2021年12月10日金曜日

映画、新「ゲット・バック」は見応えあり、新発見多し。



<ビートルズ「ゲット・バック」が配信で公開された経緯>

11月25〜27日ディズニー・プラス独占配信ビートルズ「ゲット・バック」を見た。
結論から言うと、ロック好きなら見る価値あり、ビートルズ・ファンは必見である。
(契約者は11月28日以降も視聴できる。配信終了日は未定とのこと)


私見だが、

・「ウッドストック 愛と平和と音楽の3日間」(1970年公開)
・ザ・バンド解散コンサート「ラスト・ワルツ」(1978年公開)
・ビートルズ「ファースト U.S.ヴィジット」(1991年公開)
・ボブ・ディラン「ノー・ディレクション・ホーム」(2005年公開)

と並ぶ優れたロック・ドキュメンタリー作品に挙げられると思う。(1)



本作品は当初2020年9月に(2時間程の映画として)全米公開が予定されていた。
しかしコロナ渦によるロックダウンで映画館は閉まり公開延期が発表された。

ポストプロダクションのチームはニュージーランドに拠点を移し編集作業を続行。
ピーター・ジャクソン監督は別な形でストーリーを語った方が良いのではと考える。



↑クリックすると先行特別映像が観られます。


1969年1月にマイケル・リンゼイ=ホッグが撮った映像は22日間分
それぞれが20〜30分で、その日の演奏と会話は1つのエピソードでもある。
時系列で見せれば、観客はリアルタイムで起きているストーリーを疑似体験できる

そこで劇場公開をネット配信に変更。長尺ドキュメンタリーとすることにした。
(パンデミックで劇場公開も危ういし、内容的にも視聴層が限られ興行成績が見込
めるとは思えない、独占配信コンテンツの方が新規契約獲得などの旨味があると
ディズニー側も判断したのではないか)




<ゲット・バック・セッションと映画「レット・イット・ビー」>

ゲット・バック・セッションは1969年1月2〜31日、22日間行われた。
バンドの分裂を危惧したポールが「原点回帰」をかかげ、デビュー時のようにオーバ
ーダブを一切行わない一発録音の新作を提案。その制作過程を撮りTV特番とし放映。
ハイライトとしてライブ・ショーを行う、というのが当初の計画であった。




しかしポール以外の3人はライブには消極的。
1月2日から始まったセッションもまとまりが悪く、不毛な日々が続いた。

ポールから高圧的な態度をとられ、ジョンから自作曲を否定されるジョージは嫌気が
さし、セッション7日目の1月10日に脱退を宣言しスタジオを去る。

残された3人は改めてジョージの存在の大きさを知り悔やむ。
ジョージに戻るよう説得交渉を行い、TV特番の中止、場所をアップル本社ビルに移す
ことでやっと合意。セッション再開は21日。10日間もロスが生じていた。
(当初は3週間で14曲を完成させ19日か20日にライブ・ショーを行う予定だった)





22日にジョージが誘ったビリー・プレストンがキーボードで参加すると、雰囲気が
良くなりみんな楽しそうになる。音にも厚み、R&B感が加わった
ちょうどニッキー・ホプキンスか誰かキーボード奏者を雇おうか相談していたのだ。
1曲ずつリハーサルを重ね、完成形にして行く。でも曲数が足りない。

TV特番の代わりに映画化することになるが、監督は変化に乏しいスタジオでは盛り
上がりに欠けるため、執拗にコンサートの話を蒸し返しては4人に却下される。


苦肉の策で、アップル本社ビル屋上でゲリラ・ライブを行う案が浮上。
1月30日、伝説のルーフトップコンサートが敢行される。
(これが観客の前で行ったビートルズ最後のパフォーマンスとなった)




翌31日にスタジオで3曲の録音と撮影。22日間のセッションが終了した。



セッションを記録したフィルムを元に81分のドキュメンタリー映画「レット・イット
・ビー」が製作され、1970年5月に公開された。(日本は8月公開)
バンド内に漂う不協和音を感じさせるシーンが多く、ビートルズ解散を示唆ししていた。
それを肌で感じた監督マイケル・リンゼイ=ホッグの意図的な編集とも言われる。




