2021年2月14日日曜日

フィル・スペクターのウォール・オブ・サウンドの秘密。



<ウォール・オブ・サウンドの正体とは?>

ウォール・オブ・サウンド=当時としては珍しい多重録音と巧みなエコー処理による
ぶ厚い音の壁のような迫力のあるサウンド、という解釈が一般的のようだ。

しかし、それは誤解である。


フィルのウォール・オブ・サウンドは音を重ねてはいるが、マルチトラック・レコー
ダーで後から重ね録り(オーヴァーダブ)して行く、いわゆる多重録音(1)ではない。

音を重ねる=ピアノ、ベース、ギターなどの演奏者をそれぞれ複数集め、ユニゾンで
弾かせることで音量、音圧、音の幅や奥行きを得る、というやり方であった。




18人から23人ものミュージシャンが一度に演奏するのを録音しているのだ。
標準的なセッションはドラムス×1、ギタリスト×4、ベース×2、キーボード×3~4、
サックス×3~4、トロンボーン×2、トランペット×2、パーカッション×多数。
(ドラムスも2人という時もあった)

基本的にリズム・セクションとホーン・セクションによるバッキング・トラックは、
スタジオでのライヴ・レコーディング、つまり一発録りであった。
一発で演奏した音をミキサーでバランスを取っているだけで多重録音はしてない。


エンジニアのラリー・レヴィンによると、ギターから始めることが多いらしい。
1時間ほど4~8小節ごとリハーサルを繰り返しフィルが聴いて変更を加える。
フィルが満足するまで何度も繰り返す。ランスルーが40回に及ぶこともあった。

次にピアノを加え、同じようにギターとぴったり合うように繰り返す。
ベースを加え、最後にホーンとドラムで仕上げる。




個々の楽器の音の輪郭が増幅され溶け込んで一体化した音の塊となる
バックコーラスも壮大なクワイア(聖歌隊)のように聴こえる。

その音の壁の中から、特定の音(例えば楽器のソロやオブリ、ヴォーカル)
浮かび上がらせることで、より煌びやかに輝せ際立たせる効果も得られる。
これがウォール・オブ・サウンドの正体だ。


後にフィルを敬愛するブライアン・ウィルソンがビーチボーイズのアルバム、
ペットサウンズと未完のスマイルのレコーディングで同じ方式を採った。



↑ドラムスのハル・ブレインに指示を出すブライアン・ウィルソン。


それらのアウトテイクが発表されたが、ビーチボーイズ研究の一人者でもある山下
達郎が「多重録音で複数のピースをつないでいる、ここがつなぎ目だろうと思いな
ら聴いてたが、一曲通して一発録音と分かって驚いた」と言っていた。(2)



レコードのステレオ化が進みサウンドの分離が優先された時代に、フィルがモノラル
・ミックスにこだわったのは音を一つの塊で聴かせたいからである。
(ステレオでの楽器の分散はウォール・オブ・サウンドと相反すると考えていた)(3)
家庭用ステレオではフィルがスタジオで聴いた音は正確に再現できないのも理由の一つ。

ブライアン・ウィルソンもまたモノラルにこだわった。
ステレオだとリスナーのスピーカーの設置条件に音場が委ねられてしまうからだ。



<フィル・スペクターの録音方法>

スタジオに演奏者を集め、大量の立ちマイクで拾った音を12chミキサー(マイク
入力12系統)で音量バランスを取りながら、ダイレクトに当時アメリカで標準だ
った1/2インチテープの3トラック・レコーダー(4)にモノラル録音していた。

フィルの録音が行われたのはゴールドスター・スタジオのスタジオA。(5)
35x33フィート(10.7mx10m)、天井高14フィート(4.3m)の小さな部屋だ。




写真を見ると、狭い部屋にひしめくようにミュージシャンが座っている。
まるで高校のブラスバンド部の練習風景のようだ。

ラリー・レヴィンによると、小さな部屋で多人数が同時演奏する時の空気振動の
圧力がウォール・オブ・サウンドで、人数が増えるほど音が締まってくるという。
人の集団が音を吸収し、体が壁を構成するかららしい。

ベースやエレキギターのアンプには10cm程度のほぼベタ付けで、生音を拾う楽器
のマイクは30〜50cmの標準的な距離(6)でセットされているようだ。
音を遮るパーテーションはほとんど使われない。


