2019年1月14日月曜日

ホワイト・アルバムに収録されなかった曲とアウトテイク。

ホワイト・アルバム・リミックス2018にはシングルB面のレボリューションも
( A面のヘイ・ジュードと同様)リミックス対象にならなかった
レボリューションは「1」リミックスにも収録されていない。
プロモ・ビデオの方で音も聴いてね、ということなのかもしれないが。。。

それならプロモ・ビデオの音をアウトテイクとしてリミックスして欲しかった



(後ろで踊っているのはマル・エヴァンス)



演奏は(ニッキー・ホプキンスのエレピの間奏も含め)既にレコーディングされた
トラックを使用しているが、歌は実際に生で歌っている(レコードと違う)からだ。


まずイントロの後、ポールのシャウトが入る。
Don't you know that you can count me outの後ジョンはinと付け加えている。
(俺を仲間にしないでくれ、いや入れてくれ)

レボリューション1ではinが入るがシングル・ヴァージョンはこのinがない。
inを付けるかどうかジョンは迷ったが、レボリューション1では付けることにした。
後に「どっちでもいいということさ」と言っている。
シングルでは社会的影響力を考え破壊行為に参加せず(inなし)としたのだろう。


最初のAll right…あと後のヴァースではポールが上にハモる。
またWe'd all love to see the planからポールとジョージのコーラス、shooby do bop,
shooby do wopが入る。(レボリューション1と同じ。シングルには入っていない)

エンディング近くでもDon't you know it's gonna beのコーラスが入る。
ジョンのAll rightの歌い方も違う。
だからビデオ・ヴァージョンもアウトテイクといえる。



↑クリックするとレボリューションのプロモ・ビデオが視聴できます。



<レボリューションのプロモーション・ビデオ>

このプロモ・ビデオも1968年9月4日の午後、ヘイ・ジュードの撮影の後に同じトゥイッ
ケナム・フィルム・ スタジオで収録された。監督はマイケル・リンゼイ=ホッグ。


フェンダーのツインリバーブの赤い電源ランプが付いているのは実際に生で演奏してい
るように見せるため。視聴者にではなく、ユニオンがうるさいからだった。
(英国ではラジオやテレビに出演する際、生演奏しろという規則があった)

ジョンは塗装を剥がしたエピフォン・カジノ、ジョージはクラプトンにもらったレスポ
ール、ルーシーを弾いている。
リンゴのラディック・ブラックオイスターのドラムセットはヘイ・ジュードの時と同じ。


注目すべきはポールが久しぶりでヘフナー500-1を持っていること。しかも1961年製。
キャバーン時代から「She Loves You」の録音まで使用していた初期のモデルだ。
リア・ピックアップがフロント寄りに配され、ヘッドにはバーチカル・ロゴと呼ばれる
縦書きの「Hofner」文字が見られる。

弦の下にスポンジが入っているのは音をミュートさせるためだろう。
ポールはこの後、1月上旬に行われたトゥイッケナム・フィルム・ スタジオでのゲット・
バック・セッションでもこの1961年製ヘフナー500-1を弾いている。

だが、後半アップル・スタジオおよび屋上ライブでは1963年製の500-1(1966年の北米
ツアーまで使用。現在もこのベースは現役である)を弾いていた。



<レボリューションのレコーディング過程>

6月21日に完成したレボリューション1はシングル向きではないとポールとジョージに
指摘されたジョンは、アップテンポにリメイクすることにする。

7月9日。アビイ・ロード第3スタジオでリハーサルを開始。
この日に試し録りされたと思われるリハーサルがアウトテイク集に収録された。
まだギターの音は歪んでいない。



↑クリックするとレボリューションのリハーサルが聴けます。


翌10日。ジョンとジョージのギター、ドラムで10テイク録音。
最終テイクをベストとしリダクションを行い、ジョンのボーカルをオーバーダブ。
リダクション後の演奏だけのテイク14も今回のアウトテイク集に収録された。
完成形に近い。


