2016年5月15日日曜日

こんな小春日和の穏やかな日は。

「秋桜」は山口百恵の19枚目のシングルで1977年10月1日にリリースされた。

僕は知らなかったのだが、「秋桜」と書いてコスモスと読ませるのはこの曲のヒット
により広まったということだ。


原題は「小春日和」というタイトルだったが、CBSソニーの酒井政利プロデューサー
の提案で「秋桜」に変更になったらしい。
作曲者のさだまさしはタイトルの「秋桜」を「コスモス」と読ませるつもりはなく、
本来の和名である「あきざくら」とするつもりだったそうだ。


「イミテイション・ゴールド」のヒットで山口百恵のツッパリ路線が始まったばかり
だったが、いろいろな方向性を模索していた時期なのかもしれない。
当時は「なぜさだまさしの曲を?」と疑問の声もあった。


さだファンからも「なぜ山口百恵の歌を作るのか?」という反響もあったという。
ワーナーミュージックの人に聞いた話によると、さだまさしファンというのはとても
熱心かつマニアックな(カルトな)支持層が多いらしい。(1)

彼の魅力はコンサートでの落語か漫談のようなトーク、それとは対照的に「根暗」と
評されることも多い叙情的な曲調と詩にあるのではないかと思う。
さだまさし本人も「人生は明るく、歌は暗くがモットー」と言っている。


さだまさしは山口百恵サイドから督促が来るまで2年間、楽曲提供の依頼があったこ
とを忘れていたそうで(!)それから半年かけて完成したと語っている。


ということは逆算すると、デビューから2年経った1975年の初夏「夏ひらく青春」が
ヒットしていた頃にさだまさしに作曲の依頼があったということか?

デビュー以来の千家和也・都倉俊一による曲に行き詰まりを感じ、山口百恵が「歌手
活動への熱意が薄れ始めていた」時期かもしれない。


その2年後「夢先案内人」をリリースした1977年春に「さださん、前にお願いした曲
どうなってます?」と催促したことになるのか?
ずいぶんのんびりした話だなあ(笑)
それから半年かけたということは、さだまさしは推敲を重ね曲を完成させたのだろう。



↑写真をクリックすると「秋桜」が聴けます。


さだは「百恵さんには日本的な女性らしい面があるのではないか」と感じ、あえてそ
れまでのイメージを一変させるような曲作りを行ったという。
嫁ぐ娘が母を想う歌詞は妹のさだれい子をイメージして書いたそうだ。(2)


さだまさしは提供曲のレコーディングには立ち会うことを常としているが、本作のレ
コーディングの際にはスタジオに赴かず山口百恵に電話をかけた。



さだが「結婚をテーマにした歌だからまだピンと来ないでしょう?」と言うと、当時
18歳だった山口百恵は「はい」と答えている。



第19回日本レコード大賞(1977年)において山口百恵は「秋桜」で歌唱賞を受賞。
さだまさしは作詞で西条八十賞を受賞した。




それから3年後。1980年、山口百恵は結婚を発表し引退(3)する。

10月5日に日本武道館で開催されたファイナルコンサートを終えた後、山口百恵はさ
だまさしに電話をかけてこう言ったそうだ。



「さださん、わたし、この歌の意味がやっと分かりました」



さだまさしはこの時「百恵さんはすごい人だ」と感心したそうである。

<脚注>

(1)さだまさしファン
さだまさしファンクラブ「まさしんぐWORLD」は現在、会員数25,000人。
ファン層は6〜7割が女性で年齢層は高いが、親子や夫婦でのファンも多いらしい。
いまだにコンサートの観客動員力も高い。リピーターも多い。
チケットが発売後すぐ売切れてしまうことも多いそうだ。
新譜や企画物のCDセットも必ず買うなどファンのロイヤリティは高い。
また、全国各地の熱心なさだファンよる集「さだまさし研究会」(さだ研)が数多く
結成されていて、ファン同士でカルトな勉強会や情報交換が行われている。


(2)妹をイメージしたさだまさしの曲
「雨やどり」や「親父の一番長い日」も妹のさだれい子(シンガーソングライター)
をイメージして詩を書いている。
(さだれい子はいまだに独身である)


(3)山口百恵の引退
山口百恵はハワイで三浦友和に「結婚したら引退する」と話し、友和はそれを聞い
て結婚を決意したと語っている。
山口百恵は愛人の子供であった。
父親は認知はしたものの生活の援助はなく母親が働きながら百恵を育てた。
そのため母親を想う気持ちと父親への嫌悪感は特別のようだ。
芸能界に入った理由も「親に楽をさせるため」だった。
充分に稼いで家族に報いるという目的を果たした山口百恵にとって、次は自分自身の
幸せな家庭を築くことが目標で芸能界にまったく未練はなかったようだ。

引退後、各局は山口百恵復活やゲスト出演を何度も画策したが彼女は応じなかった。
NHKから紅白歌合戦の出演依頼もあったが「現役じゃないので」と断っている。
広告代理店がろくに裏取りもしないまま「友和・百恵夫妻を使います」とプレゼンテ
ーションで空手形を切って後でもめたのも一度や二度ではなかった。
彼女は絶対にメディアに姿を現さなかった。まったくブレがない。
山口百恵は21歳という若さで自分を封印したのだ。その潔さはすばらしいと思う。

<参考資料:NHK「SONGS」、Wikipedia他>

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