2015年5月3日日曜日

加瀬邦彦さんを悼む 。


2週間経ってしまったが、加瀬邦彦さんが亡くなった。

加瀬邦彦と言えばワイルドワンズであり「想い出の渚」だろう。
でも僕はそれ以降の作曲家、プロデューサーとしての加瀬邦彦が好きだった。

タイガースに提供した「シー・シー・シー」や沢田研二の「危険なふたり」
「胸いっぱいの悲しみ」「ウィンクでさよなら」など。
「きわどい季節」を聴くと、ああ、加瀬さんだなあと思う。




沢田研二の衣装デザイナーにグラフィック畑の早川タケジを起用したのも
化粧を提案したのもパルコのCM出演を仕掛けたのも加瀬邦彦である。


数年前にNHK教育の趣味悠々で「エレキギターを弾こう」というおもしろい
企画をやってて、加瀬さんがベンチャーズの「十番街の殺人」を弾いていた。
さすが!の腕である。この人のルーツはこれなんだと改めて思った。

加瀬邦彦は事務所(ホリプロ)の方針でスパイダーズに入る。
しかし3カ月で脱退し寺内タケシの誘いを受けブルージーンズに加入。
「エレキの若大将」で加山雄三のバックで演奏している姿も見られる。



ビートルズの来日公演でブルージーンズが前座を務めることになった。
厳戒態勢下のため前座のバンドは演奏後、楽屋に外から施錠されてしまう。

この頃ベンチャーズよりもビートルズへの思いが強くなっていた加瀬邦彦は
「ビートルズの演奏が見られない」とブルージーンズを脱退した。
加瀬さんは名誉あるビートルズの前座として出演することより、客席で生で
ビートルズを見ることを選んだのだ。


その後ワイルドワンズを結成。
バンド名のThe Wild Ones(野生児)は慶応の先輩、加山雄三である。
ワイルドワンズのサウンドの要でもある加瀬邦彦の12弦エレクトリックギター
(ヤマハ特注)はジョージ・ハリソンの影響だろう。

ワイルドワンズは再結成して現役で活動していた、
2009年には沢田研二を迎え入れたジュリー with ザ・ワイルドワンズで新曲
を発表し、コンサートを行った。

この人は気味よいくらい元気な爺さんでまだまだ現役だと思っていた。
加瀬さん、音楽をありがとう。
天国でもギターを弾いてください。

2 件のコメント:

provia さんのコメント...

こんにちは。

加瀬さんはとても残念でしたね。
直接お会いした事もありますが、とてもサービス精神旺盛な方で、
いつも楽しい事を考えておられたようです。

「シーシーシー」作曲時のエピソードが面白くて、
その日、加瀬さんは飲んで朝帰り...そんな時に
タイガースマネージャーの中井さんから作曲の依頼が
あって、しかもその日の11時までに作ってくれ...
との事だったそうで、酔った状態でほんの数時間で
書き上げた曲みたいです。

面白いエピソードをたくさん聞かせて頂きました。

合掌。

イエロードッグ さんのコメント...

>proviaさん

「シーシーシー」はそんな経緯があったのですか。
あの曲はカッコよかったですよね。大好きです。
映画のオープニングでも使われてましたが、今で言うプロモビデオ
みたいでよくできていました。
安井かずみ+加瀬邦彦のコンビは沢田研二がソロになってからも
いい曲をいっぱい作ってましたよね。

だいぶ前ですが「エレキの若大将」がDVD化された時に買って見てたら
加瀬さんがブルージーンズで演奏してるのを発見しました。
今だから気づくことも多いですよね。
映画で加山雄三が使ってたのは前半はテスコ(エレキ合戦のスポンサー)
、後半はヤマハ(ブルージーンズに楽器提供)、モズライト(ノーキー
からもらったそうです)だったというのも分りました。

でも加瀬さんがスパイダーズでかまやつさんと一緒にやってたというの
はわりと最近知りました。
加瀬さんは交友関係も広いから面白い話がいっぱいあったでしょうね。