2016年7月11日月曜日

ビートルズ来日から50年(楽器の検証・後編)

<1曲だけ使用されたリッケンバッカー360/12>

1966年のツアーで一貫してエピフォン・カジノを使用した二人であったが、ジョ
ージは1曲だけ「If I Needed Some One」でリッケンバッカー360/12を弾いた。




この曲では7フレットにカポをつけて12弦ならではの美しい響きを奏でている。
初日だけカポが6フレットにつけられていたのは他の楽器が半音低くチューニン
グされていたためだ。


通常12弦ギターは複弦が下に配されるが360/12は複弦が上にセットされる。
そのため弾いた瞬間、繊細な美しい響きが広がるのだ。

リッケンバッカー360/12は1964〜1965年のビートルズ・サウンドにおいて重要
な役割を担うことになる。
ビジュアル的にもジョンの325と共にビートルズのアイコンの一つになった。(1)


1本目の360/12は1963年12月に製造されたプロトタイプ。
リッケンバッカーがビートルズのため試作し、1964年2月の初渡米の時にニュー
ヨークのプラザホテルでジョージに手渡された。(2)



ジョージが弾いていたのは2本目の1963年製360/12である。
1965年ミネアポリスで記者会見中に地元のラジオ局からプレゼントされたもの。




全体に丸みを帯びたボディーにモデルチェンジされている。アールがついたエッ
ヂで、カッタウェイの先も丸くなった。(個人的にはこっちの方が好み)

トップのバインディングは無くなり、バックにのみチェッカーバインディング、
特徴的なキャッツアイ・サウンドホールの周りにも白のバインディングが入る。
ポジションマークは乳白色からクラッシュパールに変更され大きくなり、テール
ピースがR型に、コントロールノブはメタルトップとなった。

メイプル3ピースのセミホロウボディー、メイプルとウォルナットの3ピースネッ
ク、トースタートップ・ピックアップが2個、スロッテッドヘッドにクルーソンの
チューナーという基本構造は継承され、色も同じファイヤーグロー・フィニッシ
である。




「If I Needed Someone」のレコーディングで初めて使用された。
1966年8月キャンドルスティック・パークでの最後の公演の後に紛失している。



<ポールはお馴染みの1963年製ヘフナー500-1>

ヘフナー500-1はドイツのヘフナー社が1955年から製造しているベースである。
トップがスプルース、サイド&バックがメイプルのホロウボディで小型であるた
め非常に軽量で、ステージで動き回るポールには最適であった。
またショートスケールなので弾きやすい。

音域は狭いが独特の温かみがあり、丸みのあるモコモコした音から中音域を鋭角
的に強調した音まで出すことができた。





ポールは左利き用のヘフナー500-1を1961年製と1963年製の2本を所有している。

1961年製は同年ハンブルグ巡業中にスタインウェイ楽器店で購入したもの。(3)
キャバーン時代から「She Loves You」のレコーディングまで使用している。
リア・ピックアップがフロント寄りに配され、ヘッドにはバーチカル・ロゴと呼
ばれる縦書きの「Hofner」文字が見られる。


2本目は1963年製で同年ヘフナー社からプレゼントされた。
「I Want To Hold You’re Hand」のレコーディングから1966年8月ビートルズ最
の北米ツアーまで使用していて、よく目にするビートル・ベースはこれだ。





日本武道館でもこの1963年製500-1が使用された。
コンサート活動の終焉で1963年製500-1は封印されたが、1989年「Flowers In 
The Dirt」で共演したエルヴィス・コステロに薦められレコーディング、ライブ
で使用するようになる。
その500-1には北米ツアーのセットリストのメモが貼ったままだたったそうだ。

1961年製500-1は「Revolution」のプロモ・ビデオで見られる。(4)
原点に戻るのを意図したGet Backセッションでも1961年製500-1が使用された。
(屋上シーンで弾いているのは1963年製500-1の方)



<日本に持って来たその他のギターとベース>

ステージでは使用されないもののスペアで用意してあったギターとベースもある。



写真手前左から、ジョンのエピフォン・カジノ、ジョージのエピフォン・カジノ、
ジョージのギブソンSG、ポールのヘフナー500-1、後左からポールのリッケンバ
ッカー4001S、ジョージのリッケンバッカー360/12、ジョンのギブソンJ-160E。


ギブソンSG、ギブソンJ-160E、リッケンバッカー4001Sは予備の楽器である。



ジョージの1964年製ギブソンSGスタンダードは「 Revolver」のレコーディン
で使用していたもの。
来日直前の5月ウェンブリーで行われたNME Poll Winnersコンサートで、また6
にはミュンヘン公演でジョージがこのSGを弾いてるのが確認できる。





