2021年7月1日木曜日

ロックのレジェンドに学ぶ服飾術(2)エリック・クラプトン-1



クラプトンは半世紀にわたり音楽だけでなくファッションでもカリスマだった。
クリーム時代、レイドバック時代、アルマーニからストリート系、ヴィンージ・
ジーンズまでカッコよく着こなしてしまう。
50代、60代になっても渋く、あんなジジイになれたら・・・と憧れたものだ。

今回と次回、クラプトンの写真てんこ盛り。理屈抜きで楽しんでください。
時代とともにしなやかに変化しつつも、クラプトンらしさは変わらない。
服選びの目利き、彼自身のマイブーム、各アイテムのクラプトン流着まわし。
ぜひ参考にしたいものです。クラプトンにはなれないからあくまでも参考に。



<ヤードバーズ時代>



↑ヤードバーズ時代にグレッチを使ってたなんて意外。
ダブルカッタウェイのホロウボディはたぶんG5422Tだろう。色はオレンジ。
明るく歯切れのいい、それでいて深みのあるいい音がする。
で、アンプはVOX AC-30。いいチョイスだ。
(後のデレク&ドミノスではグレッチの6022ランチャーを使用している。
三角のサウンドホールとオレンジ色がユニークなアコースティックだった)

当時の英国バンドはスーツにネクタイが主流だが、俺は着ないもんね、と
いう反骨精神か。さりげなくワンロールしたジーンズにも注目。



ヤードバーズのボーカル、キース・レルフはこう語っている。
「エリックは鏡の前でギターを抱え、ステージでの見え方を研究していたよ。
ヤードバーズがステージに上がるとエリックの前に女の子が群がるんだ。
あいつの悲しそうな目が女の子をたまらなくするんだろうな」

なるほど。でも僕が悲しそうな目をしても腹痛か歯痛にしか見えない。
結局のところ、素がいいから悲しげな表情が武器になるんだと思う。




余談だが「トムとジェリー」に出てくるブルドッグのスパイクは、溺愛する
息子を教育する際、人間のベストフレンドになるコツとして、大きく悲しげな
目で(with big sad soulful eyes)飼い主を見つめることを挙げている。
それはともかく。



↑赤いテレキャスター!
確かにこれじゃボーカルの人気を食っちゃうだろう。



クラプトンにどこか影があるのは複雑な生い立ちに起因しているかもしれない。
母親は16才の未婚で彼を生んだ。父親は既婚の英国駐留カナダ兵だった。
クラプトンは祖母に預けられ、母親の弟として育てられた。
その後、母親はクラプトンを引き取ることなく、ドイツで他の男と結婚した。

そして栄光を手にしてからのクラプトンは大事な人との死別がつきまとう。
ジミ・ヘンドリックス、デュアン・オールマン、最愛の息子コナー、ジョージ
・ハリソン、J.J.ケイル、ジャック・ブルース、ジョンジャー・ベイカー。。。

特に若い頃、敬愛するジミ、デュアンを失った時のクラプトンは悲嘆にくれ、
ヘロイン中毒になり再起まで時間がかかった。



<クリーム時代>

ヤードバーズのポップス路線に嫌気がさし、さっさと辞めたクラプトンはブルー
ス・ブレイカーズに加入するが、アルバム一枚で脱退。
ジャック・ブルース、ジョンジャー・ベイカーと共にクリームを結成した。



↑デビュー・アルバムFresh Creamの頃か。BBCでのスタジオ・ライブ。
レザーのフライトジャケットは1960年代のUS Navy Type G-1だろう。
差し色に赤いシャツを覗かせているところがオシャレ。
ジーンズ(リーバイス?)の膝には穴が空いている。
ギターはレスポール・スタンダード。ジョージにあげたルシールとは違う。



2枚目のDisraeli Gears(カラフル・クリーム)が発売された1967年には、
音楽もファッションもサイケデリック色が強くなる。



↑クラプトンのファッションも、どサイケ一色。
ジョージ・ハリソンにもらった1964年製SGは、ザ・フールというアーティスト
集団の手でサイケデリックなカラフルなペイントが施された。
(写真:gettyimages)







↑珍しい写真。ギルドのアコースティックギターF50を弾いている。
(1990年代に一時期クラプトンはギルドとエンドースメント契約を結ぶ)





