2020年5月12日火曜日

孤高のギタリスト、ジェフ・ベックの軌跡(2)BBA結成

<最強のロック・トリオ、ベック・ボガート&アピス(BBA)の誕生>


1972年、第二期ジェフ・ベック・グループ解散後、カクタスでの活動に限界を感じ
始めていたティム・ボガート、カーマイン・アピスとのバンド結成の機運が訪れる。





当初は5人編成のジェフ・ベック・グループ名義で活動を開始する。(1)
が、他の2人は脱退。ポール・ロジャースをボーカルにという目論見も失敗。

最終的にトリオ編成のベック・ボガート& アピスとなった。
ボーカルはティム・ボガート、カーマイン・アピスが担当することになった。
ベックは下手だから(^^v)



ティム・ボガートはリズム隊としての常識的なベーシストではない。



<写真:gettyimages>

フェンダーのプレシジョン・ベースにテレキャスター・ベースのネックを付けた
愛器を思い切り歪ませ、自在なフレーズ(時にはコードも)をブンブン弾きまくる。
ジャック・ブルースと同様「リード・ベース」と呼んだ方がいいだろう。



ベックの出す音を下支えするのではなく、対位法的にフレーズを繰り出して来る。

ライブでは延々と続くティム・ボガートとジェフ・ベックの掛合い、丁々発止の
攻撃的なインプロヴィゼーションが凄かった。
聴いててどちらがリード・ギターか分からないくらいだ。



                                                                                  <写真:gettyimages>


ボガートの演奏力を評価して誘ったベックだったが、しだいにベースラインに徹せず
前に出すぎるボガートの演奏に苛立ち反感を持つようになる。
ベックとボガートの殴り合いの喧嘩に及んだこともあったという。
この二人の確執からバンドは長続きしなかった。



                                                         <写真:gettyimages>


ボガートは凄テクのベースを弾きながら歌う。(この点もジャック・ブルースと同じ)
その歌声の圧が強いのもジャック・ブルースに通ずるものがある。


が、ボガートの高音でシャウトするボーカルは、ロバート・プラントやイアン・ギラ
ンのような力強さに欠け、BBAのパワフルな楽器陣の中では貧弱に感じられた。

これもベックがボガートに対して不満を抱いた要因かもしれない。
もともとベックはポール・ロジャースをボーカルに迎えることを望んでいたのだ。



                                                                                 <写真:gettyimages>



カーマイン・アピスはハードヒット奏法によるヘヴィ・ドラミングの先駆者だ。
ヴァニラ・ファッジ(クリームもそうだが)が大音量だったことに起因している。
パワフルでありながら小技も冴える


ボンゾに匹敵するボディー・ブローのように腹に響く重いバスドラムの連打
26インチのツー・バス(バスドラム2個使用)を取り入れたのもアピスである。
ヴァニラ・ファッジではグレッチのセットを使用したが、その後ラディックに変更。




ヴァニラ・ファッジの前座を務めていたツェッペリンのボンゾがアピスのドラム
セットを気に入ったため、アピスはラディック社にボンゾを紹介した経緯もある。
ボンゾは同じセットを入手したが、ツェッペリンのメンバーの反対によりツー・
バスはやめ、ワンバスで使用していた。


スティックはお尻から1/3の所を支点に持つ時とお尻を持つ時がある。
左手はレギュラー・グリップではなく、ロック系に多いマッチド・グリップである。
時にはスティックを逆さに持つこともあった。
リムショットなどでパーカッションのような使い方もする。






右手だけでライド、クラッシュ・シンバル、スネア、タムを思いっきり叩きつけ、
左手でシンバルをミュートする奏法には唖然としたものだ。
右手のスティックは宙で回転させ間をとってから打ち下ろす。
これはツェッペリンでボンゾもよくやっていたが、アピスの影響かもしれない。


