2023年12月12日火曜日

ベック・ボガート&アピス1973日本公演/1974未発表ライブ発売。



ロック史上、クリーム以来の最強トリオとも言われるベック・ボガート&アピス。
1973年にアルバムを発表し、同年の来日時の名演がライヴ・アルバムとし発売され、
翌年には解散、という短命のバンドだったが、強烈なインパクトを残した。


そのライヴ・イン・ジャパン1973発売50周年記念として、同ライヴ・アルバムに
未発表の1974年1月ロンドンのレインボー・シアター公演のライヴ音源を加えた
4枚組CDボックス・セットが発売された。





1950〜1970年代の作品のリシューで定評のあるライノ・レーベルからの発売だ。
ライノ(Rhino)は現在ワーナー・ミュージック傘下のレーベルとなっているが、
あいかわらずいい仕事をしている。(1)

ボックスにはライヴ・イン・ジャパンのCD2枚、未発表のライヴ・イン・ロンドン
のCD2枚、ライナーノーツや写真を掲載したハードカバー・ブック、1973年来日
公演ツアー・パンフの復刻、ポスターが同梱されている。




<収録曲>

LIVE IN JAPAN 1973
CD 1:
1. Superstition
2. Lose Myself With You
3. Jeff’s Boogie
4. Going Down
5. Boogie
6. Morning Dew
CD 2:
1. Sweet Sweet Surrender
2. Livin’ Alone
3. I’m So Proud
4. Lady
5. Black Cat Moan
6. Why Should I Care
7. Plynth / Shotgun (Medley)

LIVE IN LONDON 1974
CD 3:
1. Satisfied
2. Livin’ Alone
3. Laughing Lady *
4. Lady *
5. Solid Lifter
6. Jizz Wizz
CD 4:
1. Name The Missing Word (Prayin’)
2. (Get Ready) Your Lovemaker’s Coming Home
3. Superstition *
4. Blues De Luxe / You Shook Me *
5. (Rainbow) Boogie *

(CD3-4の*印は海賊盤で発売された音源。それ以外は初登場の音源)


↓LPのボックスセットも発売されている。





<1973日本公演の録音、ライヴ盤発売へ>

生演奏で本来の手腕を発揮する3人は、スタジオ録音のアルバムよりはるかに
強力でキレのある自由奔放な演奏を繰り広げている。
そのパワフルな演奏は現在でも語り草になっている。





来日公演は、5月14日 日本武道館、5月16日 名古屋市公会堂、5月18日&19日 
大阪厚生年金会館で行われた。

当初は初日の武道館をライヴ録音する予定だったが、機材トラブルのため断念。
大阪厚生年金会館がライヴ録音され、2日間の音源からいいとこ取りされている。
8トラック・レコーダーが使用されたという。

このライヴ盤は日本のみで限定発売。
ベックの意向で廃盤となり、1989年にCD化されるまで入手困難だった。





カーマイン・アピスは8トラックでの録音であること(当時は既に16トラック
がスタンダードだった)、曲の順番が変えられていること(2枚組LPの4面に
長尺な曲を収録するため大幅な編集を余儀なくされた)が残念と言っている。
ベックも同じ意向だったのだろう。

ロック・アーティストの来日が続いたこの時期(2)において、BB&Aの来日公演
は名演の誉が高い
1972年のディープパープルの大阪厚生年金会館と並び「ライヴ・イン・ジャパン」
伝説を世界に知らしめることになった。






<BB&A LIVE IN JAPAN 1973 CD化〜DSDリマスターCD発売>

1989年のCD化では、LPの曲順を踏襲した2枚組で発売された。
CD創世記のため、音も貧弱でBB&Aのパワフルなサウンドを再現できていない。

2006年にリマスター盤が発売された。
ソニー最新のDSDリマスタリング(3)が施され、飛躍的に音質が向上。
レコードコレクターズのレビューの言葉を借りると「野太いのに隅々まで見渡
せる音」である。(巧い表現だ)