1968年5月の全米ツアー〜11月のロンドン公演を最後にクリームは解散。



↑ツアーではファイヤーバードⅠ(1963〜65製)も使用している。
ショートトレンチのようなダブルブレストのジャケット。





↑解散コンサートで使用した1964年製チェリーレッドのES-335は、ヤード
バーズ時代に購入したものらしい。
ギターに合わせてか、赤いウエスタンシャツ。
上述のジャケットをこのシャツの上に着ていた。




↑バックポケットの大きさ、股上、裾幅が狭いスリムなシルエットから1960
年代後半、英国のモッズに人気だったリーバイス606ではないかと思う。
(スキニージーンズの原型とも言われる)





↑赤で攻めるのはこの時期クラプトンのブームだったのか。
ストーンズのTV企画ロックンロール・サーカス出演時もジーンズ以外は赤。
英国でソファーにかけるような柄の手編みの赤いカーディガン。

(写真をクリックするとYer Bluesの演奏が見れます。
クラプトンのベスト・パフォーマンスの1つだと思う)




↑この写真は前日のリハーサル時のもの。
翌日の本番では真っ赤なスニーカー、オレンジーのヘンリーTシャツ。
ジーンズはクリーム解散コンサートの時と同じリーバイス606だろう。




<デレク&ザ・ドミノス時代>

クリーム解散後、スワンプに傾倒していたクラプトンはブラインドフェイス
を結成するが、アルバム1枚で空中分解してしまう。
ザ・バンドへの加入を打診するも断られてしまったクラプトンは、同じく
アメリカ南部へ想いを馳せていたジョージにデラニー&ボニー&フレンズを
紹介してもらい、彼らのツアーに参加する。

構成メンバーには、デイヴ・メイソン、レオン・ラッセル、ジム・ケルトナー
など凄腕のミュージシャンがいた。
デラニー・ブラムレットのサポートでクラプトンはソロ・アルバムを制作。
ジョージ流スワンプロックの大作All Things Must Passにも参加する。


デラニー&ボニーのツアーで意気投合したボビー・ウイットロック、カール
・レイドル、ジム・ゴードン(元レッキングクルー)とデレク&ザ・ドミノス
を結成。
マイアミでレコーディング中、デュアン・オールマンのギターに魅せられた
クラプトンは参加を依頼。名作Laylaが誕生した。



↑デュアン・オールマンと。
クラプトンが持っているのはナショナルのリゾネーター・ギター。







↑ボーダーの長袖Tシャツはフィルモアでのライブで着用していた。
ギターはレコーディングでも使用したストラトキャスターのブラウニー。





↑ジョニー・キャッシュ・ショー出演時の写真。

この頃のクラプトンは痩せていた。
フェンダーのギターは身長175-185cmの体躯のがっしりした人に合うよう
設計されているというが、身長176cmで当時は痩せていたクラプトンは後年
ほどストラトが似合ってない気がする。声もまだ細い。
歳を重ねるごとに歌は渋みを増し、ストラトも彼の体の一部のようになった。




タイトル曲のLaylaの他、I Looked Away、Bell Bottom Bluesもジョージの
であるパティへの想いから作曲されたと言われてる。
その熱意に押されたパティはジョージと別れクラプトンを選ぶ。



↑結婚した頃の二人。クラプトンのTシャツ、カッコいい。
パティーのパッチワークシャツもおしゃれ。さすがトップモデル。



Bell Bottom Bluesはパティのために書いたとクラプトンは言っている。
「ツアーに出発する前に、パティからランドラバー(Landlubber)の
ベルボトム・ジーンズをペアで買ってくるように頼まれた」
パティもクラプトンからそう言われたのだろう。自著に綴っている。


 

↑ランドラバーは1970年代に流行ったアメリカ製ベルボトム・ジーンズ。

バックポケットがオレンジ・タグのリーバイスみたいなモデルもあった。




しかしボビー・ウイットロックによると、Bell Bottom Bluesはパティーの
ことではなく別なロマンスを題材にしたらしい。
「フランスをツアー中、エリックはベルボトム・ジーンズを履いた美しい
女性に出逢い、二人は恋に落ち一緒の時間を過ごした。
もちろん、その恋は僕らがフランスに滞在していた間だけのものだった」

ったくもう。。。気が多いっつーか、根っからの女好きっつーか!



