2016年8月24日水曜日

フルーツ=キュート♡はヒットの方程式?<後編>

復刻CD「レモンのキッス」(なんか書くだけでも気恥ずかしいタイトルだな)の
収録曲について(自分で調べた範囲だけど)ざっと説明しておこう。







Cuff Links And A Tie Clip/Not Just Your Friend」はアメリカで1961
年にリリースされたナンシーの記念すべきデビュー・シングル。
2曲とも彼女のために書かれた新曲らしい。日本では発売されなかったと思う。



アメリカでの2枚目のシングルA面は「To Know Him Is To Love Him」。
フィル・スペクター(1)の曲でテディベアーズ(2)が1958年にヒットさせた。

日本ではB面の「Like I Do」の方が受けると判断され「レモンのキッス」の邦
でA面とB面を入れ替え1962年9月に発売。ヒットした。
日本語版はザ・ピーナッツが歌いヒットさせた。(森山加代子との競作)(3)


作曲クレジットはディック・マニングであるが、原曲はイタリアのポンキエッリ
のクラシック。オペラ内のバレエ音楽をアレンジして詞を付けたもの。

歌詞は「あの子はあなたにキスするのね、ハグするよね、あたしみたいに、でも
でもぜーったいあたしの方があなたを好きなんだから」という内容で、ボーイフ
レンドに二股をかけられた女の子の気持ちを歌っている。
レモンのレの字も出てこない。

前回書いたように「フルーツの邦題をつければ売れる」という勘違いと「初恋は
レモンの味」というこじつけから付けられたタイトルではないかと思う。


ナンシーはこの歌を嫌っていたらしい。
そりゃ、そうだ。どっちかと言えば二股かけちゃう方だもんね(笑)

But she’ll never♪で声がひっくり返る所がバカっぽくていい。



↑ジャケット写真をクリックすると「レモンのキッス」が聴けます。




シングル3枚目は「Think Of Me/June, July And August」。
同じく日本ではA面とB面を入れ替えて発売された。

A面扱いの「Think Of Me」は後のナンシーに通じる曲。
前作にあやかってぜんぜん関係ない「リンゴのためいき」という邦題になった。

「夜なかなか寝付けない時はあなたを抱きしめる人が必要でしょ。私を思って。
私はあなたとどこまでも一緒に行くわ。忠実で献身的、すべて本当よ」とまるで
ナンシーとは正反対の謙虚な(笑)乙女心を歌っている。
リンゴのリの字も出てこない。ため息つくリンゴってうまく想像できないな。


「June, July And August」の当時の邦題はたのしいバカンス」。
ラスティ・ドレイパーが歌っていた同名曲と内容を取り違えたのではないかと思
われる。

ナンシーのこの曲はしっとりしたバラードで、恋に落ちるロマンチックで素敵な
季節について歌っている。A面はちょっと厳しいかも。






アメリカでのシングル第4弾A面(1962年)はジュリアナが1961年に歌った「
You Can Have Any Boy」で、B面は「Tonight You Belong To Me」。
B面の方が売れると踏んだ日本ビクターはまたしてもA面とB面を入れ替える。

ここで前例に倣い、柳の下のドジョウ狙いで「イチゴの片想い」という邦題を
理やりくっつけて発売した。
原題は「今夜はあなたは私のもの」で、新しい女性の元へ行ってしまう恋人にせ
めて夜が明けるまで私と一緒にいて、と歌っている。イチゴは出てこない。


日本語版は中尾ミエが「甘い〜イチゴ〜なの〜♪」と歌いヒットした。
歌詞はなんと!ミュージックライフの編集長だった星加ルミ子さんである。
ベニ・シスターズという女性コーラス・グループもカヴァーしていた。(4)


原曲は1927年にジーン・オースティンがヒットさせている。
1956年にフランク・シナトラと仕事をしていたオーケストラ・リーダーのマーク
・マッキンタイアは自分の娘、11歳のプルーデンスと14歳のぺイシェンスをLAの
スタジオに連れて行きこの曲を録音し発売したところ英米で大ヒットした。

ナンシーの歌はこのプルーデンス&ぺイシェンス版を元にアレンジされている。




↑ジャケット写真をクリックすると「イチゴの片想い」が聴けます。


能天気なイントロに続き、やや調子っぱずれなアイノウ〜ユビロぉぉぉぉントゥ、
サぁぁぁぁンバディ、エぇぇぇルス♪、2番のアンノウ〜ウィアパぁぁぁぁ、ヨゥ
パぁぁぁぁぁ、オブマハぁぁぁぁ〜♪

