2021年5月31日月曜日

井上陽水の「氷の世界」は終わりの始まり<後篇>

 <「氷の世界」の制作過程3 - 白い一日、Fun>

「心もよう/帰れない二人」に続き「白い一日」「桜三月散歩道」「自己嫌悪」
「Fun」などが録音された。

白い一日」は小椋佳が作詞陽水が作曲した作品。
当時、小椋佳は銀行員であることを隠して活動しておりテレビにも出ない謎の存在。
実はそれもヒット戦略の一環だったという。陽水もテレビ出演を拒んでいた。
小椋佳は文学的な香りがする歌詞を書いていた。世界観も陽水に通じる部分がある。

 まっ白な陶磁器を ながめては飽きもせず
 かと言って ふれもせず そんなふうに君のまわりで
 僕の一日が過ぎていく


あえて陶磁器という総称を使い、聴き手の想像に委ねたのだろうか。
器なのか?便器だと思った人もいたらしい(笑)
掃除機と聴き違えた人もいる。白い掃除機を眺めて何がおもしろいんだ?



↑クリックすると井上陽水の「白い一日」が聴けます。


Fun」は素直できれいな曲だ。ちょっと感傷的で。陽水も気負っていない。
こういうさりげない曲って、かえって才能が要ると思う。

 気まぐれ いたずら待ちぼうけ 赤いパラソルがゆれてる 
 君は雨を見ているの?  雨を見てるふりだけなの?

 明日が天気になると 今日のことが
 想い出のひとつになり 君は笑うかな?

 泣き虫 弱虫 ひとりきり 心の鍵をなくしたの?
 君が悪いのさ 今日は ひとりで恋なんかして






「はじまり」は「夢の中に」のような軽快なポップ・ロック。
一曲目の「あかずの踏切り」からつながる。

アルバムには忌野清志郎との共作がもう1曲収録されている。
待ちぼうけ」という曲だが、陽水は作曲時のことを全く覚えてないという。

「僕がカレーライスを作って清志郎に振る舞ったことは覚えているんですよ。
ファミレスもスターバックスもない時代ですから、2人で寂しく食べてね」



↑写真は陽水が1970年代前半に住んでいたという幡ヶ谷のマンション。
遠藤賢司もここに住んでいたらしい。だからカレーライスは出来すぎ?(笑)
幡ヶ谷は中野南台に近い。陽水が言う中野のアパートというのはここだろう。




<「氷の世界」の制作過程4 - ロンドン録音>

プロデューサーの多賀英典氏は残り数曲をロンドンで録音することにした。

当時ポリドールは沢田研など所属歌手に時々、ロンドン録音をさせている。
これはレコードが売れたご褒美、モチベーションアップのため、という意味合いと、
ロンドンでの録音を体験させることで歌手やミュージシャン、アレンジャーに刺激
を与えスキルアップを図る、という狙いがあったようだ。


レコーディングは独立系のトライデント・スタジオで行われた。
ビートルズがホワイト・アルバムのセッション中に使用、エルトン・ジョン、クイ
ーンやデヴィッド・ボウイも使用したことで知られている。(1)





タイトル曲「氷の世界」のアレンジはスティーヴィー・ワンダーのSuperstition
(邦題:迷信)のようなイメージで、と星勝は考えていた。
ファンキーなサウンドが欲しいのでホーナー社のクラビネットを手配したしたが、
調達できたのはクラヴィコード。何とかイメージに近いサウンドを作った。

ストーンズの「悲しみのアンジー」のストリングスを手がけたニック・ハリスンが
アレンジしたホーン・セクションをオーバーダブ。すごいサウンドになった。
コーラス隊は黒人女性3人を手配したが、来たのは白人女性2人と男性1人。
が、歌ってもらうと日本人ではできないような迫力のあるコーラスが録れた。



↑写真をクリックすると井上陽水の「氷の世界」が聴けます。


プロデューサーの多賀英典氏がニック・ハリソンをアレンジャーにブッキングし
たので、星勝はなかば観光気分で同行した。
ニック・ハリソンは弦楽器・管楽器のアレンジャーでリズムは得意ではないと判り
、「星君、出番だよ」と言われ急遽、譜面を書くことになる


