2016年12月30日金曜日

早すぎたジョージ・マイケルの死。

今年はロックの巨人たちが相次いでこの世を去った。

デヴィッド・ボウイ(1/10)、グレン・フライ(1/18)、モーリス・ホワイト(2/3)、
ジョージ・マーティン(3/8)、キース・エマーソン(3/10)、プリンス(4/21)、レオン
ラッセル(11/13)、グレッグ・レイク(12/7)。

そして年も押し迫った25日、ジョージ・マイケルの訃報を知った。




彼を初めて知ったのは1983年の年末だった。
アンドリュー・リッジリーとワム!という二人組で活動していた頃である。

スキーツアーの宿泊先のテレビでたまたま「レッツゴーヤング」というトホホな
タイトルの番組(1)をやっていて、ワム!がゲスト出演していたのだ。

司会の太川陽介の紹介されワム!は踊りながら口パクで「Bad Boys」を歌った。
ノリのいいリズム、すぐ一緒に口ずさみたくなるようなメロディ、ポップなのに
大胆な曲調、ヴォーカルのキレに「これはただのアイドル・グループじゃない!
と確信したものだ。



ワム!はプロモーションのため初来日していたらしい。
この後「Club Tropicana」「Wake Me Up Before You Go-Go」「Careless 
Whisper」(2)、「Last Christmas」「Freedom 」と立て続けにヒットを飛ばす。

1984年には日立マクセルのカセットテープのテレビCMに出演している。
「Bad Boys」と「Freedom 」が使われた。(両方とも歌詞はCM用オリジナル)
翌1985年には来日し日本武道館などでマクセル提供のコンサートを行った。



↑「Bad Boys」が使われたマクセルのカセットテープのCMが見れます。



↑「Freedom 」が使われたマクセルのカセットテープのCMが見れます。





1986年にワム!を解散後、ジョージ・マイケルはソロで活動し始める。

その彼が久しぶりで姿を現したのが1986年6月20日のプリンス・トラスト
チャールズ皇太子主催のチャリティ・コンサートで、ロックが好きだった故ダイア
ナ妃の希望で豪華な面々が集結した。

エルトン・ジョン、フィル・コリンズ、ティナ・ターナー、エリック・クラプトン、
マーク・ノップラー、スティング、ロッド・スチュワート、デヴィッド・ボウイ、
ミック・ジャガー、ポール・マッカートニー、スザンヌ・ヴェガ、ポール・ヤング、
レヴェル42、ティナ・ターナー、そしてジョージ・マイケル。


1979年にウィングスの日本公演が幻となったポール・マッカートニーがそれ以来
初めてライヴに出演し大トリで「I Saw Her Standing There」「Long Tall Sally」
「Get Back」の3曲を歌ったこと(これがきっかけでポールはライヴ活動を再開)
は大きな話題となった。





大物アーティストたちによるデュエットもこのコンサートの目玉となった。
ミック・ジャガー&デヴィッド・ボウイの「Dancing in the Street」、エリック
・クラプトン&ティナ・ターナーの「Tearing Us Apart」マーク・ノップラー
&スティングの「Money For Nohing」と見所が満載。(3)


中でも一番印象に残っているのが、ジョージ・マイケルがポール・ヤングと一緒に
「Every Time You Go Away」を歌ったシーンだ。

前年ポール・ヤングが歌い全米1位を獲得した大ヒット曲である。(4)
(LAではカーラジオからこの曲がヘビーローテーションでかかっていたものだ)


オーディエンスも思いがけない二人のデュエットにひときわ盛り上がった。
無精髭をたくわえたジョージ・マイケルは魅力的でカッコいい。
先輩格のポール・ヤングとの息のあったデュエットを聴かせてくれ、しかも二人と
も楽しそうなので見てる側も嬉しくなった。



↑ジョージ・マイケル&ポール・ヤングの「Every Time You Go Away」が見れます。



1987年ソロ転向後の1st.アルバム 「Faith」 が大ヒット。
翌1988年はワールドツアーを実施。日本でも武道館などでコンサートを行った。

1990年には2nd.アルバム「Listen Without Prejudice Vol. 1」を発表。
本来2枚組になる予定だったが制作が間に合わず、続編として出す予定だったVol. 2
はソニー・ミュージックとの裁判が泥沼化してお蔵入りになってしまう。(5)

翌1991年、東京ドームを皮切りに2度目のワールドツアーを開始するがイマイチ。
ジョージ・マイケルこの後ツアーをやめると宣言。(6)



ジョージ・マイケルが神がかり的な歌唱力と存在感を見せてくれたのは、1992年
4月に開催されたフレディ・マーキュリー追悼コンサートであった。
残されたクイーンのメンバー3人ブライアン・メイ、ロジャー・テイラー、ジョン・
ディーコンが中心となりエイズ撲滅のために行われたチャリティー・コンサートだ。

1985年のライヴ・エイドでクイーンが伝説的なパフォーマンスを行ったロンドンの
ウェンブリー・スタジアムが会場に選ばれた。
72000席のチケットは発売開始から2時間で完売したという。

