2016年8月4日木曜日

「卒業」のダスティン・ホフマンに学ぶ服飾術。

久しぶりで映画「卒業」(1)を見た。


リバイバル上映で僕が見たのは15歳の時だった。初めての女の子とのデート。
前日の雪がまだ残っていて、僕はヴァンジャケットのオリーブ色のランチコート、
彼女はグレーフランネルのコートを着ていた。

彼女は手編みのマフラーをプレゼントしてくれた。
グレーと白の縞のローゲージニットでその日僕が着ていたランチコートには不釣
り合いだったが、僕はお礼を言ってすぐに首に巻いた。



当時スクリーンを見つめている時はぜんぜん分らなかったけど今見ると、ああ、
そういうことだったのか、なるほど、と思うことも多い。







まずダスティン・ホフマンが演じるベンジャミンのアイビー・スタイル(2)のカ
コよさ、着こなしの上手さに改めて感服した。
ストーリー中の季節の流れやベンジャミンの変化が服を見ているとよく分かる。



冒頭の空港のシーンではミディアムグレーのスーツに白シャツ、ブラックにホワ
イトのラインが入ったタイ、とモノトーンで決めている。
彼はニューヨークのコロンビア大学で優秀な成績で卒業し(陸上選手、新聞部長
でもあった)ロサンジェルスの実家に帰るところだ。

アメリカの大学はふつう6月卒業だからその頃だろう。西海岸の初夏。
将来を嘱望される若者は歓迎されたが何か違和感を感じる。そして虚無感も。





ミセス・ロビンソンに誘惑されるシーンは、ネイビーのジャケットにミディアム
グレーのパンツ、クリームイエローのBDシャツにブラック、ゴールド、シルヴァ
ーのレジメンタルストライプのタイ。(すべて僕も持っていたアイテムだ!)

ベンジャミンのジャケットはナチュラルショルダーでフックドベント(3)のよう
に見えるので、J.プレスではないかと思われる。
パンツはノープリーツの程よいパイプドステム・シルエットだ。
靴はジョンストン&マーフィーかコールハーン辺り(4)ではないだろうか。



初めての情事の時はヘリンボーンのジャケットにチャコールグレーのパンツ。
つまりベンジャミンは誘惑されてから5か月も悶々と悩み、意を決してミセス・
ロビンソンをホテルに誘ったのは12月頃、ということだ。
彼女も高価そうな豹柄の毛皮を羽織っている。





ミセス・ロビンソンと不毛な情事を重ね、無為に時を過ごすベンジャミン。
レコードのジャケ写にも使われた彼女がストッキングを履くシーンでは、キャメ
ル色のコーデュロイ・ジャケットにダークグレーのパンツの合わせ方も完璧だ。



図らずもミセス・ロビンソンの娘エレーンとデートすることになってしまう。
エレインは夏休みで帰省している。ということは6月だろう。

ベンジャミンはシアサッカーのジャケット、シャンブレーのシャツにブラック
のニットタイ、グレーのパンツ。(僕も持ってたがこんなに爽やかじゃない)
そして真っ赤なアルファロメオ・スパイダー。(持ってなかった→笑)





エレーンを真剣に愛し始めたベンジャミンは彼女に事実を告白する。
ショックを受けた彼女はカリフォルニア大学バークレー校に戻り、ベンジャミン
もバークレーに下宿し彼女に付きまとう(今ならストーカー)。

アメリカの大学の夏休みが終わるが9月。だから秋めいてきた10月なのだろう。
バークレーはサンフランシスコの対岸に位置し、同じカリフォルニアでもロサン
ジェルスよりはだいぶ冷える。
そのちょっと頬に冷たい空気が感じられるのだ。





動物園のシーンではベンジャミンは前述のキャメル色のコーデュロイ・ジャケッ
トにに黒のポロシャツ、ジーンズ(たぶんリーバイス)を履いている。
カチッとした格好のベンジャミンがだんだんラフになって行くのがおもしろい。



エレーンが退学したことを知ったベンジャミンはバークレーから彼女の家がある
ロザンジェルスまでアルファロメオ・スパイダーを飛ばす。
その距離は605km。東京からだと神戸まで、北なら秋田くらいだろうか。

ひたすら5号線を走るのだが、ずーっと変わり映えしない風景が続く。
単調で飽きる。アクセルを踏む右足が疲れて、横着して左足で踏んだりする。
それでもたまに大型トラックとすれ違うくらいだから問題ない。


とにかく5〜6時間かけて一人で運転するにはかなりしんどい道のりである。
それをベンジャミンは何と!ぶっ続けで1往復半してるのだ。





ミセス・ロビンソンからエレーンが結婚することを知らされたベンジャミンは、
その足でバークレーまでとんぼ返り。
結婚相手の友人からサンタバーバラで式を挙げることを聞きまた車に飛び乗る。

サンタバーバラはロサンジェルスに近い高級リゾート地だ。観光客も多い。
スペイン調の町並みが美しく誰もが心を奪われるだろう。
バークレーからの距離は520km。





サンタバーバラ市内でガス欠したスパイダーを乗り捨ててベンジャミンは走る。

想像できるだろうか。
東京→神戸→東京→神戸と運転した後、ボロボロの状態で走ることを。


しかもベンジャミンが履いていたジャックパーセル(5)はバドミントン・シュー
でベタッとしたラバーソール。ランニングにはまったく不向きだ。
いかに彼が陸上選手であったとしても、かなり走りにくかったに違いない。

それでもベンジャミンは走り続けた。そんなことも今なら見て分かる。



有名な花嫁奪還のラストシーンはオフホワイトのボートパーカー(6)(マイティ
マック辺りだろう)とホワイトジーンズ(リーバイス?)を着ている。
足元はジャックパーセルのキャンバス、白。もう完璧である。