冒頭の「窓の外ではリンゴ売り」という歌詞は分かりにくいから変えた方がいい、
と多賀氏が助言するが、陽水は反抗し変えなかった。
「氷の世界」は過激さを表現したいパンク精神に近かったかもしれない。


アルバム一曲目となった「あかずの踏切り」は「陽水ライヴ もどり道」に収録
された陽水の弾き語りとはまったく違う曲に生まれ変わった。
陽水自身が詩は悪くないのに曲として不満で、星勝に再作曲を依頼したという。



↑クリックすると井上陽水の「あかずの踏切り」が聴けます。


陽水が作曲した「あかずの踏切り」は曲調が暗すぎてどんよりしてしまう。
星勝によってまったく違う曲に生まれ変わった「あかずの踏切り」は、ファンク・
ロック・ナンバーに仕上がった。


アルバムの最後を飾る静かな曲「おやすみ」もロンドンで収録された。

 あやとり糸は昔 切れたままなのに 思い続けていれば 心がやすまる
 もうすべて終わったのに みんな、みんな終わったのに




幡ヶ谷のマンションの自室で。
ベッドの上にヤマハFG-150、下にヤイリYD-304が見える。
(クリックすると井上陽水の「おやすみ」が聴けます)


「小春おばさん」はわざわざロンドンで録音する必要があったのか?疑問。
暗く重く日本の土着的な匂いがするこの曲を。これは嫌いだった。

「チエちゃん」、日本で録音してあった「Fun」にニック・ハリスンがアレンジ
した流れるようなストリングスをオーバーダブ。

ロンドンで録音したテープは日本に帰ってからミックスダウンし、すでに録音され
ていた曲とのバランスが合うようにマスタリングされた。



<「氷の世界」では人の裏の部分を表現している>

以下、井上陽水のインタビューより。

「僕はどうして歌が作れるんだろうって考えて、突き詰めていくと自分が非常に
弱い人間だということにぶち当たる」(1974年6月 ラジオ番組「陽水の世界」)



ギルドD-55は1975年から1980年頃まで使用されていた。


「『氷の世界』以前の歌謡曲の大半は『表』の部分を表現するのがメインだった。
裏の部分なんて歌にしてもという風潮。自己嫌悪? 誰がそんな歌聴きたいの、と。
僕は昔から表面的なものはあまり好きじゃなくて。『裏路地』が好きだったんです」

「色々なイデオロギーがあって、価値観がある。その全ての部分に突っ込めるような
『余地』は残しておきたいという気持ちはあった。
茶々をいれたいというか、カラかってみたいというかね。
僕の中では『普遍的な物とか思想は無い』という思いが強いのかもしれない。
相当なノンポリだなって思いますよ。
哲学的なことを口から泡飛ばしながら話すことないんじゃないの?って。
それよりも、何気ない日常生活のなかに潜んでいるものを僕は探していきたい」
(2014年5月 ORICON MUCICインタビュー)

「生きている僕がいろいろなことを感じたり考えたり喜んだり悲しんだりしている
のが曲になっているわけだから、今を生きているっていうことがコンセプト。
というか、『今を生きてます、それでいいでしょう』ってことだった。
(『氷の世界』は)言うと恥ずかしいけど人間の不条理かな」
(NHK 2013年12月 NHK「井上陽水 氷の世界40年」)





<「氷の世界」- 個人的雑感>

発売時、僕は高校生で友人に聴かせてもらった。大学生で死ぬほど聴くことになる。
僕は長髪でロンドンブーツ。バイト先は限られ、吉祥寺のジーンズ店で働く。
店ではディープパープル「ライヴ・イン・ジャパン」、エルトン・ジョン「黄昏の
レンガ路」、「氷の世界」が一日中流れていた。来る日も来る日も。うんざりだ。
この3枚は一生聴きたくないと思った(笑)いずれも名盤なのに。