ギブソンJ-160Eはジョンが常にツアー用のスペアとして携行していた。

P-90ピックアップを搭載したJ-45型のドレッドノート・ギターであるがハウリン
グを抑えるためにボディーはオール合板。そのため箱鳴りがしにくい。
ジョンは強いストロークでアタック感のある独特のサウンドを作っていた。
またP-90を通すとウォームでファットな音が得られた。(5)
「I Feel Fine」「She’s A  Woman」のイントロでそのP-90が聴ける。




ジョンは1本目のJ-160Eを1962年にリバプールでジョージとお揃いで購入した。
が、1963年12月に盗難に遭う。ジョンは1964年製のJ-160Eを新たに購入。

2本目の1964年製J-160Eは1966年にピックアップをサウンドホールのブリッジ
に移動、1967年にピックガードが剥がされサイケデリック・ペイントを施され、
1968年には塗装を剥がしてナチュラルにし新たにピックガードが付けられた。
(その際ピックアップの位置は戻されている)


ジョンは1962年製J-160Eにも愛着があったらしくジョージの愛器をレコーディ
グやステージでもよく使っていた。(6)
このJ-160Eもピックアップをサウンドホールのブリッジ側、ブリッジ近くのトッ
プの2個所に移動させていた時期がある。

日本に持って来たJ-160Eが1962年製のジョージ所有のものか、ジョンの2本目の
1964年製なのか、ピックアップを移動させていたのか写真を見る限り判らない。



ポールが予備に持ってきたのはリッケンバッカー4001S。
1961年から製造されている4弦エレクトリックベースで、メイプルのソリッドボ
ディにメイプル1ピースのスルーネック構造。(7)
2本のトラスロッドを有し、フロントにトースター・ピックアップ、リアにホース
シュー・ピックアップを搭載。
硬質で抜けの良い、芯のある図太い音色が得られる。




ポールのー1964年製4001Sはファイヤーグロー・フィニッシュ。
1967年にはサイケデリックペイントが施され後に塗装を剥がしてナチュラルにし、
ウィングス時代はボディー上部の長いツノを削るなど改造が重ねらた。



1964年2月の初渡米の際、ジョンの新しい325、ジョージの360/12と共にリッケ
バッカー社が用意した4001Sだが、この時ポールは受け取らなかった。
前年にヘフナーから2本目となる5001をもらったばかりで気兼ねしたのか、ヘフナ
ーとの間でエンドースメント契約があったのかもしれない。

1965年3回目の全米ツアーでLA滞在中に再びリッケンバッカー社はポールを訪問。
ポールはさっそく試奏してみて受け取る。


「Rubber Soul」のレコーディングから使用するが、ツアーではヘフナー500-1を
使い続け(軽量のためステージで動きやすい、ビートルズのイメージとして定着
しているからか)リッケンバッカー4001Sをステージで弾いたことはないようだ。

1965年のツアーまではスペアに1961年製ヘフナー500-1を用意していたが、19
66年のツアーではこの1964年製リッケンバッカー4001Sを同行させている。


次回は使用したアンプ、マイク、リンゴのドラムセットについて。

<脚注>

(1)ジョージのリッケンバッカー
ジョージのリッケンバッカーと言えば360/12であるが、彼が初めて手に入れたリ
ッケンバッカーは425である。
1963年9月に休暇で姉のルイーズを訪ねるため渡米した時にマウントヴァーノン
の楽器店で購入した。(ルイーズからプレゼントされたという説もある)
1ピックアップの廉価版だがローカットスイッチによる音作りができる。
ジョージがジェットグロー(黒)の425を購入したのはジョンの325と見た目のバ
ランスがいい、という理由から。
「I’LL GET YOU」「I Want to Hold Your Hand」のレコーディングで使用され
他、テレビ番組「Ready Steady, Go!」で弾いてる姿が見られる。





(2)リッケンバッカーからのプレゼント
全米でのビートルズ人気でグレッチ、リッケンバッカーに問い合わせが殺到した。
リッケンバッカーは当時あまり一般に知られていなかったため、ファンの多くは
ドイツのメーカーと勘違いしヨーロッパの代理店に問い合わせが行ったらしい。

リッケンバッカーの社長F.C.ホールは1964年2月ビートルズが初渡米した際、ニ
ーヨークパークのパークサヴォイ・ホテルで彼らに弾いてもらいたい楽器を用
して待っていた。
この時ジョージは風邪でプラザ・ホテルで休んでいたため3人がやって来た。

ジョンは2本目となる新しい325をもらう。(さっそくエド・サリヴァン・ショ
ーの2回目の出演時に使用)
ポールは4001Sベースを薦められるがこの時は弾くことなく辞退した。
ジョンは360/12をジョージに見せたいと言い、F.C.ホールに頼んでプラザ・ホ
ルに持って来てもらった。
こうして1本目の360/12はジョージの手に渡ったのである。