なんか身体中のネジがゆるんでバラバラになりそうな脱力感。たまんない(笑)




I See The Moon」は1953年にアメリカでマリナーズ(5)、イギリスではスタ
ーゲイザーズ(6)が歌ってヒットした。
B面の「Put Your Head on My Shoulder」はポール・アンカの代表曲で19
53年本人が歌いヒットさせた他、1968年にレターメン(7)もヒットさせている。

日本でも「フルーツ・カラーのお月さま/肩にもたれて」という邦題で1963年に
発売された。フルーツ路線はまだ続く(笑)





「フルーツ・カラーのお月さま」は梅木マリという女性歌手がカヴァーしていた
みたいだけど、僕はこの人を知らなかった。
あ、「トムとジェリー」の主題歌を歌ってた人なんだ!




6枚目の「One Way」は作曲クレジットがナンシー・シナトラになっているが、
たぶんゴーストライターがいるんだろう。
日本では「青い片道きっぷ」の邦題が付けられた。何で青いのかよくわからん。

B面の「The Cruel War」はアメリカに古くから伝わるフォークソングで、戦地
に兵士として送られるジョニーに恋人の女性が自分も一緒に行くと訴える、静かな
反戦歌である。
邦題は「戦場に消えたジョニー」。



↑ジャケット写真をクリックすると「戦場に消えたジョニー」が聴けます。


ピーター・ポール&マリーが1962年のデビュー・アルバムで3声ハーモニーにアレ
ンジして歌った。この時の邦題は「悲惨な戦争」とほぼ直訳。
 PP&Mは1966年に再録音しシングル・リリースしている。
ベトナム戦争への反戦感情が広がっていた時期に支持された。いい曲だと思う。

1963年の時点でナンシーが歌っているのが興味深い。
ベトナム戦争の反戦集会が始まったのが1965年、全米に広がったのは1967年。
PP&Mが最初に歌った時もナンシーが歌った時も、そういう意味合いはなかった
んじゃないかと思われる。

1967年にナンシーの「シュガータウンは恋の町」がシングルリリースされる時に
「The Cruel War」は改めて「悲惨な戦争」という邦題でB面になった。(8)
日本でもベトナム戦争の反戦運動が注目されていたからだろうか。
邦題を変えたのはPP&M版が浸透していことを考慮してのことだと思う。



Thanks To You」の原曲は名曲「薔薇のタンゴ(Tango Delle Rose)」。
そこから「バラのほほえみ」という邦題になったのだろう。
タミー(Tammy)」は1957年のデビー・レイノルズ(9)の全米No.1ヒット。
彼女が主演した映画「タミーと独身者」の主題だった。





それにしてもここまで同じ写真を使い回ししてるのは手抜きもいいとこ。
恥ずかしくないのかなー。他に宣材がなかったんだろうか。




1964年のシングルA面「涙はどこへ行ったの(Where Do the Lonely Go?)
彼女のための書き下ろしのようだ。素敵なバラードである。(10)
この頃になるとナンシーの歌もだいぶこなれてきて情感も艶もある。




↑ジャケット写真をクリックすると「涙はどこへ行ったの」が聴けます。



B面「Just Think About the Good Times」は初期に通じるポップソング。
これも書き下ろしらしい。
レモンの思い出」とまたまたレモンを引っ張り出してきた(笑)



この辺で果物ネタは尽きたらしい。
どうせなら「スイカの横恋慕」「スモモの恥じらい」「柿の悪あがき」「マンゴ
ーの甘い罠」とか延々と続ければよかったのに。(あれ、スイカは野菜だっけ?)





別れのウェディング・ベル (There Goes The Bride) 」は男性コーラスの
ドゥビドゥ〜ダンドゥビドゥビ〜アイアイユ〜♪が和む。
父フランクとのデュエット「恋のひとこと (Somethin' Stupid)」(1967年)を
彷彿させる。


心の中の恋 (This Love Of Mine) 」は1941年にフランク・シナトラがトミ
・ドーシー・オーケストラをバックで歌い、翌年に24週連続でチャートインし
たヒット曲。
フランクは1955年にネルソン・リドル・オーケストラをバックに再録音した。