ジョンは極限まで音を歪ませたがった
機材に負荷がかかるのでこれ以上は無理とジェフ・エメリックが言っても、もっと
暴力的な音に、と譲らなかったという。

ということはエフェクター+アンプのディストーションではなく、コンソールにダイレ
クトインしてフェアチャイルドかアルテックのコンプレッサーを使ったのだろう。
エンジニアたちは機材がぶっ壊れるんじゃないかと冷や冷やしただろうなー。


翌11日、ポールのベースとジョンのリードギター、ニッキー・ホプキンスによる
エレクトリック・ピアノの間奏をオーバーダブ。
7月15日にシングル用のモノラルミックスが作られた。
が、2週間後ポールが持ち込んだヘイ・ジュードにA面の座を譲ることになる。








<ホワイト・アルバムの未発表曲>

8月7日から12日まで107テイク重ねてもジョージ自身、納得がいく仕上がりにできな
かったノット・ギルティは結局、ミックスダウンされずお蔵入りになった。

正直言って饒舌でかったるい曲である。
サージェント・ペパーズのセッションで録音されたものの、イエロー・サブマリンに
回されたオンリー・ア・ノーザン・ソング、イッツ・オール・トゥ・マッチの類かも。
ビートルズの楽曲のレベルとしては低い。ホワイト・アルバムから外したのは正解。


アンソロジー3で発表されたものと同じテイク102が今回のアウトテイク集に収録
今回は最初のカウントが入り、フェードアウトせず最後まで通して収録。
執拗で耳障りなジョージのオブリとソロは抑えられて少し聴きやすくなった。






もう1曲ホワイト・アルバムから落ちたのがホワッッ・ザ・ニュー・メリージェーン。
ジョン、ヨーコ、ジョージによる前衛というか意味不明の作品。
8月14日に録音。
ポールとジョージ・マーティンはビートルズの作品として入れるべきでないと反対。

アンソロジー3ではテイク4が発表された。
今回のアウトテイク集にはテイク1が収録されている。
ジョンのアコギとボーカル、ピアノだけ。変なSEがかぶってない分まだ聴きやすい。




<ホワイト・アルバム以前のセッション>

ビートルズのインド滞在が2〜4月。5月にジョージ宅でのイーシャー・デモ。
ホワイト・アルバムのセッションは5月30日〜10月14日に行われた。

1968年初頭、インド訪問の前にもレコーディングが行なわれている
アウトテイク集にはその数曲のアウトテイクが収められた。



ビートルズはインド修行で英国を離れる3月にシングルを発表することにしていた。

レディ・マドンナを1968年2月3日アビーロード第3スタジオで録音開始
ポールのピアノとリンゴのドラムだけで3テイクを録音。
テイク3にポールのボーカルとベース、ジョンとジョージのギター、リンゴのドラム、
ジョンとジョージのスキャットをオーバーダブ。

2月6日、リダクションして空きトラックを作り、ポールのボーカルとピアノ、ハンド
クラップ、ジョンとジョージのsee how they runのコーラス、間奏部分の3人による
コーラス(口を手で押さえてこもった音を出す)をオーバーダブ。
再度リダクションを行いサックス・プレーヤー4人の演奏をオーバーダブした。





アウトテイク集にはポールのピアノとリンゴのドラムだけのテイク2が収録された。
ポールのピアノを完コピしたい人にはありがたい音源だ。

それからテイク3に加えたジョンとジョージのスキャット、タンバリンだけの音。
ジョンとジョージはポテトチップス(1)を食べながら歌ったそうでその音も入ってる。
この音源は要らないような気がする。



ジ・インナー・ライトはレディ・マドンナのB面曲。

1968年1月12日、インドのムンバイ(旧ボンベイ)でジョージが現地のミュージシャン
を使って演奏だけを録音。
ジョージは映画「ワンダーウォール」(2)のサウンドトラック制作のためムンバイEMI
スタジオにいたのだが、その空き時間に5テイク録音されている。




