.、他>

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