エルトン・ジョン、デヴィッド・ボウイ、ポール・ヤング、ロジャー・ダルトリー、
ロバート・プラント、アニー・レノックスらがクイーンと共演。



ジョージ・マイケルもクイーンの3人の演奏で「Somebody To Love」「These 
Are The Days Of Our Lives」「’39」の3曲を披露。(7)

ロンドンの聖職者たちによるゴスペル・コーラス隊をバックにジョージ・マイケル
熱唱した「Somebody To Love」は後に語り草になった名パフォーマンス。
この評判からジョージ・マイケルがボーカルとして加わり、新生クイーンが誕生す
るのではないかという噂さえ流れたほどである。(8)



↑ジョージ・マイケルの訃報で公開された「Somebody To Love」リハーサル映像。
本番よりいいくらいの出来!出演者の一人、故デヴィッド・ボウイも映っている。



最後に僕のお気に入りの「Heal the Pain」(1991)を紹介しよう。(9)
流れるような美しいメロディーと心地よいリズム、シンプルな楽器編成の静かな
ラヴ・ソングで、彼の作品の中でもとびきり素敵な曲だ。

エルヴィスやフレディ、フランク・シナトラ、スコット・ウォーカーと同じよう
に、ジョージ・マイケルは神様から特別な声を授かった人なんだと思う。
ありがとう。ジョージ・マイケル。安らかに。


How can I help you  Please let me try to 
辛いことがあるの? 僕にできることはないかな
I can heal the pain  That you're feeling inside  Whenever you want me 
その心の傷 僕なら癒してあげられると思うんだ どんな時でもね
You know that I will be Waiting for the day  That you say you'll be mine 
僕のことを好きと君が言ってくれる日をずっと待ってるよ 

             (作:ジョージ・マイケル、拙訳:イエロードッグ)


↑クリックするとジョージ・マイケルの「Heal the Pain」が聴けます。

 
<脚注>

(1)レッツゴーヤング
1974年4月〜1986年4月NHK総合テレビで毎週日曜18:00-18:40に放送されて
いた若者向けの音楽番組。当時の人気アイドル歌手が出演していた。
ジャパン、ベイシティ・ローラーズなど海外アーティストもゲスト出演している。


(2)「Careless Whisper」
ワム!在籍中だがジョージ・マイケルのソロ曲としてリリースされた。
(日本ではワム!名義)
全英1位・全米1位のヒットを記録。


(3)プリンス・トラスト1986
コンサートの模様は日本でも深夜にテレビ放映された。
後に映像作品化されたが、ミック・ジャガー&デヴィッド・ボウイの「Dancing 
in the Street」は収録されなかった。
客席でノリノリの故ダイアナ妃も映っている。
ダイアナ妃がファンだったというデュラン・デュランは出演しなかった。


(4)ポール・ヤングの「Every Time You Go Away」
英国のブルー・アイド・ソウルのシンガーとしてやヨーロッパでは人気があった。
1985年にホール&オーツのカヴァー曲「Every Time You Go Away」が全米チ
ャートで1位となり、世界的に広く知られるようになった。


(5)「Listen Without Prejudice」
ジョージ・マイケル本人はアルバムの出来に満足していたが、発売元ソニー・ミュ
ージック(SME)が充分なプロモーションを行わなかったため売れ行きは鈍った。
しかもSMEの社長が酷評したため、ジョージ・マイケルはSMEを相手に契約無効
を訴える裁判を起こし、これが泥沼化。
そのせいでVol.2の発売が無くなってしまった。


(6)2度目のワールド・ツアー
「Cover To Cover Tour」のタイトルどおり選曲内容は半分以上が他のアーティ
ストのカバー曲やワム!時代の曲で構成され、ソロデビュー後の曲はあまり歌
なかった。
日本ではそれらの曲がほとんど知られていないため評論家からは酷評された。
この後ジョージ・マイケル「ツアーは行わない」と発言。
しかし2006年秋からヨーロッパ・ツアーを行った。


(7)フレディ・マーキュリー追悼コンサートのジョージ・マイケル
1993年に「GEORGE MICHAEL and QUEEN with LISA STANSFIELD」名義
でミニアルバム「Five Live」がリリースされた。
「These Are The Days Of Our Lives」と「Somebody To Love」が収録。
売上金はフレディ・マーキュリー基金に寄付されたそうだ。


(8)新生クイーン
2005年から2009年までブライアン・メイとロジャー・テイラーの2人が、ポール
・ロジャースをヴォーカルに迎え「クイーン+ポール・ロジャース」で活動した。
その後は「クイーン+アダム・ランバート」としての活動も行なっている。
(ジョン・ディーコンは1997年の活動を最後に引退している)


(9)「Heal the Pain」
1991年2月「Listen Without Prejudice Vol. 1.」からシングル・カットされた。
2006年にポール・マッカートニーとのデュエットで再録され、ベスト・アルバム
「Twenty Five」に収録された。
 

<参考資料:日立マクセル(株)、Wikipedia他>

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