2013年に発売された40周年記念盤もDSDリマスタリングである。
曲順が実際のセットリスト順(演奏曲順通り)に改められた。(4)
1枚のディスクでコンサートを通しで聴け、もう1枚でアンコールが聴ける。
終盤へ向かうほど3人の演奏のテンション、観客の盛り上がりが感じられる。

左右に定位していたギターとベースが中央寄りにリミックスされ、アンサンブル
感が増した。個々の演奏も埋もれずクリアに聴こえる。






<BB&A LIVE IN JAPAN 1973 50周年記念盤>

50周年記念はオリジナルのマルチトラック音源から新たにミキシングされた。
ワーナー傘下のライノではソニーのDSDサンプリング方式のリマスター音源を
使えない(DSDに否定的で使いたくない?)という事情もあるのかもしれない。

DSDリマスリング盤が手元にないので比較できないが、高音質で迫力がある。
全体の音圧を上げる一昔前のリマスターと違い、音の強弱のメリハリ、各楽器の
音像や粒立ちがしっかりしている
圧倒的な音圧のリズム・セクションの中でもベックのギターが埋もれていない。



                             (写真:gettyimages)


↓1973日本公演のSuperstition(2023リマスター)が聴けます。



今回の50周年記念盤は1973年発売時のミックスを踏襲している。
右にベックのギター、左にボガードのベース。
アピスのドラムが中央でタムやシンバルが左右に広がる。

あくまでも1973年のリイシュー(復刻盤)だから、当時LPレコードを聴いた
ファンが違和感を持たないように、という配慮だろうか。

左右に分けることで、ベック対ボガードの丁々発止のせめぎ合い、2人がそれ
ぞれ何をやってるかがよく分かる
3人とも攻めている。すごいトリオだったんだと改めて認識させられた。



                            (写真:gettyimages)


曲順も1973年発売時と同じ「編集された曲順」に戻された
これは賛否両論だろう。

セットリスト通り(実際に演奏された曲順)の方がいいという意見も多い。
しかし、Superstition→Lose Myself With You→Jeff’s Boogieの流れは、脳内
再生できるくらい何度も聴いたので、違和感がなく耳に馴染む。



<使用機材と演奏スタイル>

ベックのレスポールは1954年製ゴールドトップをオックスブラッド(牛の血の
ような濃い赤)リフィニッシュしたモデル。深い茶色にも見える。
1973年、BB&Aのツアー中にメンフィスの楽器店で見つけたという。

ピックアップはP-90からオープン・ハムバッカーに交換、チューナーはシャーラ
ーに交換、ネックはスリムにリシェイプしてある。
入手した時からこの仕様になっていたとのこと。
力強く噛み付くような迫力のある音は、この時期ならではのベックともいえる。





カラーサウンド社のオーヴァードライブ、ジェンのクライベビー(ワウペダル)、
サンのコロシアムのヘッドアンプ+ユニヴォックスの6x 12キャビネットを使用。
フェンダーのプリンストン・リバーブをリバーブ・アンプにしているらしい。
マジックバッグ・トークボックス(トーキングモジュレータ)も使用された。



ロック界一の荒くれベースと言われるティム・ボガードはナチュラルのプレシジ
ョン・ベースのボディーにテレキャスター・ベースのネックを付けた愛器を使用。

ベックと同じサンのコロシアムのヘッドアンプ+ユニヴォックスのキャビネット。
モズライトのファズ・ボックスで歪ませている。
ディストーションはビートルズの「Think For Yourself」から着想を得たそうだ。



                           (写真:gettyimages)


戦車のように重いドラム、大音量で破天荒なプレイが売りのカーマイン・アピス
のドラムセットはラディックの26インチ・ツーバス、ツータム、ツーフロア。
シンバルはパイステ、チャイナシンバルを両側に1枚ずつ、後にチャイナゴング。

