ジャクソン・ブラウンが3月に来日するらしい。
友だちが行くと言っていた。
僕がその友だちと武道館でジャクソン・ブラウンを見たのは1979年。
1曲目が「Fuse」。大好きな「Fountain Of Sorrow」もやった。
ジャクソン・ブラウンを僕に教えてくれたのも彼だ。
ウエストコーストの吉田拓郎だよ、と彼は言っていた。
ジェイムス・テイラーやリンダ・ロンシュタッド、イーグルスと並んで
ジャクソン・ブラウンはあの頃の生活の一部、空気だった。
彼の曲は心の痛みや苦しさ、葛藤を歌っているらしいが、輸入盤を買って
いた僕は歌詞は聴いていなかった。
それよりメロディーや彼特有の節回しと声、そしてサウンドに惹かれた。
ジャクソン・ブラウンはイーグルスやニッティ・グリティ・ダート・バンド
に曲を提供していたが、自らも1972年にアサイラム・レコードからデビュー。
彼のアパートメントにはイーグルスのグレン・フライ、JD・サウザーが
住んでいたという。
なんだか手塚治虫、藤子不二雄、石森章太郎、赤塚不二夫が集まったトキワ
荘みたいだ。
グレン・フライはジャクソン・ブラウンの部屋から聴こえて来るピアノを
聴き作曲がどういうことなのか学んだという。
JD・サウザーは毎日繰り返し「Doctor My Eyes」を聴かされて、ジャクソン
・ブラウンを殺してやりたいと思ったそうだ(笑)
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