シンバルはパイステ。小刻みなハイハット連打で要所要所オープンにする。
ハイハットの裏拍打ちもよくやる。

チャイナゴングの導入、チャイナシンバルを裏返しにセット、スネアドラムにワウ
ペダルを繋ぐ、バスドラムのマイクをベースアンプに繋ぐなど革新的だった。

そしてアピスはドラムを叩きながら、ボーカルもコーラスもできる強みがあった。





余談だが、1982年にカーマイン・アピスがエリック・カルメン、リック・デリン
ジャーらを率いて来日した際、リハーサルに立ち会ったことがある。
それまで見たドラマーの誰よりも、ドッスンバッタン大きな音を出していた。

メンバーたちが休憩でスタジオを出る際、カーマイン・アピスに「ドラムセットに
座ってにていいか?」と尋ねると、快く「いいよ」と返事してくれた。
思ってた以上にセットは大きい。ライドシンバルが遠く手が届かなかった。


BBAは1972年10月ヨーロッパ・ツアー。11月アルバムのレコーディング。
翌1973年2月デビュー・アルバムにして唯一の公式オリジナル・アルバム「ベック・
ボガート&アピス (Beck, Bogert & Appice)」発売。

その後イギリス・ツアーを行う。






1973年5月に来日公演
(5月14日 日本武道館、5月16日 名古屋市民会館、5月18-19日 大阪厚生年金会館)

大阪厚生年金会館での公演が録音されライブ盤「ベック・ボガート&アピス・ライ
ヴ・イン・ジャパン(Beck, Bogert & Appice Live in Japan )」として発売。


生演奏で本来の手腕を発揮する3人は、スタジオ録音のアルバムよりはるかに強力で
キレのある自由奔放な演奏を繰り広げている
そのパワフルな演奏は現在でも語り草になっている。



↑写真をクリックするとBBA日本公演よりSuperstitionが視聴できます。

これはライヴ盤の1曲目とまったく同じテイク。こんな映像が残ってたとは!
プロ・ショット、かつ編集されてる。ということはテレビで放送したのだろうか?
※当時はカラーテープが高価なためマスターを保存せず消してのが一般だった。
このモノクロ映像はダビングされたものと思われる。画質は悪いが貴重!
ベックのトーキング・モジュレーターもしっかり映っている。

ベックが使用しているのはレスポール。ジャッケット内写真にも映っている。
力強く噛み付くようなど迫力サウンドにノックアウトされた人も多いはず。
来日直前の1973年にメンフィスの楽器店で見つけたという1954年製だ。





ゴールドトップだったのを深い茶色に塗り替えてあり、オックスブラッド(牛の
血のような濃い赤)に見えることからオックスブラッド・レスポールと呼ばれる。
P-90ピックアップをハムバッカーに交換、ネックをスリムにリシェイプ、チューナー
をシャーラーに交換してある。
※名盤ブロウ・バイ・ブロウ(Blow by Blow 1975)のジャケットにも映っている。

レスポールの出力はSunn Colosseumのソリッドステート・ヘッドアンプ+
Univox 6x 12 キャビネット。
フェンダーのPrinceton Reverbをリバーブ・アンプにしているらしい。
使用しているエフェクターはColorsound Overdriver、Crybaby(ワウペダル)、
Magic Bag Talkbox(トーキング・モジュレーター)。






このライヴ盤は日本のみで限定発売された上に、ベックの意向で廃盤となっていた。
そのため1989年にCD化されるまでは非常にレアな商品となっていた。

カーマイン・アピスは、8トラックでの録音であること(当時は既に16トラックが
欧米ではスタンダードになりつつあった)、曲の順番が変えられていること(発売
当時は2枚組LPの4面であるため、長尺な曲順の大幅な編集を余儀なくされていた)
が残念である、と発言している。