キックの音をマイクで拾いベースアンプから出す、スネアにワウペダルを繋ぐ、
などこのライヴでもアピスの自由な発想による音が聴ける。



                         (写真:gettyimages)


ボガード、アピスという強力なリズム隊とベックの縦横無尽でキレのあるギター
ライヴではスタジオ録音盤をはるかに超える圧倒的なパフォーマンスが聴ける。
技量といい、パワーといい、クリーム以来の最強トリオと言われるのも納得。


↓BB&Aについてはこちらの投稿をご参照ください。
https://b-side-medley.blogspot.com/2020/05/2bba.html





<来日当時のBB&A評価>

1973年当時の来日公演記念ポスターはジェフ・ベック・グループとされている。
Beck Bogert Appiceのロゴは目立たない。
ベックの写真を大きく中央に配し、ボガート、アピスは脇役。
ジェフ・ベック+バックバンド的な扱いである。
(活動開始時に5人編成のジェフ・ベック・グループ名義だった時期がある)(5)





バニラファッジの名前はロック・ファンに浸透していたが、ボガート、アピスの
名前はそれほど知られていない、とプロモーターが判断したのだろうか。

BB&A結成の経緯はレコードのライナーノーツも書いてあっただろうし、音楽誌
を読んでるようなロック小僧ならボガート、アピスを知ってただろう。
ジェフ・ベック・グループという告知にかえって混乱したのではないか?



ミュージックライフには同時期に来日したハンブルパイとの比較が載っている。
「BB&Aは演奏は上手いが、ハンブルパイの方がバンドとしてのまとまりがある」
とハンブルパイ支持の読者が多かったことが記されている。





インタビューではジェフ・ベックだけがクローズアップ。
他にスティーヴ・マリオット(ハンブルパイ)、アルヴィン・リー(同時期に
来日したテン・イヤーズ・アフター)のインタビューが載っていた。(6)

(ミュージックライフならビジュアル系のピーター・フランプトンに食いつきそ
うだが、この時期にはフランプトンはハンブルパイを脱退してた)



僕らの周りはBB&A来日で持ちきりでハンブルパイは話題にならなかった。
Wikipediaでも「ハンブルパイは不運にも同時期に来日したBB&Aに話題をさら
われてしまった」とある。
ハンブルパイ>BB&Aはミュージックライフの読者特性ではないかと思う。(7)




↑来日時ホテルの中庭で。ボガードは本場、英国製ロンドンブーツを履いてる。



<BB&A LIVE IN LONDON 1974について>

BB&Aの2枚目のアルバムのセッションは1974年1月に行われたが、ベックと
ボガートの確執もあって完成に至らず。その後バンドは自然消滅となった。


1974年1月26日にBB&Aはヨーロッパツアーの一環としてロンドンのレインボー
シアターでコンサートを行う。
この模様は録音され、9月にアメリカのラジオ局で「Rock Around the World」
として放送された。



                            (写真:gettyimages)


これが結果的にBB&A最後の録音となる。
2nd.アルバム制作中のコンサートだったこともあり、まだ未発表のアルバム収録
予定だった曲が演奏されている貴重な音源である。
「At Last Rainbow」のタイトルで海賊盤が出回った。(8)





公式音源がリリースされるのは今回が初めてだ。
(音源の一部はベックのボックスセット「BECKOLOGY」(1991)に収録)


Satisfied、Laughing Lady、Solid Lifter、Jizz Wizz、Name The Missing 
Word (Prayin’)、(Get Ready)Your Lovemaker's Coming Home
の6曲がその未発表曲である。


↓BB&A 2nd.アルバムに収録予定だった6曲のライヴ演奏が聴けます。

https://youtu.be/iqOYilA-VBQ?si=TczC68gNR9mnZ-9u
https://youtu.be/CwGtd5D8tk8?si=nQ8I064ldMMFOiMn
https://youtu.be/j8A7yo7jkyo?si=52LgTxLBqNvfeTpc
https://youtu.be/RIHx1rteDgQ?si=DLGzz1a8tzeuSEyG
https://youtu.be/aP7yJUs_m1c?si=175YiDW5X-DRRtR2
https://youtu.be/rkokoTr1dYI?si=W2VfOcXJ2bf7ArRe





