2023年1月25日水曜日

<追悼>ジェフ・ベックを初めて生で見た夜。



<1978年ジェフ・ベックvs.スタンリー・クラークを武道館で見た。>

複数の友人と「ジェフ・ベックが亡くなった」というやり取りをした。
その中で「スタンリー・クラークとの来日、一緒に行ったよね」という話が出た。

あの時は確か5人くらいで行った憶えがある。
記憶の糸を手繰り寄せ、本人たちに聞いてみると、やっぱりそうだった。



BB&Aの来日公演をレコードでしか知らない僕はベックを生で見たいと思ってた。
しかもスタンリー・クラークとの共演である。これは凄いことになりそうだ。

なにしろベックは強者が相手の時はめちゃくちゃ冴えまくった演奏をする
たとえばロッド・スチュアート、ティム・ボガート、カーマイン・アピス、
コージー・パウエル、マックス・ミドルトン、ヤン・ハマー。
今回はスラップ・ベースをギターのように弾きまくるスタンリー・クラークだ。



↑友人の一人が当時のチケットを持っていた。
1978年12月2日(土)武道館大ホール。追加公演だったらしい。

席はアリーナL列46番。たぶん12列目の中央よりやや左寄りではないか。
よく見えたし音響的にもよかった記憶がある。(1)


客層はウェザーリポートやリターン・トゥ・フォーエヴァーを聴いてそうな人たち
が半分、残りはいかにもギター小僧!、メタル系よりはもっと大人のアル・ディ・
メオラなどフュージョン系のギターも聴いてそうな人が多かった。
騒いだり荒れることもなく、いい感じのノリで盛り上がったと思う。



<演奏された曲、丁々発止の二人の掛け合い>

客電が落ち歓声が挙がった。シンセサイザーの轟音が会場に広がる。
地鳴りのように腹に響くようなすごい迫力の重低音だった。



↑ブートCD(12/1武道館)の裏ジャケット。ベックのギターシンセはこんな感じ。


舞台の袖から出てきたベックはローランドのギターシンセ(2)で1曲目のDarkness
/ Earth In Search Of A Sunを演奏し始めた。
この曲は前年のヤン・ハマーとの全米ツアーで演奏された曲である。

2曲目のStar Cycleは次アルバム「ゼア&バック(There & Back 1980年)」収録
曲(ヤン・ハマー提供曲)だが、この時点で既に出来あがっいたようだ。
ベックはジャケットを着て、オリンピック・ホワイトに黒のピックガードの
ストラトキャスターを弾いていた。
(公演日によっては、サンバーストのストラトを使っていたようだ)



↑ブートCD(12/2武道館)のジャケット。


反対側からアレンビックのベースを弾きながらスタンリー・クラークが登場。
落雷のようなバリバリ音のスラップベースを凄まじいスピードで弾く。
ベックの早弾きのフレーズをスタンリー・クラークがベースで追いかける。

共演というより異種格闘技みたいな感じ(笑)である。会場は沸いた。
ベックも演奏を楽しんでいるようだった。





以下は日本武道館のセットリスト。

1. Darkness / Earth In Search Of A Sun (ヤン・ハマーとのライヴで演奏)
2. Star Cycle (次アルバム「ゼア&バック」に収録される)
3. Freeway Jam
4. Cat Moves(26日以降、20~24日はHot Rock) どちらもアルバム未収録(3)
5. Goodbye Pork Pie Hat
6. Bass Solo - School Days (Stanley Clark)
7. Journey To Love (Stanley Clark)
8. Lopsy Lu (Stanley Clark)
9. Diamond Dust
10. Scatterbrain - Drum Solo
11. Rock 'N' Roll Jelly (Stanley Clark)
12. Cause We've Ended As Lovers
13. Blue Wind
14. Superstition


ジェフ・ベックの人気曲が中心でスタンリー・クラークは4曲と客演扱い。
しかし演奏力、存在感ともに両者互角で、スタンリー・クラークは主役を
食いかねないくらいの人気だった。

★の2曲、Journey To LoveとRock 'N' Roll Jellyはスタンリー・クラークの
アルバム・レコーディングにベックがゲスト参加してギターを弾いた曲。


※School DaysとLopsy Luの2曲はこのライヴだけの共演である。(4)

↑クリックすると11月30日の日本武道館公演が聴けます。
(客席録音のブートのため音質はHi-Fiではないが、よく録れてる方だと思う)
ジャケットは来日パンフレットの写真を流用し作られている。帯まである!



