2021年12月17日金曜日

2021映画「ゲット・バック」の見どころ・トゥイッケナム篇

 <DAY 1>


↑1969年1月2日、セッション初日。バスドラムのフロントヘッドが運ばれる。

(1970年の映画ではこの後にポールが一人ピアノで物哀しい小曲を弾いていた。
サミュエル・バーバーの「弦楽のためのアダージョ」という説もあるが違う。
ポールの手癖が紡ぎ出した曲で、強いて言えばユア・マザー・シュッド・ノウ
のブリッジ部みたいな感じ。残念ながらそのシーンはカットされた)



バスドラムの手前に映るスレート(カチンコ)の表記内容は。。。

DAY (DATE) :撮影日 1日目。左に英国式で1969年1月2日と書かれている。
INT.(INTERIOR):撮影場所が屋内セットであることを示す。
ROLL : クランクインから使用したフィルムロールの通し番号
DIR(DIRECTOR): 監督名 マイケル・リンゼイ=ホッグ
CAMERA:撮影者名(複数ある場合はカメラA、B、Cと識別される。


このフロントヘッドが使われることはなかった。なぜなら。。。



↑リンゴはバスドラムのフロントヘッドを外して毛布を突っ込んでいた
キック音を重くするためだ。
(1970年当時、映画を見た巷のバンドのドラマーたちは真似していた)
スネアドラムには布が被せられている。これも軽い音にならない工夫
フロアタムにも布を被せている時がある。



↑ドラムセットはイエローのラディック・ハリウッド。バスドラムは22インチ。
なぜかスネアだけ以前使ってたブラックオイスターを使用している。



↑タムが専用ホルダーに2個セットされている。クラッシュシンバルも2つ。
ハイハット・タンバリンを装着しているのも確認できる。



初日にジョンはオン・ザ・ロード・トゥ・マラケシュ(前年インド滞在中書いた
曲でホワイト・アルバム予定だった。ソロになってから歌詞を変えジェラス・
ガイとして発表される)ドント・レット・ミー・ダウン(ヴァースは最終形と
まったく異なる)に取り組んでいる。



↑ジョンは一貫して1965年製エピフォン・カジノE-230TDを使用。
1966年来日の際に持参したモデルだ。その時はオリジナルのサンバースト。
前年の1968年に塗装を剥がしてナチュラルにした。
アンプはフェンダー・ツインリバーブ。



ポールは初日にアイヴ・ガッタ・フィーリング、トゥー・オブ・アスを披露。
アイヴ・ガッタ・フィーリングでは早い段階でジョンのエヴリバディ・ハド・
ハード・イヤーズ(前年にこのパートだけ作曲)と合体させた。

トゥー・オブ・アスは初日アコースティックのデモだったが、後日ロックンロール
のアレンジに変更された。(アップル移動後またフォークロックに戻される)



↑頭の中にイメージがあるらしく、メンバーに細かい指示を与え何度も繰り返す。
3人はポールの一挙手一投足を見逃さないように真剣な眼差しを向けていた。
(クリックするとアイヴ・ガッタ・フィーリングのリハーサルが見られます)





↑ポールはトゥイッケナム初日〜2日目は1961年製ヘフナー500-1を使用。
フロント寄りにPU2基。ヘッドのロゴが特徴的。弦はフラットワウンドだろう。
アンプはフェンダー・ベースマン。



<DAY 2>

セッション2日目、予定の14曲に足りないためジョンとポールは10代の頃、一緒に
書いた曲(いい曲も多い)も演奏してみてワン・アフター・909をやることにした。
(ちなみに1962年のEMIのオーディションでもこの曲を披露している)




以前作ったジョンのギミ・サム・トゥルース(ソロになってから発表された)
も演奏してみるが、まとまらない。
ポールはジョンの持ち歌アイム・ソー・タイアドを歌ったり脱線しがち。
2日目にしてすでにダレ気味だ。



↑ジョージは自信作のオール・シングズ・マスト・パスを2日目に披露。
コードを示しながら4人で演奏。ジョンはオルガンを弾くがやる気なさそうだ。
ポールは上にハモるが、ジョージが描いていたアレンジとは違っていた。




(映画では省かれたが、レット・イット・ダウン、ヒア・ミー・ロードも演奏
している。みんな「またジョージのかったるい曲」と関心を示さない)



↓ジョージのアコースティックギターはギブソンJ-200サンバースト。
(ジョンは同型のナチュラルを所有。このセッションではジョージのを借りてた)