↑さあ、記憶にございません(笑)
トレンチの着崩し方、マフラーの使い方がうまい。



デュアンがオールマン・ブラザーズ・バンドに戻るとバンドの活気は消え、
ジム・ゴードンとクラプトンの大喧嘩でデレク&ザ・ドミノスは終わった。

デュアンがバイク事故で他界すると、クラプトンはヘロイン摂取量が増える。
(パティー・ボイドへの横恋慕も一因だった)

ヘロイン漬け2年間の隠遁生活の後、ピート・タウンゼントとハーレック卿
(当時クラプトンと同棲していた10代のガールフレンド、アリスの父親)が
クラプトンを立ち直らせるため、1973年1月レイボー・コンサートを企画。




↑レインボー・コンサートのクラプトン。
白いスーツに花柄のシャツか黒いシャツ。(一部と二部で違う)
レスポールはジョージにあげたはずのチェリーレッドのルーシー。
(写真:gettyimages)




実力者揃いで固めた布陣だが、クラプトンはまだ不調である。
(この2年前、引き籠り時代に唯一バングラディッシュ・コンサートに出演して
いるが、この時のクラプトンも生彩を欠いていた)





↑ダブル・ブレストのデニムジャケットとベルボトム・ジーンズで登場。
While My Guitar Gently Weepsに何でバードランドを使うかなー。
本人も選択を誤ったと後悔していた。



↑しかし映画化されてないもう1日の公演ではストラトを弾いている。
この日はデニムのウエスタンシャツ。赤いストラップが映える。




<レイドバック時代>

クラプトン復活を決定づけたのは461 Ocean Boulevardである。
1974年4月〜 5月マイアミのクライテリア・スタジオで録音されたアルバム
は「レイドバック」という新しい境地を生み出した。29歳の若さでだ。

クラプトンの得意とする攻撃的なインプロヴィゼイションはなく、全体的に
ゆったりとした心地よい気だるさが漂う。
スライド奏法、アコースティックギターの多様など演奏スタイルも変わった。
ボーカルも渋みが増した。

ちなみにアルバム名の由来は、レコーディング中にクラプトンが住んでいた
ゴールデンビーチの家の住所である。

当時は知られてなかったレゲエを取り入れたボブ・マーリーのカバー曲、
I Shot the Sherriffは全米No.1ヒットを記録した。




↑アイスブルーのデニム・ウエスタンシャツにベルボトム・ジーンズ。
リーバイス646はここまで裾幅が広くない。
当時パティーと共にお気に入りだったランドラバーのベルボトムだろう。
(写真:gettyimages)




↑手にしているのは1939年製マーティン000-42。
1992年のアンプラグドでも使用された。
(写真:gettyimages)




<1970年代に4回の来日>

1974年7〜8月の全米ツアーの後10月に初来日。武道館でコンサートを行う。

先に来日公演を行ったジミー・ペイジ、ジェフ・ベックがど迫力の演奏を
堪能させてくれただけに、待ちに待った3大ギタリストの真打、ギターの神様
の目の覚めるようなプレイが見られる!1万人の観客の期待は高まる。
どの曲から始まるのか?ギター小僧、ロック・ファンは期待に胸を膨らませた。


クラプトンはヒルトンホテルのバーでかなり飲んでから武道館に赴いている。
ミュージックライフのカメラマン、長谷部宏氏によると泥酔状態で両脇をロー
ディーに抱えられて歩いていたという。

ステージに現れたクラプトンはアコースティックギター(000-42)を弾き、
ナット・キング・コールの歌唱で知られるスタンダードのSmileを歌い出した。
意表をつくオープニングでその後もLet It Grow、Can't Find My Way Home
とアコースティックのゆったりした曲が続いた。




その辺りから武道館はざわつきだした。
ギターの神様の超絶テクを望んでいた観客は肩すかしを食い、がっかりした。


4曲目からクラプトンは誰も見たことがない不思議な形のギターに持ち変える。
間近で目にした観客は口々に「あのギターは何だ?」と言った。
それは1959年に生産中止になり、世界に100本もないという幻のギター、
ギブソン・エクスプローラーだった。