                          (写真:gettyimages)


Laughin' Ladyは美しいスローバラード。ベックのソロも冴えてる。
Solid Lifter、Jizz Wizzはインストゥルメンタル
後のベックのフュージョン路線への布石かもしれない。

Blues De Luxe / You Shook Meではベックのブルースが堪能できる
ツェッペリンもカヴァーしたYou Shook meをトーキングモジュレーターで
演奏しているのが面白い。


Superstitionは大阪厚生年金会館の方がベックのトリッキーなギター、3人
の息の合ったブレイクなど、出来がいい。
レインボーシアターの時はボガートが風邪をひき声が出なかったらしく、
後にボーカルを録音し直したという。この曲は特に不自然に聴こえる。

Livin’ Alone、Ladyは大阪厚年とレインボーシアター、甲乙つけ難い。
Boogieはレインボーシアターの方が3人の演奏も客席のノリもよく、演奏
時間も大阪厚年の2倍。
ベックもディープパープルのLazyのフレーズを入れるなど遊んでいる。




                 (写真:gettyimages)


LIVE IN LONDON 1974はベックのギターとボガートのベースをセンター
に寄せて、塊で聴かせるミックスとなっている。
アピスのドラムはキックとスネアが中央、タムやシンバルが左右に広がる
客席の声も左右に分かれ臨場感がある。

これを聴くと、まだまだやれそうだったのに・・・と非常に残念である。
そして、このバンドこそ再結成して欲しかった。


<脚注>

(1)ライノ(Rhino)

1980年代にモンキーズの全版権を取得。アルバムのリイシューで人気を博す。
1950-1970年代のアーティストの再発(リイシュー)や未発表盤リリース、
オムニバス盤やボックスセットなど大手レーベルがやらない企画を手掛ける。
1990年代以降ワーナー・ミュージック傘下のレーベルとなる。


(2)ロック・アーティストの来日が続いた時期
1971年: BS&T、フリー、シカゴ、グランドファンク、ショッキング・ブルー、
ピンクフロイド、ツェッペリン、、エルトン・ジョン

1972年: CCR、シカゴ、ピンクフロイド、テン・イヤーズ・アフター、
プロコル・ハルム、ジェスロタル、ELP、ディープパープル、ツェッペリン、
Tレックス、ゲス・フー、スリー・ドッグ・ナイト

1973年: ジェームス・テイラー、イエス、ユーライア・ヒープ、ドノヴァン、
デヴィッド・ボウイ、シカゴ、ハンブルパイ、テン・イヤーズ・アフター、
BB&A、ディープパープル、サンタナ、マウンテン、Tレックス、スリー・
ドッグ・ナイト

1974年: ムーディブルース、エルトン・ジョン、フェイセズ、スレイド、
ジェスロ・タル、クラプトン、スージー・クワトロ、サンタナ、ウォー


(3)DSDリマスタリング
DSDはソニーとフィリップスがSACD用に開発したアナログ音声をデジタル信号
化する際のサンプリング方式。

通常のPCM方式は波形を一定時間ごとに数値化する。
CDは44100分の1秒毎にサンプリングを行い、音の大きさを16bitで量子化する。
24bit/96kHzなどのハイレゾ音源はサンプリング周波数や量子化ビット数を高くし
てより細かくデータを取ることで、もとの波形に近づけている。

一方DSDは1bit固定で量子化を行う。量子化bit数が1bitしかない(データが軽い)
サンプリング周波数はCDの44.1kHzの64倍となる2.8MHz、128倍の5.6MHz。
(数が大きくなるほど音の解像度が高い) 
デジタルデータのON/OF切り替えの粗密で音声信号を記録する。


