キーボード奏者のボビー・ウィットロックが亡くなった。享年77歳。
マネージャーのキャロル・ケイ(ってあのベーシストの?違うよね)から
「がん闘病の末、テキサス州の自宅で家族に囲まれ息を引き取りました」
という声明があった。
訃報を受け、エリック・クラプトンが追悼コメントを発表している。
「親愛なる友人ボビー・ウィットロックが77歳で亡くなりました。
悲しみにくれるボビーの妻ココとご家族に心からお悔やみ申し上げます。
ボビー、安らかに眠ってください」
ウィットロックは1970年にエリック・クラプトンと共にデレク&ザ・ドミ
ノスを結成。名作「Layla」を発表した。
ベースのカール・レイドルは1980年にドラッグとアルコールの過剰摂取に
より、37歳という若さで亡くなっている。
売れっ子ドラマー、ジム・ゴードンは統合失調症で演奏できなくなる。
母親を殴打して刺殺。
2023年にカリフォルニア州医療施設で77歳の生涯を終えた。
またゲストとして「Layla」のレコーディングに参加し、見事なスライド・
ギターを披露したデュアン・オールマンは1971年にバイクの事故で死亡。
25歳の誕生日を数週間前にしてのことであった。
これでデレク&ザ・ドミノスの存命者はクラプトン一人になってしまった。
エリック・クラプトン
ロック通じゃない限り、ウィットロックの名前は知らない人も多いだろう。
クラプトンの「Layla」は知ってるが、デレク&ザ・ドミノスって何?と
という人もいるかもしれない。
<クラプトンとの出会い〜デレク&ザ・ドミノス結成>
ボビー・ウィットロックはメンフィス出身で、同市にあったソウルミュージ
ックの名門、スタックス・レコードのスタジオでキャリアをスタートさせる。
オーティス・レディング、サム&デイヴ、ブッカー・T&ザ・MG'sらと共演
してキーボード奏者としての頭角を現す。
デラニー&ボニー&フレンズのツアーに参加中、クラプトンと意気投合。
ウィットロックは英国のクラプトン宅を訪れ、そのまま居候する。
2人はジャムを行い、後にドミノスで発表することになる曲作りを始めた。
ウィットロックはクラプトンの初ソロ・アルバムのレコーディングにも参加。
同じくアルバム制作に加わったカール・レイドル、ジム・ゴードンも加え、
4人でセッションを繰り返す。
この辺からバンド結成の機運が生まれたのだろう。
ジョージ・ハリソンの「All Things Must Pass」のレコーディングに
もこの4人で参加している。
デレク&ザ・ドミノスというバンド名はクラプトンの発案だ。
ギタリストとしての名声は前面に出さずに、架空のバンド名のフロントマン
としてやってみたい、という意向らしい。
<アルバム「Layla」でのボビー・ウィットロックの貢献>
1曲目のI Looked Awayはクラプトンとウィットロックの共作。
この曲で始まるでアルバムの世界観に魅了された人も多かったと思う。
ヴァースはクラプトンが歌い、ウィットロックが後追いのボーカル、また
は上にハモる。
ブリッジでは1回目がクラプトン、ウィットロックが2回目を歌う。
この人は圧の高い声質で、当時はまだ渋みがないクラプトンとは対照的。
しかしその2人がハモるとなぜか相性がいい。
ウィットロックは「エリックが最初のラインを歌い、次は僕が歌う、僕ら
は一緒に歌う、サム&デイヴのアプローチだよ」と言っている。
レイドバックしたサウンド。ストラトキャスターの枯れた音もいい。
Derek & The Dominos - I Looked Away
Bell Bottom Bluesも共作。クラプトン宅の居間で書いたそうだ。
ドミノスがフランスに行った時、クラプトンが夢中になった女性の
ことを歌った曲。
彼女は英語を話さず、ベルボトムジーンズを履いていた。
ボビー・ウィットロックもカール・レイドルも同じ証言をしてる。
パティ・ボイドは自分に捧げる歌だと主張しているがそうではない。
ブルージーなバラード。歌メロにもギターソロにも「泣き」が入る。
コーラス部のDo you want to see me〜でウィットロックが上に
ハモる。
I don't want to fade away〜に続くギターソロは名演だ。
Derek & The Dominos - Bell Bottom Blues
Keep On Growingも2人の共作名義。16ビートでR&B色が強い。
セッションで生まれたインストゥルメンタルに、ウィットロックが
マイアミでの録音時に歌詞とメロディーを即興で加えた。
Anydayも2人の共作。
R&B色の強いサウンドはスタックス仕込みのウィットロックならでは。
クラプトンの切ないボーカルとギター、ウィットロックの力強いボー
カルにデュアン・オールマンのギターの絡む。
Tell the Truthはダイナミックなブルース・ロック。カッコいい。
ウィットロックが作曲し、クラプトンが最後のヴァースを追加した。
2人でハモリ、ブリッジでは交代でボーカルを取っている。
この曲ではデュアン・オールマンがスライドギターを弾いている。
Derek & The Dominos - Tell the Truth
Why Does Love Got To Be So Sad?も2人の共作。