1980年代始めビデオ、LD化されたが、アップルの許諾なしだったため販売中止に。
2004年以降ポールを含め複数関係者からDVD、Blue-ray化の作業が進められている
ことが明かされるが、発売には至らなかった。

※一説ではジョージが(ポールとの口論が入ってる)この映画を嫌っていたため、
遺族のオリヴィア・ハリソンが反対していた、と言われている。


一方オノ・ヨーコとポールは「本当はもっと楽しいシーンがあった」「監督がああ
いう映画にしたかったんだろう」という発言をしている。



2020年レット・イット・ビー50周年企画として、アルバムのリミックス発売と、
1970年の映画とはまったく違うドキュメンタリー映画を新たに製作し公開すること
が発表された。(配給元はディズニー。監督はピーター・ジャクソン)

ポール、リンゴ、およびジョンとジョージの遺族も異論はなく、56時間に及ぶフィ
ルムと140時間分の音声から新しい映画を作るべく作業が進められていた。



<新「ゲット・バック」の概要と見どころ>

2時間程の劇場公開版の謳い文句は(1970年公開の「レット・イット・ビー」の
陰鬱さはなく)明るく楽しい愛と友情に満ちたビートルズ、みたいな感じだった。
(いかにもディズニーが好きそうな世界観だ)



↑クリックすると予告編が観られます。


22日間を追う長尺のドキュメンタリー作品になったことで、セッションの全貌
初めて明らかになった。楽しい時間もバンドの不協和音もすべてさらけ出す。
これこそビートルズ・ファンが「見たかった」真実である。


Part1は最初の7日間。トゥイッケナム映画撮影所のセッション。
初日の1月2日から1月10日のジョージの脱退まで。(157分)

Part2は8日目から16日目。ジョージと話し合い。
ビートルズはアップル社地下でのセッションに移行し録音を開始。(174分)

Part3は17日目から最後まで。屋上でのライブをやるかどうか。(139分)
ルーフトップ・コンサートの完全版(42分)初公開。これだけでも見る価値大。




計7時間50分に及ぶ大作である。見る側もそれなりに体力が要りそうだ。
しかし時系列で22日間を追うことで失われたセッションの全体像が見えてくる。

観客はまるで1969年1月にタイムスリップして、スタジオの中でビートルズと
同席しているような気分になれる


セッションで4人はどんなやり取りをしていたのか?
どの楽器を使い、どんな機材を使っていたのか?あのパートは誰が弾いたのか?
これまで謎だったり都市伝説化してた部分もこの作品でようやく見えてくる


曲作りはアイデアを出し合いながらその場で演奏し、意見を出し合って修正。
ベストな選択を探り、驚くほどの早さで曲が完成していく様子も描かれている。




バンドが集中して曲を仕上げていく過程はさすが!と思わせる。
あの名曲が誕生する瞬間を見ることもできる。
彼らが試した別アレンジのヴァージョンや未発表曲を聴けるのも嬉しい。


メンバー同士の意見やノリが合わず、衝突する場面もそのまま記録されている。
1970年の映画でポールとジョージの口論が話題になったが、あれも一部分が切り
取られ一人歩きしてしまった。今回は前後の流れまで収められている。

前回は触れられなかったジョージ脱退の経緯、ヨーコが持ち込んだ異質な空気感、
ジョン、ポール、ジョージの意見のぶつかり合いも記録されている。
それでも世間が思っているよりも喧嘩は少なかった。


リハーサルの最中に脱線して昔の曲をやり出したり、ジョンとポールの悪ふざけ、
はしゃぎっぷり、思い出話や雑談も楽しめる。
特に後半アップルに移ってからの4人はリラックスし、笑い声も多く陽気だ。
ジョージも「ここは居心地がいい。音がいい」と新スタジオを気に入っていた。




マイケル・リンゼイ=ホッグによると、1970年の映画編集の際はジョン、ポール
それぞれから「ここは外してくれ」と違う指示があったそうだ。
(ジョージの脱退については入れることが許されなかった)

