2016年5月9日月曜日

やさしさが込み上げてくる夜明け前です。

先日ある方のお宅に招かれいろいろなレコードを聴かせていただいた。
その多くは1970年代のアメリカのロックや日本のロックで、僕が当時聴き逃していた、
あるいはまったく知らないものもいっぱいあった。

ジャンルごとに収納されたLPを物色していたら山口百恵のアルバムを発見した。
彼はその中のなんとかいう曲(僕の知らない曲。曲名は失念)が好きらしい。



山口百恵について書こうと思う。



僕は山口百恵があまり好きではなかった。
その理由は三つ。

1)単純に好きなタイプではない
2)CBSソニーとホリプロが作りあげた「青い性」路線が好きではなかった
 その後のツッパリ路線も好きではなかった
3)初期作品を手がけた都倉俊一の曲風が好きではなかった



しかし「夢先案内人」「秋桜」「いい日旅立ち」は好きだ。とてもいい曲だと思う。

きっと他にもいい曲はあるはずだ。アルバム収録曲とかシングルB面とか。
僕の場合はたまたまテレビで歌ってるのを見かけたとか、FMで流れてたのを耳にし
てるという程度なのでヒット曲しか知らないけど。


3曲とも山口百恵が歌ったからこそ、すばらしい作品になったのではないかと思う。

さだまさし、谷村新司のセルフカバーによる「秋桜」「いい日旅立ち」を聴いたこと
があるが別にいいとは思わなかった。
ああ、さだまさしだなあ。ああ、谷村新司っぽいなあ。それだけ。


僕がこういう和製フォーク系の人たちの歌を好まないせいもあるかもしれない。
(二人ともトークはめちゃくちゃおもしろいんだけどね)

まあ、ボブ・ディランの曲だって大半は他の人のカバーを聴いて初めて「へ〜、ディ
ランっていい曲書くなあ」ということが多いし(笑)
その辺は好みの問題ということで。



デビュー曲の「としごろ」が不振だったため、CBSソニーとホリプロ、曲を提供して
いた千家和也・都倉俊一は山口百恵のイメージチェンジを図った。

桜田淳子の「白」「天使」と対比させるべく山口百恵は「黒」のイメージへ。
こういうのはビートルズの対抗馬としてのストーンズとか、タイガースとテンプター
ズとか、昔からよく使われる手法だ。

曲も新しい路線に。第二弾の「青い果実」では大胆な歌詞を百恵に歌わせた。
この「青い性」路線が当たった。5枚目のシングル「ひと夏の経験」は大ヒット。
山口百恵は「早熟な少女」イメージで絶大な人気を獲得する。



しかし本人はこのイメージに違和感を抱き続けていたようだ。
デビューから3年経った山口百恵は新機軸を求め、自ら阿木燿子・宇崎竜童を指名し
曲作りを依頼する。




前年に阿木・宇崎コンビは「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」をヒットさせていた。
トーキング・ブルースのスタイルを取り入れた斬新な楽曲に、山口百恵は新しい自分
の可能性を見出したのだろう。

幼少期を過ごし特別な感情を持っている横須賀が舞台になっている「港のヨーコ・ヨ
コハマ・ヨコスカ」にもシンパシーを感じたのではないだろうか。
横浜育ちの阿木燿子もおそらく山口百恵と話をして、横須賀を舞台にした詩を書く気
なったのではないかと思う。



「急な坂道駆け登ったら 今も海が見えるでしょうか ここは横須賀」



「横須賀ストーリー」は「これっきり これっきり もう これっきりですか」とい
印象的なフレーズで初のNo.1ヒットとなる。この曲は大きな転換点になった。






阿木・宇崎作品第2弾が「夢先案内人」である。

「いつでも夢を」(1)を思わせるような昭和歌謡的な歌い出し。
上へ下へと大きく揺れるメロディー。
ゆったりした揺れ感と包み込んでくれるようなやさしさが心地よい。


随所に程よく効かせたこぶしがスパイスになっている。

「月夜の海に〜♪ 二人の乗ったゴンドラ〜♪が 波も立てずに〜♪ すべってゆ〜♪き
ます〜♪ 」と最初のヴァースの8小節で5回もこぶしが入るのだ。
「そんな そんな〜♪ 夢を〜♪見〜♪ました〜♪」は吉田拓郎節にも似ている。

一歩間違うと演歌になってしまう(笑)が、爽やかに聴かせるのがアレンジの妙だ。


特にギターが際立っていい。
パキパキのストラト・サウンドで弾くフレージングとバウンス(跳ね感)の巧さ。
おそらく芳野藤丸(2)だろう。青山徹(3)かもしれない。

このギターのおかげでニューミュージックっぽさが感じられる。
歌謡曲とニューミュージックの間、三遊間を抜くヒットを狙うのはCBSソニーの得意
とするところで、太田裕美の売り方(4)も同じ。さじ加減がちょうどいい按配なのだ。


↑山口百恵のバックで宇崎竜童がギターを弾いてる珍しい写真。
クリックすると「夢先案内人」が聴けます。


山口百恵は「横須賀ストーリー」「夢先案内人」で確かな手応えを感じたはずだ。
彼女は自分の決断で「早熟な少女」から「自分の意志を持ち潔く今を生きる大人の女
性」へのイメージのリセットに成功したのだ。

山口百恵はシングルで13曲も阿木・宇崎作品を歌いすべてヒットさせている。
この後「イミテイション・ゴールド」「プレイバックPart2」とツッパリ路線が続くが、
「夢先案内人」はまさにその「夜明け前」の穏やかなひと時だった。



