2023年2月14日火曜日

<追悼>彼女はバート・バカラックが好きだった。



音楽界の偉人たちの訃報が続く。バート・バカラックが94歳で亡くなった。
自然死だそうである。R.I.P. 天国でも美しいメロディを奏でてください。



高校の頃、セキセイインコを飼っていた。
弟が欲しがって買ったそうだが、案の定世話もしないし可愛がりもしない。
結局、僕の部屋が定位置になり、僕が世話係になった。

自分の部屋は掃除しないのに、セキセイインコの籠は毎日きれいにした。
下に敷く新聞紙を取り替え、餌を新しくし水を入れ新鮮なレタスを挿す。



↑2羽いたが、まったく性格が違う。黄色い子(1)は音楽が好きだった。


籠の柵を口ばしで器用に弾き、コーン♪と金属的な高い音を鳴らす。
ギターをチューニングする時の音叉の音(2)を真似していた。

彼女は曲に合わせて体を揺らしステップを踏み、楽しそうに歌う。
とりわけカーペンターズがお気に入りのようだった。

「Close To You(遙かなる影)」は彼女が一番心酔していたバラードだ。
セキセイインコにもバート・バカラックの良さが分かるらしい。



↑カーペンターズがTVショーで歌う「Close To You」が観れます。


バート・バカラックといえばディオンヌ・ワーウィック。
ディオンヌ・ワーウィックといえばバート・バカラック。
そう言われるくらい、2人は相性が良く数々の名曲を世に送り出し愛された。

バカラックがドリフターズ(3)に「Mexican Divorce」(4)という曲を書いた
時、バックコーラスの1人がディオンヌだった。
ディオンヌ、妹のディーディー、叔母のシシー・ヒューストン(ホイットニ
ーのお母さん)、いとこのマーナ・スミスの4人構成だったらしい。

それぞれ実力は甲乙つけがたかったけど、ディオンヌには特別な気品と優雅
さがあって、スターの資質があるとバカラックは思ったという。
アレサ・フランクリンと違いディオンヌはゴリゴリの油ギッシュさがない。

その後ディオンヌから一緒にデモを作りたいと申し出があって、一緒に仕事を
するようになった。



↑2人がTVショー出演時の映像が観れます。
バカラックが弾くピアノに合わせヒット曲の数々をディオンヌが歌う。
途中バカラックは「Alfie 」の曲名を失念。
2人は1曲$15か$12.5でデモを作ってた頃の思い出話をしている。
(同様な状況でシラ・ブラックはぜんぜん歌いこなせず詰まっていた)


「ディオンヌは高い音も低い音も歌えた。力強く朗々と歌うこともできれば、
そっと優しく歌うこともできた」とバカラックは自伝で述べている。

        
ディオンヌはハートフォード音楽大学で音楽教育とピアノを専攻している。
音域が広く、変拍子や転調が多く、テンション・コードが複雑なバカラック
作品を難なく歌いこなせた。




Walk On By、I Say a Little Prayer(5)、I'll Never Fall in Love Again、
Do You Know the Way to San Jose(6)、This Guy's in Love with You、
What The World Needs Now Is Love....

1960年代半ば〜1970年にかけてディオンヌは、バート・バカラック/ハル・
デヴィッドの曲を次々ヒットさせた。



バート・バカラックはガーシュウィン、リロイ・アンダーソン、レナード・
バーンスタインの次の世代を代表する作曲家と言えるのではないだろうか。

稀代のメロディーメーカーであり、アレンジにはジャズやボサノヴァを取り
入れながら(7)アカデミックな音楽センス都会的な香りも匂わせる。

オブリや間奏にホルンなどやさしい音色の管楽器を挟むことが多く、この
手法はデヴィッド・フォスターも影響を受けていると思われる。




↑インスト版This Guy's In Love With Youでアレンジの妙が聴けます。


1960年代に作詞家、ハル・デヴィッドとのコンビにより最盛期を迎える

ウォーカー・ブラザーズ、アンディ・ウィリアムズ、トム・ジョーンズ、
ダスティ・スプリングフィールド、ハーブ・アルバート、ジャッキー・デ
ャノン、アレサ・フランクリン、ボサリオらのヒット曲を生む。

そうそう、シュレルズが歌いビートルズがカヴァーした「Baby It's You」
もバカラック作曲である。


ジョージ・ロイヒルの監督映画「明日に向って撃て!」主題歌「Raindrops 
Keep Fallin' On My Head」はアカデミー主題歌賞を受賞。




バカラックは当初この曲をディランに歌ってもらいたいと考えていたが、
断られ(歌うわけないし、歌えるわけないだろう)二転三転し、B・J・ト
ーマスが歌うことになった。