こういう密状態では真近にあるマイクだけでなく、隣接した別のマイクにも音が
漏れて録音されてしまうのは避けられない。
本来拾ってはいけない別の楽器の音がディレイのように入ってくる
それらが重なり合って壁のように聴こえるのがウォール・オブ・サウンドなのだ。


前回書いたテディ・べアーズ時代にフィルが試みたという「スピーカーから鳴らし
た音をマイクで拾い、それに音を重ねる」という素人っぽい初歩的な多重録音。
このアンビエント感のある音作り経験を活かしているのではないだろうか。


テディ・ベアーズでフィルと組んでいたマーシャル・リーブは「ウォール・オブ・
サウンドはテディ・ベアーズで試みた実験の発展形だ」と述べている。
「ウォール・オブ・サウンドは透明な壁サウンドというより空気の動きだ。
音が混じり合い輪郭がぼやける。僕らが録ってたのは部屋の空気感なんだ」




上の写真では、ALTECの大型スタジオモニターが設置されているのが分かる。
ミュージシャンたちに録音した音を聴かせるためだが、(深読みすると)モニター
から出る音を再度マイクで拾うという裏技もあったのでは?という気がする。

(高校生の頃アコギの音をステレオからモニターしながら録音を試みたことがある
が、低音が増し独特な響きが得られた。ハウリングを抑えるのが難しかったけど)




<フィル・スペクターのエコー処理>

多くの人がフィルの独特のサウンドは深いエコーをかけることで生まれると思って
いたが(確かに深いエコーをかければそれ風に聴こえる)エコー処理はウォール
・オブ・サウンドの本質的なテクニックではない

上述のように過密な状態で大人数が出す音の塊がウォール・オブ・サウンドだ。
それとゴールド・スタジオ独自の音響特性(後述)が貢献している。
エコーは使ってはいたが、それはスパイスのようなものだという。


ゴールドスター・スタジオのエコー・チェンバー(ルームエコー)は響きの良さ
人気が高かった。
創設者の一人、デヴィッド・ゴールド自らがチェンバーの設計・施行をしている

このエコー・チェンバーは門外不出で、仕様は明らかにされなかった。 (7)
フィルの音楽制作には不可欠なフレーバーを加える装置である。



<ゴールドスター・スタジオならではの音響特性>

ゴールドスター・スタジオはハリウッドの中心、パラマウントの近くにあった。
1950年にハリウッド在住の音楽作家や映画・TV制作関係者のデモ作りの独立系
スタジオとしてスタートしている。




キャピトル、コロムビア、RCAなどのメジャー系スタジオにような伝統的な方法
やルールに縛られない、ユニークで柔軟性に富んだ運営
独自の技術による時代を先取りした音で評価を高め、大きな成功を収めた。

デヴィッド・ゴールド手作りのミキシング・コンソール(調整卓)は、回路を
全て真空管で構成され、音抜けが良かったという。
特にスタジオAに置かれた2号機はフィル・スペクターのお気に入りだった。
他の機材も選りすぐられたものであった。(8)


ラッカー盤に溝を刻むカッティング・マシーン(高度な技術を要する)もゴール
ドによる手作りで、優れた音質と高い音量・音圧を得ることができた。

エンジニアのラリー・レヴィンやカットマン(カッティング技術者)の力も大だ。
こうしたスタッフの技量もフィルの理想の音作りには欠かせなかった





<作曲陣、アレンジャー、レッキング・クルーの演奏力>

忘れてはならないのはフィルがゴフィン&キング、グリニッチ&バリー、マン&
ウェイル、リーバー&ストーラーなどニューヨークの売れっ子作曲家コンビと
パイプを持ち、楽曲を提供させていたことだ。

そして楽曲を料理するアレンジャーにジャック・ニッチェを起用したこと。
フィレス・レコード専属となったジャックは、映画音楽も数多く手がけていて、
クラシックやジャズ・オーケストラの理論を応用し音数が多い。
ストリングスの重厚さはワーグナーを愛したフィルの理想に沿うものだったはず。
歌伴という従来のポップスのバッキングの常識を塗り替えるものだった。


                                                                          (写真:gettyimages)