ジョージのコートは屋上でも来てたマリークワント。ブルーミニーみたい。
グリン・ジョンズのコート→ウルトラマンの怪獣ウーってこんなんだっけ(笑)



↑フェンダーのワイルドウッドというレアなモデルも持参していた。
1966〜1971年に製造されアーロ・ガスリー、チャーリー・プライドも愛用した。
(たぶんだが、セッション後半で登場するオールローズのテレキャスターと一緒
に1968年12月にフェンダー社から寄贈されたのではないか、と思う)



↑リンゴも2日目に作曲中のゴーイング・バック・トゥ・キャロライナを披露。
ドント・パス・ミー・バイのようなリンゴらしい曲。和やかムードになる。



<DAY 3>

3日目は曲の構成が出来てきたドント・レット・ミー・ダウンを繰り返し練習。
ポールはリンゴのドラムの叩き方にまで細かい注文を出す。




ポールはハモり方や掛け合いにこだわり、いろいろなアプローチを試みる
ジョンは従うが、ジョージはポールとアレンジについて意見が食い違う

ジョージは高圧的なポールの態度にも、そのポールに異を唱えないジョンにも
苛立っていた。ポールも思うように進まないことに焦りを感じている。




続いてトゥー・オブ・アスでもジョージのギターにポールがダメ出し。
これが例の口論のシーンに発展した。ポールは君を否定してるわけじゃない、
この数年は自分がボスのように仕切っているのも本意でないと言う。



↑ポールは3日目以降1963年製ヘフナー500-1に持ち替えている。
ネック近くには1966年全米ツアーのソングリストが貼ったままだったそうだ。
(現在もそのままにしてある)
弦はブラックナイロン。ヘフナーのパワー不足を補うためと思われる。


 
↑ジョージはトゥイッケナムでは「ルーシー」と名付けたレスポールを使用。
1957年製ゴールドトップをチェリーレッドにリフィニッシュされ、チューナーは
クルーソンからグローバーのロートマチック式に変更されている。
クラプトンからプレゼントされたもので1968年からメイン器として愛用。
アンプはフェンダー・ツインリバーブ。



フェンダー・ベースVI(6弦ベース)はポールがピアノを弾く曲で、ジョージ
かジョンがベースを担当する際に使用された。
シングルコイルPU3基、トレモロアームも搭載でギター感覚で弾ける。




↑見ていて気になったのはマイクが時々、変更されている点だ。
最初はダイナミック・マイク?を2本重ねガムテープで固定している。何のため?



↑スポンジ製マイクカバーは歌う時の余計な息や歯擦音を抑えてくれる。
でも何で片方にしか付いていないのだろう?



↑ジョージがマイクを握って感電のシーン。
エンジニアも試してみて感電。あ〜(分かったでしょ?)と言っている。



↑その後は別な機種1本になった。シュアーSM57も使用している。
映画用の無指向性集音マイクも中盤で違うタイプに変更され、また戻されている。



↑ゲット・バック・セッションではまだPAが導入されていないと思っていたが、
トゥイッケナムで既にフェンダーの縦型PAスピーカーが設置されている。
SOLID STATEとある。ということはトランジスタ製。
(ジョン、ジョージのギターアンプはフェンダー・ツインリバーブ。
ポールはフェンダー・ベースマン。いずれも真空管製であった)




↑ジョージ・マーティンも思ってたより頻繁に顔を出している。
映画のユニオンに入ってないからトゥイッケナムで仕事できない説はガセだった。



↑ローディーのマル・エヴァンスはキャバーンの用心棒だった頃からの付き合い。
心やさしき大男で、いつも笑顔で4人の要求には何でも応えていた。
スケジュール管理と調整、機材のセットアップ、必要な物の手配、買い物代行など。
メンバーたちの手書きの歌詞をタイプに回し全員分用意するのもマルの役割。
セッション中はお茶と軽食を用意し、マリファナまで巻いてやっていた。



↑ブートを聴いてるとメンバーたちがマルを呼ぶ頻度の次に多いのがケヴィン。
マルの下でローディーをやっていたケヴィン・ハリントンのことだった。
屋上でジョンの前で歌詞のカンペを持ってるもこの人。



<DAY 4>

セッション4日目。
プレッシャーからポールはベースをコード弾きしながら、曲のアイディアを探る
↓それが、しだいに形になってシングル盤となるゲット・バックの原型となった。