スピード感のある16ビートのブルースロック。
デュアン・オールマンとクラプトンのツインギターが堪能できる。
Thorn Tree In The Gardenはアルバムの最後に静かに幕を
閉じる、美しいアコースティック・バラード。
大作Laylaの熱をチルアウトしてくれるようで心地よい。
庭にある棘のある木(バラやヒイラギなど)に向かって話しかける
ような、穏やかな曲である。
この曲はウィットロックがギターで作曲したという。
失恋の歌と思われることが多いが、飼っていたペットについて歌った
ものだ、とウィットロックは明かしている。
プロデューサーのトム・ダウドによると完璧なステレオ録音らしい。
メンバーたちがスタジオで輪になって座り、ウィットロック、クラプ
トン、オールマンがギターを弾き、ウィットロックが歌った。
マイクをその中央にセットして録音が行われた。
Derek & The Dominos - Thorn Tree In The Garden
他はブルースのスタンダードのカヴァーが多く、クラプトンがボーカル
をとっているが、ウィットロックはオルガンやピアノでサポートしてる。
ジミ・ヘンドリックスへのオマージュ、Little Wingも印象的だ。
タイトル曲Laylaの最後のコーダ部は、ジム・ゴードンが作曲者と
してクレジットされているが、リタ・クーリッジ作曲のTimeの盗用
だということが分かっている。
主メロはピアノで奏でられるが、ゴードンはピアノが上手ではないので、
レコーディングではウィットロックがもう1台のピアノを弾いている。
<短命に終わったデレク&ザ・ドミノス>
アルバム「Layla」は音楽誌からは批判され、商業的にも失敗だった。
その反応はクリームでのスーパー・ギタリストとしてのクラプトンに
期待してたが、バンドのシンガーやフロントマンとしては魅力がない、
ということだったのだろう。少なくともその時点では。
レスポールをマーシャルに繋いだ攻撃的な長いギターソロを望んでた
人たちは、ストラトキャスターの乾いた音で拍子抜けした。
またバンドにクラプトンがいることさえ知らなかった人も多かった。
僕はアルバム「Layla」はリアルタイムで聴いてない。
まず2枚組レコードを買えるお小遣い事情じゃなかったことが大きい。
それとクラプトンの初ソロ・アルバムを買ってあまり良くなかった経
験から、デレク&ザ・ドミノスは敬遠していた。
「Layla」を聴いたのは「461 Ocean Boulevard」の後である。
順番が逆だが、そのおかげで自分的には「クラプトンのレイドバック
時代の最初期アルバム」としてすぐ好きになった。愛聴盤である。
↑ジャケット見開き写真コラージュ。
マイアミのクライテリア・スタジオで行われたセッションはコカインと
ヘロインとアルコール三昧だったそうだ。
「Layla」は後になってから評価され、名盤と言われるようになった。
デレク&ザ・ドミノスは2枚目のアルバムのレコーディング中に、ジム
・ゴードンとクラプトンの激しい口論から解散してしまう。
アルバム「Layla」の評価が高まっても、デレク&ザ・ドミノスが
殿堂入りしないのは、あまりにも活動期間が短いこと、クラプトン
の作品として認識されてることが理由ではないかと思う。
若き日のクラプトンの歌声、ボビー・ウィットロックの黒っぽさ、
2人のボーカルの掛け合い、ジム・ゴードンの多彩なドラミングなど
を見ることができる貴重な映像だ。
Derek & The Dominos - It's Too Late
(Johnny Cash Show 1/6/1971)
ドミノスでコケたクラプトンは落ち込み、彼の麻薬中毒・アルコール
中毒と鬱病のスパイラルは加速した。
1985年のインタビューでクラプトンは「偽りのバンドだった」と回想
している。
そんなことはない。デレク&ザ・ドミノスの存在意義は大きかった。
アルバム「Layla」はクラプトンの最も優れた業績の一つである。
後年、クラプトンもデレク&ザ・ドミノスを自分のキャリアとして再
認識するようになったようだ。
2000年にはBBCのジュールズ・ホランドの番組にボビー・ウィットロ
ックと一緒に出演し、Bell Bottom Bluesを演奏した。
Bobby Whitelock with Eric Clapton (BBC 2000)
2008年のライヴではデレク&ザ・ドミノス時代の6曲を披露し、ファン
を喜ばせた。(知らなかった。行きたかったなー)
デュアン・オールマンの再来と言われるデレク・トラックスがスライド
ギターを弾いていることも、ドミノス再現を可能にした一因である。
個人的にはクラプトン史上最高のライヴの一つだと思っている。
Eric Clapton - Tell The Truth (Live In San Diego)
<参考資料: Neverending Music、Music and others、amass、
Wikipedia、Google Gemini、YouTube、gettyimages、他>
尚、ジム・ゴードンについては以前の記事をご参照ください。
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