しかし今回ピーター・ジャクソの編集について、ポール、リンゴ、ジョンとジョ
ージの遺族から「ここはカットしてくれ」などの注文は一切なかったという。


4人の会話には汚い言葉や卑猥な表現、罵りが含まれている。
また喫煙シーンもあるし、マリファナについても触れられる。

ディズニー社はこうした部分を削除するよう求めたが、ポールとリンゴが説得。
「これが当時の僕たち。そのまま使わせてほしい」と頼み了承を得たそうだ。



<1969年当時、撮影と音声収録にはこんな工夫がされていた>

4人は常に撮影されていること、会話まで録られてることを嫌がっていた。
ジョンは「朝早くから寒々とした映画スタジオで赤や青のライトを当てられて撮影
されてたら、曲作りなんてできない」と語っている。




マイケル・リンゼイ=ホッグ監督は4人に撮られてると悟られないように工夫した。
撮影中カメラに赤いランプが点灯するので、テープを貼って撮ってることを伏せた。
10分程のフィルムが入ってるが、その後は撮ってないと嘘をつくこともあった。

1月30日には屋上に9台のカメラを設置、向かいのビルにも1台、路上の人々を写す
カメラを4台、地下で録音しているコントロール・ルームに1台、さらにアップル
本社の受付には隠しカメラを仕込み、警官とのやり取りも記録している。






演奏と会話を常に録音するため、4人の中央に無指向性マイクをセットしたり、
かなり高い位置にマイクを吊り下げてメンバーたちが気にならないように集音。



↑レット・イット・ビーの最初のリハーサル。ポールが歌い曲の構成を教えている。


ボーカル用マイクやピアノ、ギターアンプ、ドラムの前に立てられたマイクはPA用。
4人が自分たちの演奏を聴くためである。
上述の集音マイクはPAスピーカーの出音と生の声、楽器の音を拾っていた。

映画スタジオの隅でモニターしながら録音してたようだ。
写真を見る限り、1/2インチのポータブル・レコーダーを回してると思われる。
モノラル録音。エンジニアが左手を置いてるのは簡易ミキサーだろうか。
キャノン・コネクタ3系統には何もプラグインされていないが、このミキサーらし
きもの?からレコーダーに白いコードで音声が入力されてるのか?




ジョージ脱退の後、カフェでジョンとポールが打ち合わせを行っている。
監督は花瓶にマイクを仕掛け2人の会話を密かに録音していた。
ジョージの不満の「膿んでしまった傷」についての2人の辛辣なやり取り(音声)も
今回の映画で初公開されている。
(監督マイケル・リンゼイ=ホッグの機転に感謝)

8トラック・レコーダーが導入されるのは1月22日、アップル社地下スタジオに
移ってから。なのでトゥイッケナムでのマルチ・トラック音源は存在しない



1月22日以降もグリン・ジョンズは録音OKの段階でしかレコーダーを回さない。
テープリール交換のタイミングも悪い。勢いで録音したいジョンをイラつかせる。
演奏が始まると遮って、ジョンとポールに(冗談で)責められる場面もあった。




ジョンズはテープ代が高価だと言い訳し、ジョージに「EMIに請求しろ。僕たちは
所属アーティストなんだから」と言われている。

ビートルズはリハーサルからテープを回しっぱなしのEMIのやり方に慣れていた。
EMI社内では「ビートルズの録音はいかなるものも消してはいけない」という通達
が出ていて、別格の扱い。テープ代をケチる必要はなかった。



セッションの音源は3種類残されている。

1)カメラとシンクロして動作し、音声を記録するナグラ・テープ(2)
(別録りの音声とフィルムの位置合わせに使われる。定期的にビープ音が入る)
マイクはカメラに付属。そのためカメラA 、B、Cと複数の位置で音声も異なる。
自動録音のため大きい信号が入ると音がつぶれ、しばらく入力レベルが低くなる。
(1990年代、大量に出回ったブートの音源はこれである)

2)集音マイクで収録した音源上述)。入力レベルも調整可でバランスがいい。
モノラルだが、ナグラ・テープより音質はいいのではないかと思われる。
会話やリハーサル音源を長時間記録してあり、今回もこの音源が一番使われた。

3)8トラック・レコーダーでの録音。レコードの元になる音源。
ミックスダウンして2チャンネル・ステレオになる。1月22〜31日の演奏を収録
屋上でのライブもテープリール交換中以外はすべて8トラックで録音されている。