ポール・ニューマンがキャサリン・ロスを自転車に乗せるシーンで流れる。
コケて牛に追いかけられるのがよかった。
このシーンで使われたテイクとレコード化されたテイクは違う。

最後のNothing's worrying meで映画版はあっさり終わるが、レコード版は
me〜とこぶしが入りブラスがリフレン。サンバのリズムでFOする。

映画版は楽器数が少ないアレンジで、ポール・ニューマンの曲乗りシーン
でサーカスの音楽になり、また元の曲に戻る。




↑映画版のRaindrops Keep Fallin' On My Headのシーンが観れます。


1970年代には作曲活動が停滞する。
1980年代にクリストファー・クロスの「Arthur's Theme」、パティ・ラベル
& マイケル・マクドナルドの「On My Own」、ディオンヌ&フレンズの「
That's What Friends Are For」がヒット。(8)


1999年にはエルヴィス・コステロと共演アルバムを発表し、2001年には
コステロの妻、ダイアナ・クラールがThe Look of Love(9)をカヴァー。

改めていい曲だと思った。
バート・バカラックの曲は時代を超えて歌い継がれるのだろう。



↑ダイアナ・クラールが歌うThe Look Of LoveのPVが観れます。


<脚注>

(1)黄色いセキセイインコ

「ルチノー」という品種でメラニン色素の欠如により黄色の色素が残った
もの。同じく色素異常で全身が白だと「アルビノ」と呼ばれる。
いずれも目の血管が見えるため赤目になるが、黒目の個体もいる。
黄色や白で赤目のセキセイインコは紫外線に弱く短命な傾向がある。


(2)音叉の音
144kHzのA。


(3)ドリフターズ
日本のコミック・バンドではなくアメリカの黒人のドゥワップ・グループ。


(4)「Mexican Divorce」
ライ・クーダーの曲だと思い込んでいた。
ニコレット・ラーセンもカヴァーしていて、なかなかいい。


(5)I Say a Little Prayer
アレサ・フランクリンが歌ったヴァージョンが一番売れた。
しかしこの人のパワフル・ボイスだと静かに祈ってるというより、威圧的な
雄叫びみたいに聴こえてしまう。たぶん本物のR&Bが苦手なのだろう。
自分にはディオンヌの方が油抜きされてて消化しやすい。


(6)Do You Know the Way to San Jose
1968年にディオンヌ・ワーウィックのためにバート・バカラック&ハル・
デヴィッドが書いた曲で、彼女にとって初のグラミー賞受賞曲となる。
翌年ボサリオもカヴァーしこれもヒットする。
ボサリオはセルジオ・メンデス&ブラジル'66の弟分みたいな若いメンバー
で構成されたグループでよりポップだった。


(7)ジャズ、ボサノヴァを取り入れる。
1960年代、アントニオ・カルロス・ジョビン、ジョアン・ジルベルドなど
ボサノヴァがNYCなど都市部のスノッブな若者の間で流行った。
スタン・ゲッツがジョアン・ジルベルド、アストリッド・ジルベルド、ア
ントニオ・カルロス・ジョビンと共に録音した「ゲッツ/ジルベルト」
(1964)が大ヒットしグラミー賞・複数部門で受賞。
アメリカにおけるボサ・ノヴァ・ブームを決定づけた作品となった。


(8)1980年代のヒット作
3人目の妻、キャロル・ベイヤー・セイガーとの共作が多い。
シンガー&ソングライターの彼女の影響で、その時代のテイストを取り
入れたのがいい結果に結びついたのではないかと思う。


(9)The Look of Love
1967年にダスティ・スプリングフィールドが歌った。
僕はこの人の歌い方が好きではない。←好き嫌いが多いな>自分。
この曲は他にもいろいろな歌手にカヴァーされている。
クロディーヌ・ロンジェ、ニーナ・シモン、アンディ・ウィリアムス、
セルジオ・メンデス&ブラジル'66、パーシー・フェイス、レターメン、
ナンシー・ウィルソン、ライザ・ミネリ、アニタ・カー・シンガース、
ディオンヌ・ワーウィック、トニー・ベネット、シャーリー・バッシー 。


<参考資料:バート・バカラック自伝 ザ・ルック・オブ・ラヴ、
billboard JAPAN、Wikipedia、YouTube、まいにちポップス、
BS-TBS Song To Soul、他>

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