↑日本公演でエクスプローラーを弾くクラプトン。右はマーシー・レヴィー。




↑特製品でボディの肘が当たる部分をカットしてある。
後にミュージックマンのアンプのポスターに写真が使われ、ファンの間では
エルボーカット・エクスプローラーと呼ばれるようになる。




デレク&ザ・ドミノス時代のTell The Truthを演奏。
次のI Shot The Sheriffでようやく観客の手拍子が入りムードが良くなり、最後
の曲Laylaで一気に盛り上がった。

日本ではまだレゲエが知られてなかったし、ゆったりしたノリも馴染みがない。
どの曲もボーカル中心でギター・ソロは短く控えめであり、不完全燃焼のまま
武道館を後にしたファンたちが多かったらしい。






もっとも日本公演だけそうだったわけではなく他のツアーも同様である。
2004年に発売された461のデラックス・エディションのDisc2には、同年12月
のロンドン・ハマースミス・オデオンでのライヴ11曲が収録されているが、
演奏された曲と流れは日本公演とほとんど同じである。




 ↑日本公演か不明だが同時期のコンサート。左はイヴォンヌ・エリマン。
ブラッキーを弾いている。オーバーオールでもイルカには見えない(笑)




翌1975年にもクラプトンは夫人のパティを伴い来日。



↑$100で買ったというテレキャスターを持参しファンをがっかりさせた。
演奏曲は新譜のThere's One in Every Crowd収録曲中心だったと思われる。





↑そのテレキャスターをピッグノーズの小型アンプ(デレク&ザ・ドミノスの
レコーディングで使用した)につないで鳴らしている。
1976年にパティーが撮影した写真。ジーンズはリーバイス646だと思う。




 ↑日本公演でも着てた紫色のロング・ジャケット。
両胸にアウトポケット付きの長いワークシャツ・ジャケットだった。




3回目の来日は1977年。Slowhandをリリースした後。



↑日本のファンもやっとブラッキーにお目にかかれた。
この頃からクラプトンのベスト好きがステージで見られるようになる。
同年BBCのOld Grey Whistle Test 出演時もまったく同じ格好をしている。





↑ストラトの弦に喫いかけの煙草を挟む。。。真似しましたよね。
ヘッドを焦がさないか気が気でなかったけど(笑)
(写真:gettyimages)




1979年クラプトンは4回目の来日を果たす。11月23日-12月6日、全10公演。
12月3日の日本武道館が収録され、翌年Just One Nightとして発売される。



↑やっぱりベストが好きなのね(^^)


アルバムBackless(1978)に伴うワールドツアーの一部だが、Slowhand
収録の南部色の強いロック、ブルース、J.J. ケイルの曲などバランスよく
配した選曲で、盤石の演奏だった。

バック・バンドは全員イギリス人に一新された。
カントリーの早弾きギタリストであるアルバート・リー、この後クラプトン
とは長い付き合いとなるとなるクリス・スティントン(kb)も参加している。

クラプトンのブラッキーはハーフトーンの素の音でオーヴァードライブも
かけていない、渋いカリカリのサウンド。ソロもたっぷり堪能できた。
クラプトンもこのツアーで日本の観客の質が高いことを認識したらしい。
最敬礼してたのが印象深かった。

5年前の初来日の際、黄色い歓声をあげる女の子たちをイエローモンキーと
侮蔑してたクラプトンが、すっかり日本びいきになってしまっていた。
ウドー音楽事務所との絆も強くなり、頻繁に来日するようになる。




↑収録日の12月3日はよく着ていたニットのベストにジーンズという装い。
これが見たかった。。。




↑僕が見に行った日は白いスーツだった。ちょっと残念。




↑ロールしたジーンズは501かな?ワークブーツはレッドウィング?
(写真:gettyimages)




↑コンバース・オールスター・ハイカット黒も真似したっけ。




↑CLEPTONはジョークでしょうか。
Tシャツにスカーフ。フツーの人がやったら思いっきりダサい。
(写真:gettyimages)

<続く>

<参考資料:エリック・クラプトン自伝、The Muse いとしのレイラ、
パティ・ボイド自伝 ワンダフル・トゥディ、TAP the POP、OKMUSIC、
discovermusic.jp、Wikipedia、gettyimages、他>

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