彼女のデビュー作から2年半、9枚のシングル盤を手がけた都倉俊一は山口百恵につい
て次のように語っている。


「普通はね、我々が作った世界を歌手に演じてもらうんですよ。
山口百恵の場合もデビューの時はそれをやった。でもね、なんか違うんですよ。
しっくり来ない。
彼女は最初から強烈な自分の世界を持っていたんですね。
我々が彼女をプロデュースするのではなく、我々の方が彼女の世界に入って行く。
そうすると彼女がいちばん輝くわけ」

「山口百恵の本当の魅力を探し出したのは、山口百恵本人ですね。
彼女が持つ引力というか求心力というのは、とにかく凄かったですね。
彼女と仕事をした人はみんな百恵ファンになっちゃう。
篠山紀信さんもそうだった」

「引退する時の潔さを見ればわかると思うけど、自分の信念がハッキリしててね。
軸が全然ブレない人でしたね」



都倉俊一は山口百恵から離れてから阿久悠とのコンビでピンクレディーをヒットさ
せ、山口百恵+阿木・宇崎チームとは賞レースでの因縁のライバル(5)となった。


かつて阿久悠は「スター誕生!」の予選で山口百恵に対して「妹役のようなものなら
いいけれど、歌はあきらめたほうがいいかもしれない」と評した経緯がある。

そのため山口百恵は阿久に作品の提供を求めなかったという説があったが、これに
対し阿久悠自身は「当時は桜田淳子に詞を書いていたから同系統の歌手には作品を
提供しなかった」と述べている。
また山口百恵ファンである事実と彼女の魅力について倉本聰との対談で語っている。



阿久悠がライバル視していたのはむしろ阿木燿子・宇崎竜童であった。
「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」を聴いた時、阿久は斬新さに驚き「なぜ自分が
こういう詩を書かなかったのか」と悔しがったそうだ。

都倉俊一と阿久悠が闘志を燃やしたのも阿木・宇崎という仮想敵がいたからこそで、
その中心に山口百恵の存在があったというのが興味深い。
才気あふれる作家たちは、山口百恵というお釈迦様の手のひらの上で孫悟空みたいに
ぐるぐる飛び回っていたのかもしれない、とふと思った。

次回は「秋桜」について書きます。


<脚注>

(1)「いつでも夢を」
1962年に発売された橋幸夫と吉永小百合とのデュエットソング。
当時御三家の一人だった橋幸夫と女優として絶大な人気を誇っていた吉永小百合との
デュエットであったため話題となり、発売から数ヶ月で30万枚以上の売り上げを記録。
累計売上は260万枚。(作詞:佐伯孝夫、作曲:吉田正)

橋幸夫も吉永小百合も多忙でスケジュールが合わず、別々にレコーディングした音源
をミキシングで一緒にした。
出だしの「星よりひそかに♪」が「夢先案内人」の「月夜の海に♪」に似ている。


(2)芳野藤丸
つのだヒロ&スペースBANDのギターを務めた後、藤丸BANDを結成。
西城秀樹のバックバンドとして活躍。後にバンド名をSHOGUNに変更。
芳野藤丸単独でもセッション・ギタリストで多くの歌手のレコーディングに参加。
特にCBSソニーでは太田裕美、山口百恵の曲で名演を残している。
「木綿のハンカチーフ」の印象的なイントロやオブリも芳野藤丸である。
作曲も手がけいろいろな歌手に楽曲を提供している。


(3)青山徹
浜田省吾とともに愛奴(あいど)を結成。「二人の夏」がヒットしたが一年で解散。
同じ広島出身ということで愛奴は吉田拓郎のバックバンドをやっていた時期もある。
解散後スタジオ・ミュージシャンに転身。
愛奴解散後も拓郎のツアーやレコーディングにも参加している。
青山徹の演奏技術は評価が高い。
どちらかと言うと手数が多く攻めるギターで鈴木茂の抑え気味のギターとは対照的。


(4)CBSソニーの太田裕美の売り方
CBSソニーは1970年代から歌手と話し合った上でマーケティングする会社だった。
太田裕美は本人の意向を汲み、ニューミュージックと歌謡曲の中間を狙った。


(5)賞レースでの因縁のライバル
第20回日本レコード大賞(1978年)に山口百恵の「プレイバックPart2」もノミネ
ートされていた、ピンクレディーの「UFO」(阿久悠・都倉俊一)が受賞。
受賞が発表された時、山口百恵は静かに席を立ち帝国劇場を後にしたそうだ。
尚、最優秀歌唱賞を獲った沢田研二の「LOVE (抱きしめたい)」(阿久悠・大野克夫
)もこの年の大賞有力候補であった。

前年の第19回日本レコード大賞は沢田研二の「勝手にしやがれ」(阿久悠・大野克
夫)が受賞している。
山口百恵の「秋桜」が歌唱賞、ピンクレディーの「ウォンテッド」(阿久悠・都倉俊
一)が大衆賞。

ちなみに「プレイバックPart2」では「勝手にしやがれ 出て行くんだろ」と百恵が
捨て台詞のように歌う箇所があるが、これは沢田研二の「勝手にしやがれ」へのア
ンサーソングだと言われている。
その直前の「ラジオのボリューム、フルに上げれば心かすめてステキな歌が流れてく
るわ」という歌詞からはこの歌が「勝手にしやがれ」だということが想像できる。


<参考資料:NHK BS「ザ・ヒットメーカー 作曲家・ 都倉俊一」(2011)、Wikipedia
日本テレビ「ヒットメーカー 阿久悠物語」(2008)、阿久悠「夢を食った男たち」他>


<参考資料:NHK BS「ザ・ヒットメーカー 作曲家・ 都倉俊一」(2011)、Wikipedia
日本テレビ「ヒットメーカー 阿久悠物語」(2008)、阿久悠「夢を食った男たち」他>

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