余談だが、ベンジャミンが下宿を借りる際に大家から「演説屋じゃないか?」と
疑われるシーンがある。
カリフォルニア大学バークレー校は初めて学生のアジテーターが登場した学校で
、学生学生運動の発祥の地なのだ。

1964年にバークレー校の学生の間で始まったティーチ・インと言われる反戦集会
は、大学の官僚的体制の改革を求める運動にまで発展し、1968年にはコロンビア
大学やハーヴァード大学で学生が校舎を占拠するなど過激な運動(7)が展開された。


バークレー、サンフランシスコは音楽、ドラッグ、フリーセックス、表現、政治
的意思表示、ヒッピー革命の中心地(8)である。

しかし「卒業」を見る限り、カリフォルニア大学バークレー校のキャンパスはい
たってノーマルでヒッピーカルチャーに染まった若者たちの姿も見られない。





この映画が制作された1967年前半はまさにサマー・オブ・ラブ(9)の夜明け前だ
のだろう。それは極めて重要なポイントである。


もし一年後に制作されていたら、バークレー校の様相は違っていただろう。
ンジャミンはアイビーではなくベルボトムジーンズを履いていたかもしれない。
音楽もドアーズかCSN&Yかグレイトフルデッドになっていたもしれないのだ。


ということで次回は(やっと)「卒業」の音楽の話。


<脚注>


(1)映画「卒業」
原題:The Graduate。1967年にアメリカで制作され同年12月に公開された。
日本では翌1968年6月に公開。
アメリカン・ニューシネマを代表する作品の一つ。
テーマ曲はサイモン&ガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」。
監督:マイク・ニコルズ
出演:ダスティン・ホフマン、キャサリン・ロス、アン・バンクロフト

ベンジャミン役は当初ロバート・レッドフォードに依頼したが「僕が女を知らな
い男に見えますか」と断割られたという。確かに(笑)


       ↑1968年公開時のポスター。なんか昼メロっぽくてつまらなそう(笑)
        ダスティン・ホフマンが新人扱いでクレジットされている。

       ↑リバイバル上映時のポスター。やっと内容が伝わるようになった。
        クレジットはダスティン・ホフマンがトップになった。


(2)アイビー
1960年代にアメリカ東海岸の名門私立大学グループ、アイビー・リーグの学生の
間で広まっていたファッション。
三つボタンブレザー、ボタンダウンシャツ、コットンパンツ、コインローファー、
ニットタイ、レジメンタルタイなどは欠かせないアイテム。
日本ではヴァンヂャケットの石津謙介がこのアイビーを提唱者し、洗練されたファ
ッションとして定着させた。


(3)フックドベント
ジャケットの後面は動きやすくするための切れ込みを下に入れることが多い。
通常センターベントまたは両側に入れるサイドベンツなのだが、センターから
状にれて切れ込みを入れるセンター・フックドベントも好まれた。



(4)ベンジャミンの靴
イギリスやフランスではなくアメリカの老舗ブランドの靴のような気がする。
お金持ちのエリートとはいえ学生の分際でオールデンはないだろう。

(5)コンバース・ジャックパーセル
米国コンバース社が製造し販売していたスニーカー。
コンバース・オールスターと並び人気がある。
バドミントンのチャンピオンだったジャック・パーセルが開発にかかわった。
発売当時は最高水準の耐久性と快適さを備え、テニス、バドミントン、スカッシ
ュの多くのプレーヤーに愛用された。

丸みを帯びたトゥ(つま先)ほほ笑んだ口元に見えることからスマイルと呼ばれ
るラインが入るのと、ヒール(かかと)にひげと呼ばれるマークが入るのが特徴。
キャンバス地とレザーがある。
ニルヴァーナのカート・コバーン、ジェームズ・ディーン、ミック・ジャガー、
藤原ヒロシなど愛用者が多い。



(6)ボートパーカー
ウィンドブレーカーとマウンテンパーカーの中間くらいの薄手のパーカー。
日本ではマリンパーカー、ヨットパーカーと呼ばれることもある。
セイリングで風が冷たい時にさっと羽織るのに重宝するのだろう。
日本で昔スウェット地のフーデッドパーカーを「ヨットパーカー」と呼んでいた
が、あれは石津謙介によるネーミングで和製英語である。


(7)学生が校舎を占拠するなど過激な運動
1970年に公開された映画「いちご白書」では1968年のコロンビア大学での学生
による学部長室の占拠、機動隊との抗争について描かれている。
バフィ・セント=マリーが歌う主題歌 「サークルゲーム」がヒットした。
CSN&Y、ニール・ヤング、ジョン・レノンの「平和を我等に」も使われている。


(8)バークレー、サンフランシスコは革命の中心地
アメリカでの新しいムーヴメントはたいていサンフランシスコ、バークレーで
始まり、東部に飛び火してそれから全国的に広まる傾向がある。
1990年代に北欧で起こったエコロジーもアメリカではシスコが発信地だった。


(9)サマー・オブ・ラブ
1967年夏にアメリカを中心に巻き起こった文化的、政治的な主張を伴う社会現象。
当時のサンフランシスコは音楽、ドラッグ、フリーセックス、表現、政治的意思
表示の中心地、ヒッピー革命の本拠地であった。
ヘイト・アシュベリー周辺には10万人のヒッピーが集まったといわれる。
彼らは体制文化を拒み、時にはまったく知らない他人との共同生活や、自由恋愛
も厭わなかった。
ヒッピーが主導したカウンターカルチャー、サマー・オブ・ラブは1960年代の
文化的エポックである。


<参考資料: Wikipedia 他>

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