<直前まで流動的だったメンバー>

実はジェフ・ベック+スタンリー・クラーク来日公演は即席バンドだった

ジェフ・ベック(ギター)
スタンリー・クラーク(ベース)
トニー・ハイマス(キーボード)
サイモン・フィリップス(ドラムス)


当初はジャズ・ドラマーのレニー・ホワイトが予定されてたらしい。
彼はリターン・トゥ・フォーエヴァーでスタンリー・クラークと一緒だった。
スケジュールが合わなかったのか、ベックが難色を示したのか。
サイモン・フィリップスジェフ・ベック・グループ時代のドラマー)に変更。
ジャズ畑のドラマーよりは、ベックとは相性がいいだろう。

キーボードはマイク・ガーソン(デヴィッド・ボウイのバック)が予定されて
いたが、彼の演奏にベックが満足できなかった。
11月になって急遽サイモン・フィリップスが連れてきたトニー・ハイマス(5)
(この2人はジャック・ブルース・バンドで一緒だった)に決定した。




直前に3日間の集中リハーサルを行っただけで来日となった。
4人のアンサンブル、グルーヴは本番を重ねていくうちに醸成されたのだろう。
(以下10会場でコンサートを実施。後半はバンドのグルーヴも出てきたはずだ)

11月20日 茨城県民文化センター
11月22日 石川厚生年金会館
11月23日 倉敷市民会館
11月24日 大阪府立体育館
11月26日 名古屋市公会堂
11月28日 新日鉄大谷体育館
11月29日 大阪厚生年金会館(追加公演)
11月30日、12月1日、12月2日(追加公演) 日本武道館



<ジェフ・ベック+スタンリー・クラーク来日公演が実現した理由>

そもそもワールドツアーの一貫として開催されたイベントではなかった


↑これも別なブートCD(12/1武道館)の裏ジャケット


当時はフュージョン・ブーム最盛期。
フュージョン系インストに傾倒したベックのアルバムも立て続けにヒット。(6)
この機になんとかベックを呼びたいウドー音楽事務所が動いたのではないか。


「ブロウ・バイ・ブロウ」発売後の来日(1975年)ではベックの体調不良の
ため3公演が中止。(最初から予定されてた公演予定地も偏っていた)(7)

1976年「ワイアード(Wired)」発表後のヤン・ハマーとの英国〜全米ツアー
の時は、スケジュールが組めなかったのか日本公演は実現しなかった(8)




一方ベックはスタンリー・クラークのレコーディングにゲスト参加している。
アルバム「Journey To Love (1975)で2曲、アルバム「Modern Man」
(1978)で1曲。(9)

そこでウドーはジェフ・ベック+スタンリー・クラーク、夢の共演(なんか
演歌みたいだな)を企画し、それぞれにオファーをしたのではないだろうか。


ベックは次アルバム「ゼア&バック(There & Back)」のレコーディングに
本格的に入る前で、スケジュール的には可能だった。悪い話ではない。
スタンリーとはやったことあるし。一丁稼いでくるか、というノリだろう。

スタンリー・クラークも次アルバム「I Wanna Play For You」の制作に入っ
ていたが、ジェフとジャムるくらいチョロい、日本で名前を売るいい機会だし
、レコードのプロモーションにもなる、と快諾?したのではないか。

とにかく二人に話を持ちかけ条件交渉、根回し、スケジュール調整、
会場の抑え、即席バンドの人選と交渉。かなり大変だったのではないか。
さすが、世界中のアーティストから信頼されるウドーの力である。



<海外での展開>

コンサートは最初日本限定企画というふれ込みだったが、その後デンマーク、
ノルウェー、フランス、オランダ、オーストリア、スペインでも行われた
何故かイギリスとアメリカでは行われていない。
大掛かりなワールドツアーにするには中途半端な時期だったのかもしれない。


↑12/1武道館のブートが多い。


そのため武道館・大阪・名古屋公演のブートCDは海外で人気があるらしい。
いずれも客席でカセットテープに隠し録りしたものがソースになっている。

中には「サウンドボード音源」と書いてあるものも流通しているが、実際は
オーディエンス録音で拍手の音が大きく「すげー」「いいぞ、ベック!」など、
しっかり客の声を拾ってるらしい。(「騙された」と言ってた友人談)
あまりお薦めできない。



1979年7月5日にアムステルダムで行われたジェフ・ベック&スタンリー・
クラーク共演をFMでオンエアしたライヴ音源があり音質も良好だ。

演奏曲はRock'n Roll Jelly、School Days / Jamaican Boy、Lopsy Lu。
ブートCDでも売ってるが、YouTubeでも聴けるのでそれで充分だろう。



↑クリックするとSchool Days / Jamaican Boy (Live 1979)が聴けます。



↑クリックするとLopsy Lu (Live 1979)が聴けます。



2006年にはロッテルダムで開催されたノースシー・ジャズ・フェスティバル
でジェフ・ベックとスタンリー・クラークが再共演
和気藹々のパフォーマンスを見せてくれる。
1978年の来日公演の動画はないが、ほぼこんな感じだったと記憶している。



↑クリックするとLopsy Lu (Live 2006)、2人の再共演が観れます。



※下記ブログを参考にさせていただきました。

縞梟の音楽夜話
Live In Japan 1978(昭和53年)/Jeff Beck with Stanley Clarke


当時の貴重な情報を知ることができ、感謝しております。
事前に許可をいただく前に掲載したことをお詫びします。
問題があるようでしたら削除しますのでご一報ください。



<脚注>

(1)日本武道館アリーナの座席
1970年代のアリーナの座席は前からA、B、C列と順番になっていて、ステージ
に向かって左から1、2、3番と通し番号になっていたと思う。
ぴあがチケット販売を手がけ出した頃はアリーナはブロック制に変わっている。
ステージの大きさによって異なるが、前からA〜Fブロック、G〜Nブロック。
各ブロックごとに前列左から通し番号が振られていた。


