2021年5月17日月曜日

井上陽水の「氷の世界」は終わりの始まり<中篇>

 


レコーディングはシングル候補の「帰れない二人」「心もよう」から始まった。


<「氷の世界」の制作過程1 - 心もよう>

心もよう」は元は「普通郵便」というベッツイ&クリスへの提供曲だった。

ハワイ出身の女性二人のフォーク・デュオ、ベッツイ&クリスの人気に翳りが見え
、マネジメントをしていた青山音楽事務所(現:青山ミュージック・アソシエイツ)
では新機軸として、和製フォークの歌手たちに曲を提供してもらいアルバムを作る
という企画を立てた。




寄せられた曲の中から青山音楽事務所も日本コロムビアも「普通郵便」という曲が
出色の出来で、シングル盤の候補と考えていた。
しかし2人のうち片方(ベッツイかクリスか忘れてしまった)は頑なに「この曲だけ
は歌いたくない」と譲らないので諦めた。ベッツイ&クリスは衰退して行った。
しばらく経ってその曲がラジオで流れ出す。陽水が歌う「心もよう」だった。

「普通郵便(心もよう)」は重く悲しい曲調で演歌っぽい。
ベッツイ&クリスのイメージに合わないし、彼女たちが拒んだのも理解できる。




改定される前の「普通郵便」の歌詞は「心もよう」とはだいぶ違う。
(以下、赤字は「心もよう」になる前の「普通郵便」の歌詞)

 遠くの街の駅で 降りて空を見ると 
 線路の脇に草がある 草のにおいで旅を知る

 僕らが旅へ出てゆくわけは・・・



この歌詞はボツになり、陽水は以下のように書き直した。

 さみしさのつれづれに 手紙をしたためています あなたに
 黒いインクがきれいでしょう 青いびんせんが悲しいでしょう

 このごろレモンティーが とてもおいしいので 自分でいれます
 レモンを買いに行くほかは ほとんど毎日 家に居ます


 さみしさだけを手紙につめて ふるさとに住む あなたに送る
 あなたにとって見飽きた文字の さみしさだけが必ず届く




2番の歌詞はどうでもいい内容。速達にするまでもない(笑)
ディレクターの多賀英典氏はレモンティー〜にダメ出しをし、書き直させた。
またコーラス部で「さみしさだけ」が2回出てくるのも気になる。

 あなたの笑い顔を 不思議なことに今日は覚えていました
 19才になったお祝いに 作った曲も忘れたのに

 さみしさだけを手紙につめて ふるさとに住む あなたに送る
 あなたにとって見飽きた文字が 季節の中でうもれてしまう


さらに、さみしさだけを〜のリフレインでは四季の移ろいを追加した。

 あざやか色の春はかげろう まぶしい夏の 光は強く
 秋風の後 雪が追いかけ 季節はめぐりあなたを変える



多賀英典氏はタイトルにもこだわった。
心+もよう」は不思議な造語だが、どこか心の機微を感じさせる




ポリドールに16トラックの2インチ・レコーダーが導入(おそらくそれに
対応するべくコンソールも一新したはずだ)された頃で、アレンジを担当
した星勝は「これなら何でもできる」と音作りに意欲が湧いた。

イントロではエレクトリック・ハープシコードを使った。
ギターのアルペジオに続いて入るダダダーン♪の重厚なコードがそうだ。
その後メロトロンの タララ~♪でキャッチーさを倍増させた。



↑クリックすると
井上陽水の「心もよう」が聴けます。



<「氷の世界」の制作過程2 - 帰れない二人>

帰れない二人」は最初「僕は君をという仮題だった。
RCサクセションの忌野清志郎との共作である。

陽水によると「清志郎と中野の僕の部屋で作った。きっかけは僕だと思う。
詞と曲を一行ずつ作ったような気がする。よく憶えてないけど。
あの頃よく聴いたニール・ヤングの曲(The Needle and the Damage 
Done)にインスパイアされて。リズムは違うけれど」とのこと。



↑ニール・ ヤングのThe Needle and the Damage Doneが聴けます。


忌野清志郎の記憶は少し違う。
当時、陽水と事務所(ホリプロ)も一緒でツアーも一緒に回ってる頃で、陽水の
アパートにも遊びに行っていたという。※三鷹のアパートだったという説もある。

「最近どんな曲作ってるの?」と訊かれた清志郎が自作の「指輪をはめたい」を
歌うと、陽水は「いや〜いい曲だね。でもその歌詞じゃ絶対売れないよ」と言う。
それで一緒に作ることになった。

「指輪をはめたい」のコード進行を流用し(「指輪をはめたい」はキーがGで半音
ずつ下がるが「帰れない二人」はDから半音ずと下がって行く)メロディを変えて、
最後の部分は陽水が考え、2時間ほどで「帰れない二人」を仕上げた。
陽水が一番の歌詞を考え「二番を考えてよ」と言われた清志郎は、家に持ち帰り
二番の歌詞を作り電話で陽水に伝え「いいねー、清ちゃん」と言われたそうだ。



↑クリックすると井上陽水の「 帰れない二人」が聴けます。


コード進行を見てみよう。


Intro)    D    D on C    G on B    G on B♭ (リピート)
 
 D   Dmaj7  Bm   Bm on A     G    A         D  
 思った   よりも       夜露は    冷たく 
 D   Dmaj7  Bm   Bm on A     G    F#m       Bm
 二人の   声も         ふるえていました
 G   Dmaj7          G   G on F#
 ああ〜              ああ〜    
 Em      Dmaj7      D     E7   A7   Em  Dmaj7   E7       A7   B♭dim
 「僕は 君を」と 言いかけた時  街の 灯が  消えました  
  Bm    F#     Em                  G   F#      G   B♭    D    
 もう 星は 帰ろうとしている 帰れない  二人を残して 