1964年2月マイアミでの写真と思われる。ジョージはもらったばかりの360/12
を、ジョンは古い方の325を抱えている。(マイアミで収録したエド・サリヴァ
ン・ショーで新しい325を披露。ジョージが360/12を使ったのは帰国後の2月
25日の「You Can't Do That」のレコーディングが初めて。



(3)ポールの1本目のヘフナー500-1
ステュアート・サトクリフの演奏レベルに不満を抱いていたポールが虎視眈々と
ベースの座を狙っていたというのが通説だったが、ポールは「本当はベースはや
りたくなかった」とインタビューで告白している。
ジョンは年少のジョージにベース役を振ろうとしたが強固に拒否。
ちょうどギターが壊れてピアノを弾いてたポールがその役をやることになった。
ポールは安物ギターに3本のピアノ線を張ってベース替わりにするという無謀な
ことをしていたがすぐ壊れてしまったらしい。
こうしてポールは2度目のハンブルク遠征で1961年製ヘフナー500-1を購入。

ポールが500-1を選んだのは安価だったこと、左右対称で左利きの彼が持っても
見栄えが悪くなかったから、という理由。
トニー・シェリダンのベーシストがバイオリン型ベースを使っていたこともポー
ルが500-1を選ぶ一因になってた、と後にジョージが証言している。





(4)「Revolution」のプロモ・ビデオで使用した1961年製500-1
ブリッジとピックアップの間に音をミュートするためのスポンジを挟んでいるの
が見える。
リッケンバッカー4001Sにはブリッジ側に調整可能はスポンジを配したミュート
システムが付いていて、ポールはこのサウンドを気に入っていた。
1963年製ではなく1961年製500-1を使用したのはリア・ピックアップとブリッ
の間隔が広くスポンジが挾みやすかったからではないだろうか。





(5))ギブソンJ-160E
1954年から生産が開始されたエレクトリック・アコースティックの元祖モデル。
基本構造はJ-45のボディにエレクトリックギター用P-90ピックアップを搭載し
ものであるが、その際ネックを少し外に出してサウンドホールとの間にピック
ップを埋め込むスペースを確保している。
そのためJ-160Eは15フレットジョイントになっている。(通常は14フレット)

エレクトリックギターとして使用した時のハウリングを抑えるため、ボディ内部
の力木はラダー・ブレイシング(J−45はX−ブレイシング)を採用。
また同じ理由でトップ、サイド、バックすべて合板で生鳴りを少なくする措置が
施されている。(初期はトップが単板であったがすぐ変更された)
このためJ−45より音量も小さくサスティンも短く独特の硬めの音色が特徴だ。
アジャスタブル・ブリッジも鳴りを抑えるのに寄与している。
ジョンはこの箱鳴りしないギターをかき鳴らすことで、パーカッシブなストロー
ク音をビートルズのサウンドにもたらした。


(6)ジョンとジョージのJ-160E
ジョンとジョージは1962年9月にリバプールで唯一輸入楽器を取り扱っていた
ラッシュワース楽器店でそれぞれJ-160Eを購入している。
当時ギブソン社のイギリス代理店だったセルマー社に在庫が無く、わざわざ米
から航空便で取り寄せられた。




ジョンは1年ほど使ってからジョージのJ-160Eと交換している。
理由は分からない。
この交換の後ジョンのJ-160E(元はジョージのものであった)は1963年12月
ロンドンのアストリア劇場で盗難に遭う。

その後ジョンは1964年製のJ-160Eを新たに購入。
(サウンドホールの周りの白いリングが一本だったのが二重に変更されている)
二本目のJ-160Eは1967年にサイケデリック・ペインティングが施され、1968
にはエピフォン・カジノと一緒に塗装を剥がされナチュラルになっている。
このJ-160Eはピックアップがサウンドホールに移されていた時期があり、その
取り付け痕が残っている。



ジョンは1962年製がお気に入りのようでレコーディングやライヴではジョージ
J-160E(元はジョン所有だった)を借りて使っている。
ジョンも使用したジョージの1962年製J-160Eはハリソン家で保管されている。
紛失していたジョンの1962年製J-160E(元はジョージ所有)は2015年に所在
分かり、オークションで約3億円で落札された。


(7)スルーネック構造
ギターのネックとボディーの接合方法は通常はボルトオンかセットネック。
スルーネックはネックとボディ中央部が1本の木でできていてネックの結合部が
ないため、ハイポジションでも弾きやすい。
また音の伝達のロスが少なくなるため音の抜けも良いらしい。





<参考資料:ビートルズギア、読売新聞:ビートルズ日本公演50周年記念特集、
Many Years From Now - ポール・マッカートニー、エレキギター博士、
The Beatles And Beyond、Wikipedia、他>

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