ベックの意向も同じだったのかもしれない。


※2006年にはソニーのDSDサンプリング(2)によるリマスター盤が発売される。
萩原健太氏か和久井光司氏が「野太いのに隅々まで見渡せる音」と評していた。

※2013年には40周年記念盤として、オリジナル・アナログ・マスターを元にDSD
サンプリングしたリマスター盤が発売された。
曲順が実際のセットリスト順に改められ、ライヴ本編をDISC-1で一気に聴ける。





日本から帰国後、ボガートが交通事故で重傷を負いその後のツアーがキャンセル。
夏には解散の噂が飛ぶようになる。11月には2回目のヨーロッパツアーを開始。

翌1974年1月26日ロンドンのレインボー・シアターでコンサートを行う。
この模様は9月にアメリカで「Rock Around the World」として放送された。

これがBBAによる最後の録音となり、2nd.アルバム収録曲のプレビューともなった。
このコンサートの音源が後にAt Last Rainbow等のタイトルの海賊盤で出回る。





2nd.アルバムはデビュー・アルバムやライブ盤と趣きや方向性の異なる作品になる、
という話だった。
セッションは上述レインボー・シアターでのコンサートの直前、1974年1月に行われ
たが、ベックとボガートの確執もあって完成には至らなかった。



                                                                                <写真:gettyimages>
↑写真をクリックすると未発表曲 Jizz Whizzが聴けます。




↑写真をクリックすると未発表曲Laughing Ladyが聴けます。


モンスター・バンドと言われたBBAは、1枚のオリジナル・アルバムとライブ盤を
残しただけで自然消滅することになった。
そして翌1975年からジェフ・ベックはフュージョン路線に活路を見出す。





個人的にはフュージョン時代のベックも好きだが、BBAも好きだったのでぜひ再結成
して欲しいバンドだった。(クリームもツェッペリンも再結成したんだから)

が、それも実現せず。残念である。(3)


<脚注>


(1)当初はジェフ・ベック・グループ名義で活動
そのせいなのか、まだBBAの名前が浸透していないのでジェフ・ベック・グループと
銘打った方が客が集まると日本側のプロモーターが考えたのか、5月14日武道館公演
のポスターには「ジェフ・ベック・グループ」と書かれ下に3人の名が表記してある。



(2)DSDサンプリング
SACDで使用されているアナログ音声をデジタル信号化する際の方式。
ソニーとフィリップスによる商標。
CDやDVDで使用されるパルス符号変調 (PCM) ではなくパルス密度変調 (PDM) を
用いているのが特徴。
PCM方式と異なりビット深度が1bitである代りにサンプリング周波数を大きく取る。

PCM → DSDよりもサンプリング周波数が低いが、量子化ビット数は高い。
(「音を1秒間に記録する回数」と「音の大きさ」の2つの値で記録する)
DSD → PCMよりもサンプリング周波数が高いが、量子化ビット数が1bitしかない。
(「音を1秒間に記録する回数」と「音があるか」の2つの値で記録する)




(DSDの長所)
100kHzまでカバーする周波数帯域(フラットではなく上限に向かって下降する特性)
と低ノイズ、瞬発力の高さ、音の情報量が多いにも関わらずデータが軽く済む。
(DSDの短所)
高周波数になるほど量子化ノイズが増える。
制作の後処理を行う上で制限がある。ミキシングもイコライジングも出来ない。

(DSDマスタリングとは)
アナログあるいはデジタルのオリジナルマスターから、直接DSD方式でマスタリング
したマスターを使用。マスターのサウンドも品質を損なわずにSACDに収録可能。
またこのマスタリング処理を施した場合、通常のCDの音質も向上する。


(3) BBA再結成
1999年に日本で Char, Bogert & Appice (CB&A) のコンサートを行ったが、あまり
息が合わなかったようだ。
翌2000年リック・デリンジャーとDerringer, Bogert & Appiceとしての活動も行う。


<参考資料:ギタファン-GitaFan-、エレキギター博士、イシバシ楽器店、 YouTube、
Wikipedia、rockin’on.com、Rolling Stone、EQUIP BOARD、Les Paul Forum、
gettyimages、他>

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