ジョージも「It's good, musically great」と素直に褒めコードを弾き出す。
座って聴いていたリンゴは手拍子。遅れて到着したジョンも加わる。


↓ポールはピアノを弾きながらマックスウェルズ・シルヴァー・ハンマー
コード進行をメンバーたちに教える。ジョージは6弦ベースに回る。



(後にジョンは「マックスウェルズ〜は何度もやらされて大嫌い」と言っている。
アビイロードでレコーディングした際も参加しなかった)


アクロス・ザ・ユニヴァースも演奏されたがまとまりが悪い。



<DAY 5>


↑5日目、ジョージはジョンのカジノでアイ・ミー・マインのデモを演奏。
1970年の映画ではHeavy Waltzと言いリンゴが手を叩くシーンがあったが、
今回はなく、代わりの(当時は入れたくなかった)シーンが見られる。


ポールは興味を示し、ジョージの手元を見てコードを覚えようとする。
↓そこに現れたジョンはジョージの頭を小突いて全否定する。これはキツい。



「おまえ、もう帰れ、またな。俺たちロック・バンドだぞ。分かってんのか?」
Run along son, We'll see you later, We're rock and roll band, you know?

「君の好みじゃなくてもかまわない。僕は気に入ってる」とジョージは応酬。
I don't care if you don't want it  I don't give a fuck



↑バンドで演奏する際もジョンは加わらず、ヨーコとワルツを踊る。
(1970年の映画にこのシーンがあるためアイ・ミー・マインが追加録音された。
今回は別なアングルで撮った映像が挿入されている)




<DAY 6>



ゥイッケナムの魅力の一つはポールによるピアノ弾き語りデモだ。

ブリュートナー (Blüthner)はドイツを代表するピアノ・メーカーの一つ。
音は柔らかく温もりがある(特に低音部)が、高音部がきらびやか。
豊かな響きと余韻があり、他メーカーでは得られない独特な音色が特徴。



↑6日目ポールはセッションが始まる前ピアノでアナザー・デイを披露。
続いてロング&ワインディング・ロードをマルに聴かせ説明。
マルは「オズの魔法使いみたいだね。黄色いレンガの道」と感想を言う。
2番の歌詞に助言を求められたマルはwaitingの韻を含んだstandingを提案。



↑リンゴも見に来る。ポールは後にアビイロードで録音する2曲を披露。
ゴールデン・スランバーズキャリー・ザット・ウェイトだ。
(クリックするとゴールデン・スランバーズのデモのシーンが見られます。
遅れて来たジョージが「夜更かしして寝坊したので朝食べてない。失礼するよ
」とサンドイッチを食べに。セッション中ジョージはよく食っている)

キャリー・ザット・ウェイトはリンゴのために書いた曲だと言っている。
この段階ではヴァース部がある。(後にコーラス部のリフレインだけにした)




↑この様子を2ヶ月後ポールと結婚する写真家のリンダが撮っていた。



↑リンダが撮った写真。


眼差しがやさしい。穏やかでいい感じの女性だな、と初めて思った。
誰かさんと違って出しゃばりじゃないし(笑)





ポールはThe Castle Of The King Of The Birdというインスト曲も弾いている。
(この曲は1978年にウィングスの演奏でアニメRupert the Bearに使われた)
冒頭に書いたピアノの小曲は会話がかぶってるし、弾いてる姿は映らなかった。




↑ジョージは趣向を凝らした曲を作ってもジョンとポールに興味を持たれないので
シンプルなブルース、フォー・ユー・ブルーを作曲。二人に受け入れられた。


シー・ケイム・イン・スルー・ザ・バスルーム・ウィンドウも初めて演奏された。
アップルに移ってからも演奏されるが、アビイロードに持ち越しとなる。


レット・イット・ビーの初リハーサルも6日目のセッションで行われた。
フェンダーの6弦ベースのジョンがF→E→D→C→B→A→T→G→Cと下降し
帰結するブリッジ部が分からず、ジョージに教えてもらっている。



<DAY 7>

1月10日金曜日、セッション7日目。
前日にプロテスタント・ソングにしたゲット・バックは誤解を生みかねないので
、ポールはジョンに相談しながらゲット・バックの歌詞を練る。




ジョージはまたポールから細かい注文を出され「クラプトンに頼め」と返す。
ジョンが「We need George Harrison」と応え、ポールとリンゴも同意する。
「ギターは1台でいい」とジョージはやる気を失い、暗い表情になって行く