フィルの要求をすべて満たせる腕利きプレイヤー集団レッキング・クルー(9)
エンジニアのラリー・レヴィンの存在。
理想の音が得られるゴールドスター・スタジオで納得が行くまで録音に時間を
費やすワガママが許される独裁体制であったこと。

これらの条件が揃って、フィル・スペクターのウォール・オブ・サウンド勝利の
方程式が出来上がったのである。


(次回はフィル・スペクターの第二次黄金期、ビートルズとの関係について)


<脚注>
(1)多重録音

多重録音技術は1947年にレス・ポールが考案。1950年にNolaをヒットさせた。
同年パティ・ペイジの多重録音による二重唱Tennessee Waltzがヒットした。
さらにレス・ポールは1953年に8トラック・レコーダーを完成させている。
1960年には多重録音は既に珍しいものではなくなっていた。
フィル・スペクターがテディ・ベアーズで行なった多重録音は、スピーカーから
鳴らした音をマイクで拾いながらそれに音を重ねるという、いわば素人芸である。
が、ここにウォール・オブ・サウンドの原点があるのだ。


(2)ブライアン・ウィルソンによるスペクター方式の録音
Good Vibrationがいい例だと思う。
複数のピースで構成され変化する曲だが、演奏は最後まで通しで録音されている。

大瀧詠一によると、ブライアンは真似しようとしたがスペクター・サウンドを
正確には解明できていなかったという。(だからエコーのブレンドを試みた)
意外にもウォーカー・ブラザーズがスペクター・サウンドやっていたそうだ。
アレンジにフィル御用達のジャック・ニッチェを起用したのも大きいらしい。
ブライアンの場合はヴァン・ダイク・パークスがその役を担っていた。



(3)ウォール・オブ・サウンドとステレオ・ミックス
ウォール・オブ・サウンドはステレオでも充分成立しうることを、1970年初頭に
フィルはジョン、ジョージのソロ作品で証明した。


(4)ゴールドスター・スタジオの造り
1950年に建てられたゴールドスター・サウンドスタジオは古い店舗を2つのスタ
ジオに改装したもの。天井高14フィート(4.3m)しかなかった。
(通常スタジオは天井高20フィート以上)
バスルームがベストな残響が得られるためエコー・チェンバーとなった。


(5) 3トラック・レコーダー
米国では1950年代後半(英国は1960年代初頭)2トラック録音が主流となった。
1950年代末から1960年代前半は、各国で4トラック録音が普及。
8トラック録音は米国で1960年代半ば、英国ては1960年代後半から主流となった。
1964〜1965年キャピトルがビートルズのハリウッドボウルでの公演を収録した
際は3トラック・レコーダーが使われた。(4トラックは門外不出だったのか?)
ジョージ・マーティンは初めて見たそうで、使いにくく最悪だったと言っている。



(6)マイクの距離
マイクをセットする場合、楽器やアンプとの距離、位置で音質、音量、音圧、聴
こえ方は大きく変わる。
例えば1960年代、英国EMIでは機材の保護のためマイクはドラムから60cm以上
離してセットすることが規則として決められていた。
(ビートルズはこうした厳格で不条理な規則を嫌い、古い機材に文句を言ってた。
8トラックレコーダーはEMI職員が一旦バラし、1年かけて隅々までチェックした後
でないと使えない、という馬鹿げたことが行われていたのだ。
ジェフ・エメリックがビートルズのエンジニアに就任すると、ビートルズの要望に
応えて太く大きい音を録るため、マイクをギリギリまで近付ける、スピーカーを
マイク代りにベースアンプにセットする、など実験が行われるようになった)

まあ、NHKを基準とする日本のレコード会社も同じような感じだったのかな(笑)

セックス・ピストルズのレコーディングではマイクを15センチの距離に。
アラン・パーソンズはピンクフロイドの録音でマイクの距離を1.2m取っていた。
Zepでボンゾのドラムスにアンビエント感が欲しい時マイクを10m離したそうだ。
ビートルズもMother Nature's Sonのドラムスは廊下でマイクを遠くに置いている。

このように欲しい音によってマイクの立て方を変えるのが欧米のやり方だ。
必ずしもデッドな空間のスタジオではなく、普通の部屋のような適度な吸音と
反響、空気感が得られる場所で録音することも多い