2月6日、テイク5をアビーロードの4TRレコーダーに移しテイク6とする。
ジョージは「歌いこなす自信がない」と消極的だったが、ポールに「この美しい曲は
君じゃなきゃ歌えない」と励まされて無事録り終えた。
2月8日、ジョンとポールのコーラスをオーバーダブして完成。

アウトテイク集にはこの演奏だけのテイク6が収録された。聴いてて面白くない。
ビートルズのメンバーは誰も演奏していない。
ジョージのインドものの中では一番好きだが、この曲は繊細なジョージのボーカルが
あってこそ。







アクロス・ザ・ユニバースも当初はシングル曲候補でレディ・マドンナのB面になる
はずだった。
が、ジョンがこの曲の仕上がりに満足しなかったためジ・インナー・ライトに譲る。
その後アクロス・ザ・ユニバースは数奇な運命を辿ることになる。


2月4日のセッションではジョンがアコースティックギターを弾きながら歌う。
リンゴのドラム、ジョージのタンブーラ、など試行錯誤しながら7テイクを録音。

ポールはスタジオの前でたむろしていたファンの女の子2人をスタジオに招いて、
Nothing's gonna change my Worldのコーラスをテイク7に加える。


2月8日、ジョンはとアレンジを模索し続ける。
ジェフ・エメリックは「ジョンのボーカルとギターだけで充分美しいと説得を試みた
が、ジョンは何かが足りないと納得しなかった」そうだ。

ジョンのメロトロン、ジョージ・マーティンのオルガン、ジョンのワウ・ギター、
ポールのピアノ、ジョージのマラカス、3人のコーラスが加えられる。
結局、ジョンはこの曲を断念。シングル曲候補から外すことにした。





アクロス・ザ・ユニバースは放置されていたが、1969年10月(アビーロード発売後)
に改めてミックスが行われる。(ジェフ・エメリックが担当)
12月12日リリースの世界野生動物基金のチャリティアルバムNo One's Gonna Change 
Our World(3)に収録されることになったのだ。
回転速度をかなり速め曲頭とエンディングに鳥の囀り、羽ばたきのSEが入れられた。


1970年1月5日。グリン・ジョーンズがアルバム、ゲット・バックを再リミックス(4)
映画が公開される事が決まり、映画との整合性をとるために(トゥイッケナム・フィ
ルム・スタジオでのリハーサル時にアクロス・ザ・ユニバースを演奏しているシーン
がある)この曲をアルバムに収録する事になったためだ。

グリン・ジョーンズは女声コーラスやビートルズのコーラスも削除
これは「オーバーダブをしない」ゲット・バック・セッションの当初のコンセプト
沿ったものだったと思われる。鳥のさえずりや羽ばたきもカットされた。
しかしゲット・バック2nd.ミックスも結局、未発売となる。





1970年3月23日、ジョンとジョージは膨大な量のゲット・バック・セッションのテー
フィル・スペクターに委ね、映画と整合性が取れるアルバム制作を依頼する。
ポールはこの件を知らされてなかった。
これが後にレット・イット・ビーとして発表されるアルバムである。


フィルは映画で演奏されていたアクロス・ザ・ユニバースの収録を決める。
今度は逆にテープの回転を下げ、素人のコーラスなど以前のオーバーダブを全部カット。

1970年4月1日。ビートルズ名義の最後の録音セッション。
と言っても、ビートルズのメンバーで参加したのはリンゴだけ。(ドラムを叩いた)

女声コーラス14名、オーケストラ36名のウォール・オブ・サウンド処理が行われた。
アルバム、レット・イット・ビーに収録された新アクロス・ザ・ユニバースを聴いて、
ジョンは絶賛したそうだ。






2003年にはリミックスアルバム、レット・イット・ビー...ネイキッド(5)が発売された。
ここにリミックスされたアクロス・ザ・ユニバースは正規の回転数で、ジョン本来の声、
アコースティックギター、ジョージのタンブーラだけというシンプルな構成。
ネイキッドは賛否両論だが、このアクロス・ザ・ユニバースは絶品だと思う。