流れるような美しいストリングスをバックに歌い上げるゆったりしたバラード
だったが、ナンシーのは16ビートのダンス・ヴァージョンで軽薄な感じ。







The Answer To Everything」はバート・バカラックの曲。
1961年にデル・シャノン(11)がシングル・リリースしている。
「いろいろ訊かないで、いろいろ文句を言うのはやめて、私が好き?本当に?
じゃあそれが答えよ」という内容。
ピンクのキッス」という邦題がどこから降って湧いたのか不明(笑)

トゥルー・ラブ (True Love)(12)はコール・ポーター(13)生涯最後の曲。
1956年のミュージカル映画「上流社会」でビング・クロスビーとグレイス・
リーが船上で歌う美しい曲。






以上、悪女路線前のナンシーもなかなかいいですよ〜。


<脚注>


(1)フィル・スペクター
1960年代から1970年代にかけて活躍したアメリカのプロデューサー。
「ウォール・オブ・サウンド(音の壁)」と称されるサウンド作りが有名。
ロネッツ、テディベアーズ、ライチャス・ブラザーズ、アイク&ティナ・ターナ
ー、ベン・E・キング、ビートルズ最後のアルバム「Let It Be」、ジョン・レノ
ンとジョージ・ハリソンのソロ作品を手がけた。


(2)テディベアーズ
1950年代末期に活躍した男女4人編成のポップ・グループ。
フィル・スペクターが在籍し彼の作品「To Know Him Is To Love Him」が
全米No.1のヒットとなった。


(3)ザ・ピーナッツの「レモンのキッス」日本語版
ザ・ピーナッツは他の歌手との競作となるとヒットしにくい傾向があった
初期のザ・ピーナッツは歌唱力が余り評価されていなかったためらしい。
が、この楽曲で初めて競作曲で他の歌手を抑えてヒットした。
「レモンのキッス」は後に岡崎友紀、木之内みどりもカヴァーしている。



(4)「イチゴの片想い」の日本語版
1982年に岩井小百合が歌った「いちごの片想い」は別な曲である。


(5)マリナーズ
第二次大戦中にアメリカ沿岸警備隊で結成されたヴォーカル・カルテット。
「アーサー・ゴッドフリー」のTVショーでレギュラー出演し人気を博す。


(6)スターゲイザーズ
1940年代末〜1950年代にイギリスで活躍したコーラス・グループ。
「11PM」のオープニングのスキャットを歌っていたスターゲイザーズは日本の
コーラス・グループである。


(7)ザ・レターメン
1950年代後半に結成したアメリカ男性ヴォーカルトリオ。
クローズハーモニー(1オクターブ以内に3声の密集和音)と言われる美しいハ
ーモニーが特徴的だった。ソフトロックに位置付けられることもある。
「ミスター・ロンリー」「涙のくちづけ」など日本でのヒット曲も多い。


(8)「悲惨な戦争」の関連曲
タイガースの1968年のアルバム「ヒューマン・ルネッサンス」に収録されてい
「忘れかけた子守唄」(なかにし礼・すぎやまこういち)はジョニーという
兵士を待つ母の歌。「悲惨な戦争」が元歌ではないだろうか。
映画「ジョニーは戦場へ行った」の影響という見方もあるが、公開されたのは
1971年なので違うと思う。(原作「Johnny Got His Gun」は1939年刊)


(9)デビー・レイノルズ
アメリカの女優、歌手、声優。
ジーン・ケリーのミュージカル「雨に唄えば」に抜擢され一躍スターとなった。
1957年に映画「タミーと独身者」の中で歌った主題歌「タミー」が全米5週連
1位の大ヒットとなり、アカデミー音楽賞にノミネートされる。
その後も「年頃ですモノ!」「恋に税金はかからない」「ママは二挺拳銃」など
ヒット映画に出演している。
最初の夫エディ・フィッシャーとの間の娘は女優キャリー・フィッシャー。




(10)「涙はどこへ行ったの」
1989年の南野陽子の 「涙はどこへいったの」はまったく別な曲。


(11)デル・シャノン
アメリカのシンガーソングライター。
1961年のデビューシングル「悲しき街角(Runaway)」が全米1位を獲得。
日本では「悲しき街角」のヒットの二番煎じを狙って邦題に「街角」を付けま
っていた。こんなのばっか。やれやれ。


(12)トゥルー・ラブ
浅香唯、藤井フミヤに同名曲があるが別物。


(13)コール・ポーター
1930年〜1955年に活躍したアメリカの作曲家。
ミュージカルや映画音楽で多くのスタンダード・ナンバーを残した。


<資料:Wikipedia他>

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