↓ジョンとポールは和気藹々でトゥ・オブ・アスを歌う。ジョージは蚊帳の外。



↓ランチに出る時、ジョージは「辞めようと思う」と言い出す
マルに「代わりは音楽紙に求人を出せばいい」と言い残しスタジオを去る。
(クリックするとトゥ・オブ・アス〜ジョージ脱退のシーンが見れます)



↓ジョンは「火曜日までに戻らなければクラプトンを入れる」とマイケル・リン
ゼイ=ホッグ監督に言う。



(実際にオファーもあったらしく、クラプトンは断ったそうだ。
ストーンズでもブライアン・ジョーンズの後任候補として名前が挙がっていた)


セッション中ジョージが「エリックは即興で自由に弾いてまた帰結する、他の
ギタリストとは違う」と心酔している。
ポールが「それはジャズだ」と言っているのが興味深い。



ジョージが去った午後のセッションはヨーコが絶叫し荒れ放題。聴いてて不快。
ディック・ジェームスの出版権の話も退屈。無い方がよいと個人的には思う。



↑マネージメントを担っていたニール・アスピナールとジョージ・マーティンは
「共作が少なくなったとはいえジョンとポールはコンビ一人のジョージは辛い
とジョージに同情する。



↑ジョンは何を思っていたのか。。



3人はジョージと会って復帰を説得しようと決める
日曜にヨーコとリンダも交えリンゴの家で会合。しかしうまく行かなかった。
(ヨーコに喋らせて自分は黙っているジョンにジョージは怒っていたらしい)




↑前日ジョージがディランのMama You Been On My Mindを歌っていた。
傍でその姿を嬉しそうに眺めるジョンが印象的だった。
(クリックするとジョージが歌うMama You Been On My Mindが聴けます)



<DAY8>

週明け1月13日、ジョージの説得がうまく行かなかった翌日。
リンゴ、ポール、マイケル・リンゼイ=ホッグ、ニール・アスピナールの会合。



↑同席してたリンダが「昨日ヨーコが言ってた半分はジョンのための嘘」と言う。
ポールは「ツアーをしていた頃はホテルでも一緒だった。緊密さが大事」と言い、
ジョンがヨーコといる方を選ぶことを容認しつつも、50年後「解散の理由はヨーコ
がアンプに座ってたから」じゃ笑いもの、と自虐的に言う。

本当にそうなってしまった。
レビューでは「ヨーコは解散の原因ではない」という擁護説が多い。
しかし彼女が堂々とスタジオに居座ることで空気を悪くしてたことは事実だ。
そしてジョンがヨーコに洗脳され、二人がアラン・クレインに騙されたことも。



↑このセッションを通してポールはストレスからか、よく親指を噛んでいる。


後からスタジオに来たジョンとポールはカフェで話し合う。
マイケル・リンゼイ=ホッグ監督が植木鉢に隠しマイクを仕掛け録音していた。

ポールが主権を握り自分の指示に他のメンバーを従わせていることをジョンは
批判する一方、ポールのアレンジに不本意でも自分は黙ってジョージに言わせ
てたこと、曲が間違った方向に行くを止めなかったことを後悔。

ポールはジョンが何も言わないことが問題と反論。
好きに演る自由が欲しい、ビートルズは仕事になってしまったとジョンは言う。
ジョージは今までの不満が積もってる、という点では意見が一致していた。



<DAY9>


↑ポールはピアノでマーサ・マイ・ディアウーマン、作晩作ったバックシート・
オブ・マイ・カー(後にソロで発表)ソング・オブ・ラブを続けて披露。

3人で昔話や雑談。ジョンのミーン・ミスター・マスタードを演っただけ



翌日(15日)のセッションは中止。↓3人は再びリンゴの家でジョージと会う。
TV特番は中止、アップル社の新スタジオに移って録音することで4人は合意。




<DAY10>

16日(木)トゥイッケナム映画撮影所・最終日。撤収作業が行われる中、ポール
が一人で現れ、ピアノで新曲オー!ダーリンのデモを行う。

トゥイッケナムでは8トラックレコーダーでの録音は行われていない。
そのためどんな曲をやったか記録もなく詳細が掴みにくいのだが、1990年代に
撮影時のナグテープが流出しブートが大量に出回った。
こうしたデモやリハーサルも音源は聴いたことがあるファンも多いと思う。
こんな感じでやってたのか、と映像で再確認できるのでこの映画は楽しめる。


<続く>

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