つまりDSDはアナログ音声信号を空気振動の「粗密」「濃淡」で捉えている
高いサンプリング周波数を持つDSD方式は、音の細かいニュアンスの忠実に再現
でき、音の滑らかさがアナログ録音に近いと言われる。
短所は高周波数になるほど量子化ノイズが増える点。
制作の後処理を行う上で制限がある。ミキシングもイコライジングも出来ない。


(4)セットリスト順(演奏曲順通り)に収録。
LP時代は長尺の曲もあるためセットリストの順で曲を収録しきれなかった。
そのため、ベックの意向で廃盤になった。
またアピスもセットリスト順でないこと、8トラックで録音され音が悪いこと
に不満だった、と言っている。
(当時スタジオでは16トラックが標準だった。しかし3ピース・バンドのライヴ
で8トラックあれば充分である。音質の良し悪しには影響がない)

初CD化ではLPと同じ曲順だった(LP時の最終ミックスをそのまま使用した)
が、2006年のリマスターでセットリスト順に改められ、1枚のディスクで本篇を
通して聴くことができるようになった。


(5)ジェフ・ベック・グループとBB&A
1969年にバニラ・ファッジがコカ・コーラのCM音楽を依頼された際、怪我をした
ギタリストの代役としてベックが参加した。



↓バニラ・ファッジ+ジェフ・ベックのコカ・コーラ・ラジオCMが聴けます。
https://youtu.be/NlYKk4spRbg?si=PTyLU4b9bLJT6Agz


ベックはボガート&アピスの強力なリズム隊に惚れ込み、BB&A構想が決まる。
しかしベックの交通事故でこの計画は流れ、ボガートとアピスはカクタスを結成。
1972年にカクタスと第2期ジェフ・ベック・グループが解散。
再びBB&A結成の機運が訪れる。
ベック、ボガード、アピスに第2期ジェフ・ベック・グループの2人を加え、当初は
5人編成のジェフ・ベック・グループ名義でツアーを開始するも、その2人は脱退。
ポール・ロジャース招聘も失敗し、最終的にトリオ編成のBB&Aとしてスタート。
翌1973年2月、アルバムを発売。そして5月に来日が実現した。


(6)BB&Aと同時期の来日
1973年5月、BB&Aと公演日程が重なるようにハンブルパイ、テン・イヤーズ・
アフターが来日しコンサートを行なっている。
ハンブルパイはBB&Aの日本武道館を見に行ったそうである。


(7)ミュージックライフの読者特性
ビートルズ、ウォーカー・ブラザーズ、クイーン、チープ・トリック、ジャパン
など女性に人気があるアーティストを積極的に取り上げた。
特に東郷かおる子編集長は「男のロックは理屈っぽく面倒臭い、カッコよけれ
ばいい」という方針でビジュアル系重視。読者特性は編集方針を反映してる。


(8)「At Last Rainbow」のタイトルで海賊盤が発売されていた。
Swinging Pigレーベルなど、いくつかのレーベルから発売された。

(収録曲)
Laughin' Lady *
Lady  *
Morning Dew
Superstition *
(Get Ready) Your Lovemaker's Comin' Home
Blues De Luxe - You Shook me *
Rainbow Boogie  [BBA Boogie" *
( *は今回のBB&A LIVE IN LONDON 1974に収録された)


<参考資料:ワーナーミュージック・ジャパン、YouTube、Wikipedia、
昭和画報 20年間の来日公演年表 1965-1985、ドラム博士、Remy's Cafe♪ 、
Les Paul Forum、EQUIP BOARD、rockin’on.com、レコードコレクターズ、
ロック黄金期 初来日リスト、縞梟の音楽夜噺、ギタファン-GitaFan-、
mora WALKMAN公式ミュージックストア、日本オーディオ協会、AV WAtch
、gettyimages、他>

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