1968年2月に録音されたもののシングル候補から外れ、2年近く経ってチャリティ・アル
バムで回転を速くされ、幻のアルバム、ゲット・バックに収録されかかるが流れ、レット
・イット・ビーで回転の遅いウォール・オブ・サウンドに加工され、翻弄され続けたが
ネイキッドでやっと本来の美しさが表現された。。。と僕は思う。


今回のアウトテイク集にはその発端、2月4日のセッションで録音されたテイク6が
収録されている。
ジョンの弾き語りにリンゴのタムだろうか。これだけでも充分という気がする。



↑クリックするとアクロス・ザ・ユニバース テイク6が聴けます。



もう1曲、インド訪問の直前の2月11日に録音された曲がある。
ジョン作曲のヘイ・ブルドッグである。

この日はレディ・マドンナのプロモ・ビデオの撮影でスタジオに入っていた。
せっかくだから何かやろうよ、ということで撮影カメラが回る中、ビートルズはベーシ
クラックを10テイク録音。
最後のテイク10にボーカルとコーラス、ベース、タンバリンをオーバーダブした。


キレのいい間奏のギターはポールではないだろうか。
タックスマンやグッド・モーニングに通ずるプレイに思える。
4人は10時間でこの曲を仕上げミックスダウンまで終わらせている。


レディ・マドンナのプロモ・ビデオは本当はヘイ・ブルドッグを演奏している。
「1」では本来演奏しているヘイ・ブルドッグのプロモ・ビデオとして見られる。





↑クリックするとヘイ・ブルドッグのプロモ・ビデオが視聴できます。


今回のアウトテイク集に残念ながらヘイ・ブルドッグは収録されなかった
当初はBullfrogと歌っていたらしい。そういうリハーサルテイクはなかったのか?




5月末〜10月中旬のホワイト・アルバム・セッションであれだけ仲が良かった4人の
には緊張(tension)と距離(distance)ができてしまった。
それでも4人のバンド・サウンドはすごい。そう思わせてくれるアルバムだ。

11月22日に英国でホワイト・アルバムが発売された。





ジョージは年末にウッドストックのディラン宅を訪れ、ザ・バンドとも親しくなり有意
義な時間を過ごした。(またビートルズに戻るのは気が滅入ったそうだ)


ジョンはクラプトン、キース、ミッチ・ミッチェルとダーティー・マックというユニット
でストーンズのロックンロール・サーカスに出演。
その収録は12月10日。その日、遠く離れた日本では三億円強奪事件が起きていた。






<脚注>



(1)ポテトチップス
アメリカ英語で「chips」といえばポテトチップスやトルティーヤチップスのこと。
でもイギリス英語だとポテトチップスは「crisps」。
「chips」は「フライドポテト」のことになる。
「Fish and Chips」はタラなどの白身魚のフライにフライドポテトを添えたもの。
イギリスではファーストフードの定番ですよね。
アメリカではこのフライドポテトのことを「french fry」と呼ぶ。間違えないように。


(2)映画「ワンダーウォール
1969年1月に英国で公開されたB級サイケデリック映画「Wonderwall」の邦題。
主演のジェーン・バーキンは劇中ではペニー・レインというモデルを演じていた。
この当時のジェーン・バーキンは本当に美しい。
スウィンギング・ロンドンのファッション、ポップカルチャーも興味深い。
日本で同年の5月に公開されたが、その後2005年DVD化されるまで幻の映画だった。
ジョージが手がけたサウンドトラック盤Wonderwallの邦題は「不思議の壁」
エリック・クラプトンが参加。インド音楽色が強い。
ちなみにオアシスの「ワンダーウォール」はこの映画タイトルからつけられた。




(3)No One's Gonna Change Our World 
世界野生動物基金のチャリティアルバム。1969年12月12日に発売された。
スパイク・ミリガンによるコンピレーションで、シラ・ブラック、ホリーズ、
クリフ・リチャード、ルル、ビー・ジーズらが曲を提供。
ビートルズの未発表曲アクロス・ザ・ユニバースは目玉であった。