<最先端の技術で鮮やかに蘇るセッションの記録>

1970年公開の映画「レット・イット・ビー」はとても暗い印象があった。
当初はTV特番にする予定で、35mmではなく16mmで撮影されたためである。

35mmフィルムは高価なため、予算が低いTVでは通常16mmで撮影してから、
テレシネ・サイズの放送用1インチ・テープに変換されるのが慣例だった。
(画質は落ちるが当時の家庭用TVで見る分には問題ない)

TV特番中止で映画に変更されたため、撮影した16mmフィルムは劇場公開用の
35mmにブローアップされている。
そのため画質は悪くざらついた感じ、光量不足で暗い画面になってしまった。




今回は映画として編集される前の56時間に及ぶオリジナルの16mmフィルムに遡り、
デジタル化してレストア(映像に映り込んだゴミや傷を除去し画像の修復を行う)
作業を行い、画質補正ソフトで美しく高品質な映像に生まれ変わらせた。


音声についても最新技術が用いられた。
集音マイクで拾った音声は会話と楽器の音が被っている。
メンバーたちは聞かれたくない会話の時はアンプの音量を上げて、曲を弾くわけ
でもなくギターを掻き鳴らしながら話していた。





ピーター・ジャクソン監督はAIにジョン、ポール、ジョージ、リンゴの声を学習
させ、さらに楽器の音色まで覚えこませた。
これにより4人の声を楽器の音から独立して抜き出すことが可能になり、バランス
を取った上で再度ミックスし直すこと(デミキシング)ができたという。

ブートでは何を言ってるか判らない、反対に会話で演奏が聴こえないことが多々
あったが、今回は4人の声、楽器の分離がよくモノラルでも充分クリアーだ。
彼らが隠そうとしていた生々しい会話がはっきり聴き取れる。

8トラックの音源のリミックス作業はジャイルズ・マーティンが行った。


1969年にマイケル・リンゼイ=ホッグ、グリン・ジョンズ、ジョージ・マーティン
らが創意工夫して記録した貴重なアーカイブ。
ピーター・ジャクソンの感性、最新の映像・音声技術、配信という新しいメディア。

その融合が、今回の「ゲット・バック」を実現させた。
我々は51年前にタイムスリップして世界一のロックンロール・バンドに会えるのだ。




次回から、トゥイッケナム映画スタジオでのセッション、アップル社スタジオでの
セッション、ルーフトップ・コンサート完全版、と3回に分けて気がついた点、気に
なった点あれやこれや、新発見などを写真解説付きでたっぷりレビューしたいと思う。
乞うご期待!


<脚注>


(1) 優れたロック・ドキュメンタリー作品

ラスト・ワルツ、ノー・ディレクション・ホームはマーティン・スコセッシが監督。
スコセッシはウッドストックではカメラを担当していた。
ストーンズ の「シャイン・ア・ライ」(2008年公開)もスコセッシ監督作品で
評判がいい。が、部分的にしか見てないのと全盛期の記録ではないので除外した。

ロックではないが、ニューポート・ジャズ・フェスティバルを記録した「真夏の夜
のジャズ」(1960年公開)、ライ・クーダーとキューバの老ミュージシャン達の
演奏を収めた「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」(1999年公開)も良作品。


(2)ナグラ・テープ
映像と音声を後でシンクロさせるためスイス製小型オープンリール・テープレコー
ダー「NAGRA」で録音された音源のこと。
撮影カメラと同期して作動し、カメラ備え付けのマイクから音声を拾う。
時々ビープ音が入り、同じタイミングでフィルムにはパルス信号が記録される。
本篇で使用する音源は別途Hi-Fiで録音され、SEや音楽が追加さる。
編集段階でフィルムのパルスとナグラ・テープのビープ音をシンクロすることで、
映像と別に録音された音の位置合わせの目安となる。

映画「レット・イット・ビー」で使用されたのはNagra IIIで、テープ幅は1/4
インチ」、フルトラック(一方通行)のモノラル・テープレコーダーであった。
カメラA、B、Cと複数のカメラごとにテープが回る。
レコーディング用テープより劣るものの音質は良好である。 (AM放送並み)
撮影に使用された膨大な量のナグラ・テープが流出し、海賊盤の音源となった。


<参考資料:Disney+、Real Sound、RollingStone、NME Japan、Wikipedia、YouTube、他>

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