Dでベース音がD→C→B→B♭と下がるコード進行はニール・ヤング、ジェームス
・テイラーの十八番。ビートルズも好んで使っている。(Dear Prudence、
You've Got To Hide Your Love Away、Magical Mystery Tourなど)

ニール・ヤングのThe Needle and the Damage Doneはハネ感のあるシャッ
フル気味のフラットピッキングだが、「帰れない二人」はアルペジオ。
イントロの下降音でハンマリング・オンを入れるのもニール・ヤングっぽい。


「消えました」のA7→ B♭dim→Bmが秀逸。B♭dimがスパイスで効いてる。
「帰れない二人を残して」のG→F#→G→A#→Dでのコードの上下はビートルズ
Sexy Sadie、Revolutionなどでジョンがやっていたのと同じだ。
(陽水はビートルズに夢中だったという)

この曲はコード進行が洋楽っぽく洒落てて歌メロも歌詞も美しい
「もう星は帰ろうとしている 帰れない二人を残して」なんて素敵じゃないか。 




深夜になり、もう星(アレンジャーの星勝)は帰ろうとしている、
(曲が完成していないため)帰れない二人(陽水と清志郎)を残して

という都市伝説みたいな解釈も生まれた。


清志郎が書いたという二番の歌詞。ファンはいかにも清志郎らしいと言う。

街は静かに 眠りを続けて 口ぐせの様な 夢を見ている 
ああ〜    ああ〜 
結んだ手と手の ぬくもりだけが とてもたしかに 見えたのに
もう夢は急がされている 帰れない 二人を残して



一番の「もう星は帰ろうとしている」を受け「もう夢は急がされている」。
どちらも凡人に書ける詞ではない。そして本当に通じ合う仲だったんだなあ。




ちなみに「氷の世界」のジャケット写真はツアー中に楽屋で撮影されたもの。
ネガを現像液に浸けておく時間が長くなり、あの独特の白い感じになったらしい。

陽水が弾いてるのは清志郎のギターである。
1960年代のギブソンLG-0と思われる。
後継機種B-25の12弦モデルのようなブランコ・テールピースに改造してある。


清志郎は同じホリプロで渋谷ジャンジャンに出演してた頃、陽水が自分の前座だ
たのにあっというまに逆転した、と嬉しそうに言ってた。二人の友情を感じる。
RCサクセションが低迷していた時期、清志郎は「氷の世界」のヒットのおかげ
印税収入で潤ったそうだ。(収録曲の「待ちぼうけ」も二人の共作である)



↑忌野清志郎35周年記念バラエティー・ライブ(2005年3月、渋谷パルコ劇場)
陽水と在りし日の清志郎が歌う「帰れない二人」が観られます。

清志郎が亡くなった後、コンサートでこの曲を歌った陽水はサングラスの奥から
涙を流し声を詰まらせた。



<「心もよう」と「帰れない二人」どちらをA面にするか>

現場のスタッフは全員が「帰れない二人」推しで意見がまとまっていた。
洋楽っぽいきれいな曲で、録音したものの出来も良かったから。
陽水自身も「帰れない二人」は自信作でA面にする意向だった。




しかしプロデューサーの多賀英典氏だけは頑なに「心もよう」に固執する。
サウンド、タイトル、歌詞にこだわり、周囲の反対を押し切ってA面に決めた。
多賀氏は孤立し、陽水とも対峙することになったが最後まで自説を通した。

「帰れない二人」はいい曲だけど、日本のマーケットはそういうものではない。
「心もよう」の方が多くの人の情緒を揺さぶるはずだ。

遠距離恋愛をテーマにした叙情的な歌は多くの日本人が好む。
陽水のファン層も広がる。多賀英典氏には確信があった。

1973年9月21日に先行シングル「心もよう/帰れない二人」が発売された。


結果的に「心もよう」は前作「夢の中へ」を超えるヒットとなる。
アルバム「氷の世界」をミリオンセラーに導く起爆剤としての役割を果たした。




伊集院静は「あの時代にきちんと耳に入ったという意味では『心もよう』です。
夜中に流れていた時、孤独感、色彩的な詩がすごくいいと思った」と言ってる。

谷村新司も「多賀さんが(A面は)『心もよう』と言ったのは大正解だと思う。
『帰れない二人』の方がクオリティは高いけど、そういうのを超えてこの時代の扉
を開く一曲を選べと言われたら『心もよう』を選びます。
『帰れない二人』は隠れた名曲としてアルバムの中に別の輝きをもつ存在」と言う。


どうだろう。僕もどっちが好きか問われたら「帰れない二人」と即答する。
が、マーケティング的には「心もよう」という選択肢も理解できる。
「心もよう」は1973年の日本に一石を投じ、多くの人々の心の琴線を震わせた。

しかし今この2曲を改めて聴くと、「心もよう」が昭和という時代を感じさせるのに
対して、「帰れない二人」は時代を超え普遍的な名曲だと改めて思う。

多賀英典氏もアルバムで1曲選ぶとしたら「帰れない二人」だと言う。
「心もよう」より「帰れない二人」の方がいいと彼自身も心の中では思っていた。
スタッフ全員と敵対して「心もよう」A面を強行したのは苦渋の決断だったはずだ。
清志郎と陽水の合作だったことは知らなかったらしい。


(続く)

<参考資料:「井上陽水 氷の世界40年」日本初ミリオンセラーアルバムの衝撃
とその時代(NHK 2013年12月放送)、忌野清志郎自伝「GOTTA」、TAP the POP、
忌野清志郎ラジオ対談、レコードコレクターズ、ORICON MUCIC、Wikipedia、他>

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