2015年10月14日水曜日

俺たちはドゥービー・スモーカーに戻るのさ。

ドゥービー・ブラザーズの1982年フェアウェル・ツアー最終日、LAのグリークシアター
でパトリック・シモンズは「解散して元のドゥービー・スモーカーに戻る」と言った。

「ドゥービー」とはカリフォルニアでマリファナの俗語である。
彼らがガレージで練習していながらマリファナを回しのみしている様子を、リーダーの
トム・ジョンストンの同居人が「ドゥービー・ブラザーズ」と呼んだのがバンド名の由来
らしい。

当初はヘルス・エンジェルス(1)が出入りするバーなどで演奏しバイカー達の支持を集め、
やがて北カリフォルニア地区で評判になっていったようだ。
ワーナーブラザーズ・レコードと契約し「The Doobie Brothers」(1971年)でデビューする
が鳴かず飛ばす。

マイケル・ホサックが加入しジョン・ハートマンとのツイン・ドラムになり、ベースが
タイラン・ポーターに替わった新体制でリリースした2枚目の「Toulouse Street」
(1972)からのシングル「Listen To The Music」「Jesus Is Just Alright」がヒット。






その後「Long Train Runnin' 」「China Grove」(1973)をヒットし「Black Water」
(1974)は初の全米No.1を獲得し、アメリカン・ロックを代表する人気バンドになった。



ドゥービーズの成功はプロデューサーのテッド・テンプルマン(2)の功績も大きい。
テンプルマンは迫力ある分厚いギター・サウンドとクリアーなヴォーカル・ハーモニー
聴きやすく処理することに長けていた。
また自身がミュージシャン出身であるためバンドと良い関係を築け人脈も広い。
リトル・フィートのキーボード奏者ビル・ペインをドゥービーズに紹介したのも彼である



ドゥービーズのファンはだいたい二分される。

初期のトム・ジョンストン中心の野性味あふれる豪放磊落なロックやパット・シモンズ
によるフォーク色の強い楽曲、ツイン・ドラムと黒人のベーシストが生み出すファンキ
なリズムとR&B色、西海岸ならではの美しくキレのあるハーモニーこそドゥービーズ
真骨頂と言う人。

トム・ジョンストン脱退後、マイケル・マクドナルド中心に洗練された都会的なAOR(3)
バンドに変貌したドゥービーズが好きだと思う人。



個人的な好みとしてはその中間の変革期がドゥービーズの一番魅力的な時期だ。

スティーリーダンからジェフ・スカンク・バクスター、次いでマイケル・マクドナルド
が加入して、まだトム・ジョンストンも在籍していた。
アルバムでいうと「Stampede」(1975)「Takin' It to the Streets」(1976)
「Livin' on the Fault Line」(1977)の3枚の頃である。

音楽の幅が一気に広がった。泥臭さは消えたがワイルドさは残っていた。



僕がドゥービー・ブラザーズを見たのは2回目の来日、1979年2月の日本武道館公演だ。

「Minute by Minute」 (1978)からのシングルカット「What A Fool Believes」が全米
1位を獲得した後で、トム・ジョンストンは既に脱退していたがまだワイルドさも残し
つつドライブ感があり、演奏は油が乗り切っていて完璧だった。
僕が今まで見たライブの中でベスト10に入るすばらしパフォーマンスだったと思う。

ジョン・ハートマンの「We came from Los Angeles, California. Now here’s a 
little bit of Rock n’ Roll !」で始まる「Jesus Is Just Alright」が1曲目だった。

ステージの縁に腰掛けて足をバタバタさせながらのけぞってすごいフレーズを弾く
ジェフ・バクスターと、体全体でリズムをとりながらゴリゴリしたベースを聴かせて
くれるタイラン・ポーターが印象的だった。


この公演はフジテレビが収録し深夜枠で放送している。
YouTubeで探したら一曲だけあった。かなり画像は悪い。






後日フジテレビの関係者からこの時のサウンドボード音源をダビングさせてもらった。
エフェクトもかかっていないラフミックスのモノラル音源(4)だが、パーフェクトな
演奏とハーモニーに改めて感動した覚えがある。

その音源も1曲だけYouTubeにアップされていた。
「What A Fool Believes」はお馴染みのイントロの前に8小節のフィルが入っている
のが新鮮だ。





この年(1979年)は3月にリンダ・ロンシュタットが初来日。
翌1980年11月にはジャクソン・ブラウンが2回目の来日。
二人とも武道館ですばらしいパフォーマンスを見せてくれた。

一方、1979年(何月か失念)のイーグルスの2回目の来日公演はまとまりが悪く、
完全に期待はずれだった。(武道館1階の最前列を取ったのに・・・)

この時期がウエストコースト・ロックの頂点だったように思える。
1980年代に入るとAOR色が強く画一的になってしまいつまらなくなっていった。


(1)ヘルス・エンジェルス
アメリカで一世を風靡したバイカー集団。
ドクロや炎のタトゥーを入れていた。
モーターサイクルギャング( バイクに乗ったマフィア)と呼ばれ世界中に支部を
持ち、凶悪さを誇っていた。
メンバーは白人に限られている。


(2)テッド・テンプルマン
レニー・ワロンカー、ラス・タイトルマン、ヴァン・ダイク・パークス、ランディ・
ニューマン、ライ・クーダーとともに「バーバンク・サウンド」を築きあげたプロ
デューサー。
映画のサウンドトラックを発売することが目的だったワーナーブラザーズ・レコード
のA&R担当レニー・ワロンカーが目指したのは、ハリウッドの映画音楽のような人
工的で豪華な要素とアメリカの雄大な自然を思わせる牧歌的な要素との絶妙な融合。
(バーバンクとはワーナーブラザーズの所在地で、レーベルに描かれたパームツリー
の並木道がそうである)
テッド・テンプルマンはハーパーズ・ビザールの前身ティキスでドラム、ヴォーカル、
ギターからアレンジもこなし、その才能をワロンカーに買われてワーナーブラザーズ
のプロデューサーに就任した。
ドゥービーズの他、ヴァン・モリスン、リトル・フィート、ニコレット・ラーソン、
ヴァン・ヘイレン、エリック・クラプトンを手がけている。


(3)AOR
1970年代〜1980年代初めに米国で「Audio-Oriented Rock」という言葉が使われた。
「音を重視するロック」の意でラウドなロックとは一線を画し、クロスオーバー(
後のフュージョン)・サウンドと大人向けのヴォーカルが特徴である。
その後シングルチャートではなくアルバム全体としての完成度を重視したロックを
「Album-Oriented Rock」と呼ぶようになる。
日本ではレコード業界が独自解釈した「Adult-oriented Rock」(大人向けのロック)
が広まり、ボズ・スキャッグスやクリストファー・クロス、ボビー・コールドウェル
はその代表であった。


(4)日本で音声多重放送が開始されたのが1979年。
この収録はそれ以前である。

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