近年の日本では基本的にアンプの前にベタ付けで収録することが多いようだ。
そして空間系のエフェクトで後処理してしまう。この差は大きいと思う。


(7)1960年代に使われていたエコーの種類

・ホール・エコー
コンサート会場や教会などで得られる反響音。
サイモン&ガーファンクル、フィフス・ディメンションも利用していた。

・エコー・チェンバー(ルームエコー)
録音のための残響室で、たいていスタジオの下に設置されていた。
音を反射する硬いコンクリートなどで内装処理した部屋でそれぞれ特性が異なる。
1930年代から1970年代まで盛んに使用されていた。

・プレート・エコー
畳4〜5畳ほどの鉄板の端に設置したドライブ・ユニットから出た音を共鳴させ、
反対側の端に搭載されたピックアップ・ユニットで共鳴音(エコー)を拾う。

・スプリング・リバーブ
複数本張られたスプリングに振動を与えることで得られる共鳴音(エコー)。
残響に独特のクセがあり俗にバネ臭いと言われる。
フェンダーのギター・アンプ、昭和の家庭用一体型ステレオにも搭載されていた。

・テープ・エコー
磁気テープに録った音を他の再生ヘッドで再生し得られる遅延効果(ディレイ)。
アナログならではの温かみが得られる一方、ヒスノイズも生じる。

・アナログ・エコー(ディレイ)
アナログ回路で電気的に残響音を発生させるエコー・マシーン(ボックス)。
ギターのエフェクターもあった。
アナログならではの温かみが特徴だが、音の劣化、ヒスノイズも生じやすい。

※現在のデジタル・ディレイでは上記エコーのシミュレーションが行える。


 (8)ゴールドスター・スタジオのエコー・チェンバーの秘密
友好関係のA&Mスタジオにも・チェンバーの仕様を明かすこと拒んだという。
唯一部外者で秘密のチェンバーの内部を見たのはビージーズのモーリス・ギブ。



(9)ゴールドスター・スタジオAの主要機材(1965年以前)
ミキシング・コンソール: CUSTOM DESIGN 12IN x 3OUT 
レコーダー: AMPEX 350-3、AMPEX 350-2
モニター・スピーカー: ALTEC 603 + 614 enclosure x 2 
カッティング盤:  Scully lathe x 2
外付け機器: 2 ACOUSTIC ECHO CHAMBERS
マイクロフォン: Neumann U47 & U67、RCA 44BX、Sony C-37、
                               Electro-Voice EV666 & RE-20.
スタジオ・モニター: ALTEC Voice of Theater (A-5)


(9)レッキング・クルー
L.A.の腕利きのスタジオ・ミュージシャン集団。
1960年代〜1970年代のアメリカのヒット・チャートを支えてきた猛者たちだ。
一つのバンドではなく、必要な時に必要なミュージシャンをスタジオに派遣する
流動的なセッションマンのユニットである。


↑ハル・ブレイン。Be My Babyのイントロのドン・ドドンも彼が考案した。

リーダーのハル・ブレインは世界で最も多く録音に参加した(9000曲)ドラマー。
トミー・てデスコは世界で最も多くレコーディングした(7000曲)ギタリスト。
シェールはバッキング・ヴォーカルからソロ・シンガーへ。
グレン・キャンベルはセッション・ギタリストからカントリーのシンガーへ。
R&Bのレオン・ラッセルもセッション・ピアニストとして名を連ねていた。
バーニー・ケッセルはジャズ・ギタリスト。
ベースのライル・リッツはジャズ・ウクレレ奏者としても活躍していた。
キャロル・ケイはセッション・ベーシストの第一人者。
アール・パーマーはスネアドラムでのバックビート奏法を始めた伝説のドラマー。
ラリー・ネクテルは後にS&G「明日に架ける橋」でピアノを弾いた。
マルチ・プレーヤーのデヴィッド・ゲイツは後にブレッドを結成する。


<参考資料:名盤レコーディングから読み解くロックのウラ教科書、
HMV&BOOKS online、芽瑠璃堂、フィル・スペクター 甦る伝説、Wikipedia、
ジェフ・エメリック ザ・ビートルズ・サウンド 最後の真実、Sound&Recording
What's Wall Of Sound?、Sonic Bang ウォール・オブ・サウンドの秘密、他>

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