(4)アルバム「ゲット・バック」を再リミックス。
「原点に戻る」とのポールの提案で始まったゲット・バック・セッション。
デビュー時の様にオーバーダブなしのライブでアルバムを作る、その制作過程をフィ
ルムに収めドキュメンタリー番組をテレビで放送する、コンサートも企画された。
1969年1月2日にトゥイッケナム・フィルム・スタジオにメンバーたちは集まる。

4人は昔の曲をうろ覚えでダラダラ演奏するまとまりのないセッションを繰り返す。
薄ら寒い撮影スタジオで常にライトを当てられ撮影されているプレッシャー。
張り切るポールとは逆にしらけてヨーコといちゃつくジョン、ジョージはポールとの
口論で1月10日に一時脱退。数日後にジョージは復帰するがテレビの企画は中止。


1969年1月22日からアップル・スタジオに場所を変えてセッションを再開。
ジョージはアップルに居合わせたビリー・プレストンをセッションに誘う。
外面の良いジョンとポールに外部の人間を入れるのは効果的だった。
1月30日の屋上でのコンサート、翌日のスタジオ録音を最後にプロジェクトを放棄。
90時間以上の撮影・録音テープを残したままビートルズはアップルスタジオを去る。


3月初旬、ジョンとポールはグリン・ジョーンズに1月の録音テープからアルバムを
作るよう依頼。つまり、丸投げだ。
4月11日シングル「ゲット・バック / ドント・レット・ミー・ダウン」が先行発売。

1969年5月28日。グリン・ジョーンズはアルバム、ゲット・バックを完成させる。
デビューアルバムと同じ場所、同じ構図での写真撮影は「原点に帰る」を感じさせた。
しかし、このアルバムは発売延期となる。
(既に北米のラジオ局用に作ったサンプル盤から海賊盤が出回ることになった)




ゲット・バックは棚上げのまま7月にアビーロード・セッションが始まる。
9月26日にアビーロード発売。

年が明け1970年1月5日、収録曲を入れ替えて再度グリン・ジョーンズはアルバム、
ゲット・バックに編集を行う。映画公開が決まっていたからだ。
映画で演奏されているアイ・ミー・マインをジョン抜きの3人で1月3日に録音。
しかしグリン・ジョーンズのゲット・バック2nd.ミックスもお蔵入りとなった。


ジョンとジョージはゲット・バック・セッションの膨大なテープをフィル・スペク
ターに託しアルバム、レット・イット・ビーとして制作が開始される。
ポールはこの件を知らず、自分の楽曲への過剰なアレンジに激怒。脱退宣言をする。
レット・イット・ビーは5月8日に発売された。



(5)レット・イット・ビー...ネイキッド
当初の「オーバーダブをしない素のアルバム」というコンセプトから、現在のアーロー
ドのエンジニアが、当時のマスターテープから改めてリミックスしたものである。
ポール、リンゴ、ヨーコ、オリビアは意見は出したが、制作には一切関わっていない。

和久井光司氏か萩原健太氏が言ってたと思うが、グリン・ジョーンズのゲット・バック
がすっぴんのブスだとしたら、フィル・スペクターのレットイット・ビーは厚化粧、
ネイキッドは化粧っ気はないけど継接ぎの整形美人。なるほど。
複数のテイクからいいとこ取りで繋ぎ合わる処理が行われているし、完全に別なテイク
を使用した曲もある。
演奏後の話し声はすべてカットされた。そのため早く音が絞られ不自然な印象もある。


<参考資料:THE BEATLES Anthology、THE BEATLES RECORDING SESSIONS、
THE BEATLES 楽曲データベース、ビートル・ソングス、レコードコレクターズ、
Paul McCartney-Many Years From Now、George Harrison-I Me Mine、
ジェフ・エメリック-ザ・ビートルズ・サウンド 最後の真実、Wikipedia他>

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