(2)ローランドのGR-500ギター・シンセサイザー
ギター型のコントローラー(GS-500)をシンセサイザーの音源部分(GR-500)
につなぎ、サウンドを操作する世界初のモノフォニック・ギター・シンセ。



富士弦楽器製造(グレコ)とローランドの共同開発により1977年に発売された。
しかし操作性が良好とは言えず、ジェフ・ベックも苦労したらしい。
1979年の武道館でもGR-500を使用したのはオープニングだけであった。
後継機であるGR-300(1980年 ポリフォニック)はパット・メセニーやジミー・
ペイジの使用で、ローランド製ギター・シンセを世界的に広めた。


(3)Cat Moves、Hot Rock
2曲ともヤン・ハマー提供曲で「ゼア&バック(There & Back)に収録予定
だったが、ボツになりコージー・パウエルのアルバム「Tilt」に収録された。


(4)School Days、Lopsy Lu
School DaysはRock 'N' Roll Jellyに似ているせいか、ジェフ・ベックがレコーデ
ィングに参加した、と勘違いしてる人が多い。
(アルバムではレイモンド・ゴメスというギタリストが演奏している)
ベックがSchool Daysでギターを弾いているのはこのライヴだけである。

Lopsy Luもこのライヴで初めて一緒に演奏した。
2006年のノース・シー・ジャズ・フェスティバルで2人は共演し、再びこの曲を
演奏している。(前述)


(5)トニー・ハイマス
この即席バンドが初顔合わせだったが、ベックに気に入られ以降10年以上キー
ボードプレーヤーとして、時にはプロデューサーとしてベックを支える。


(6)ジェフ・ベックのフュージョンへの傾倒。
1974年、BBA自然消滅後ベックはイギリスのジャズ・ロック・バンド、UPPのレコー
ディングに参加し、9月にはUPPと共にBBCに出演している。



↑クリックすると1974年UPPとBBCに出演した時の演奏が観れます。


ベックはマハヴィシュヌ・オーケストラのジャズ・ロック的アプローチに傾倒
そこでマハヴィシュヌを手がけたジョージ・マーティンにアルバム制作を依頼した。
レコーディングはマーティンが所有するロンドンのエアー・スタジオで行われた。
1975年に発表されたアルバム「ブロウ・バイ・ブロウ (Blow by Blow )」は、
全曲インストゥルメンタルでフュージョン色が濃い
世界一美しいロック・アルバム」と評されている。
「ブロウ・バイ・ブロウ」発売後、4月から7月にかけてのアメリカ・ツアーも一部、
マハヴィシュヌ・オーケストラとのジョイントとして行われている。


(7)「ブロウ・バイ・ブロウ」発売後の日本公演
1975年8月にはBBA以来二度目の来日を果たし、ワールド・ロック・フェスティバ
ルに参加したが、風邪をこじらせ急性肺炎になり京都、仙台公演はキャンセル。
東京(後楽園)、名古屋、札幌の3回のみの公演となる。


(8)ワイアード(Wired 1976年)発表後のヤン・ハマーとのツアー
ワイアード(Wired 1976年)ではヤン・ハマー(kb)、ナラダ・マイケル・ウォルデン
(ds)が参加。シンセ臭、ジャズ・ファンク色が濃くなった。
本作発表後のツアーは、1976年5月ロンドン公演から始まる。
ヤン・ハマー・グループとのジョイント・ツアーの形で行われた。
(実質的にはヤン・ハマー・グループのライヴにベックがゲスト参加したもの




10月〜11月のアメリカでのライヴ音源を編集したものが「ライヴ・ワイアー
(Jeff Beck With the Jan Hammer Group Live 1977年) として発表される。
このツアーでは来日していない。
(日本でのヤン・ハマーとの共演は9年後、1986年に実現した)


(9)スタンリー・クラークのレコーディングに参加。
「ブロウ・バイ・ブロウ」ツアーの後、ベックはスタンリー・クラークのアルバム
「Journey To Love (1975年)」のレコーディングに参加。
タイトル曲とHello Jeffという曲でギターを弾いている。

1978年のアルバム「Modern Man」でもRock 'n Roll Jellyに参加している。
さらに翌1979年のアルバム「I Wanna Play For You」でもJamaican Boyを
演奏している。(日本公演の翌年)
このアルバムにはRock 'n Roll JellyとSchool Daysのライヴ・ヴァージョンが収録
されているが、ギターはベックではなくレイモンド・ゴメスが弾いている。


<参考資料:縞梟の音楽夜話、くま太郎の暇つぶし、ギターマガジン、Wikipedia、
YouTube、他>

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