でも「帰れない二人」「Fun」「おやすみ」の3曲は今でも好きだな。


<補足1:井上陽水のボーカルの音圧>

井上陽水の歌はあの圧倒的な声質と音圧があるからこそ迫ってくるのかもしれない。
昔はその攻めてくる感とか重圧が苦手だった。

むしろ後年、陽水の2度目のミリオンセラーとなったセルフカバー・アルバム「9.5
カラット」以降の熟成された楽曲や歌声の方が好みだった。
気負いも歌謡曲との意識的な壁もなくなり、他歌手への提供曲も秀逸である。

「ワインレッドの心」(1983年 玉置浩二と共作 安全地帯の歌唱でヒット)
「恋の予感」(1984年 玉置浩二と共作 安全地帯の歌唱でヒット)
「背中まで45分」(1983年 沢田研二への提供曲)
「いっそセレナーデ」(1984年)
「飾りじゃないのよ涙は」(1984年 中森明菜への提供曲)
「少年時代」(1990年)
「移動電話」(1994年 ドラマ「夢見る頃を過ぎても」主題歌)




陽水の声量についておもしろエピソードがある。
1976年にフォーライフ・レコードが年末に向け企画もので拓郎、陽水、泉谷、
小室等の4人によるクリスマス・アルバムを出すことになった。
録音の際、陽水の声が大きすぎるため一人だけ壁を向いて歌わされたらしい。
陽水は「こんな寂しいレコーディングは初めて」と言ったとか(吉田拓郎談)

清志郎のリハーサルを見た友人が、他の歌手とは声が別格と言っていたが、陽水
とのデュエットを見て納得。PAで調整可とはいえ陽水と互角に歌っているのだ。
玉置浩二も陽水とのデュエットで改めて声量がある人なんだと感心した。


<補足2:1970年代に井上陽水が使用した楽器>

◆ヤイリ(S-Yairi)YD-304

「断絶」のレコーディングの時に購入。「氷の世界」でも使用している。
アレンジャーをしていたモップスの星勝やその周辺で「やはりヤイリ」という
評判だったので選んだらしい。型番は後から雑誌で知ったという。
大卒初任給が5万円だった頃(1972年)で定価8万円。


1970年代当時、ヤイリ(S-Yairi)は手工製の高品質アコースティックギター・
メーカーとして定評があり、国産ではヤマハと双璧をなしていた。

1970年代はフォークブームに乗り国産メーカーが誕生。その多くがマーティン
のコピーを製作していたが、その中でS-Yairiは頭一つ抜けていた。
憧れのマーティンは雲の上の存在で手が出ないため、現実的に入手可能な国産の
コピーを検討するわけだが、その中でもS-Yairiは最高峰。
御茶ノ水のカワセ楽器店オリジナルブランド、マスター(Master)と共にマーテ
ィンに最も近い国産ギターと言われ、陽水以外にも谷村新司など多くのプロが使用
していた。 (2)

YD-304トップはスプルース単板、バックはハカランダ合板とメイプルの3ピース、
サイドはハカランダ合板、ネックはマホガニー、指板とブリッジはエボニー。
マーティンのD-35のコピー・モデルである。
ワシントン条約批准前でハカランダが輸入できた時代であるが、価格を抑えるため
か合板が使われている。(単板なら倍くらいの価格になっていたのではないか)




陽水はポジションマーク上にアルミ箔のようなモノを貼っていた。
直径1cm程度だが円形ではなくいびつな形で何かを無造作に切り抜いたような。
この時期、陽水がコンサートでギターを弾いてる写真を見ると、椅子に座って背を
まるめて前かがみの姿勢で、ギターを手前に斜めに傾けていることが多い。

陽水は近視だったのではないだろうか。
暗いステージで指板が視認し辛く、このような対応をしていたとも考えられる。
サングラス(度付き?)をかけるようになってから、指板にシールは貼っていない。


◆ヤマハFG-150

ヤマハの名器FG-180(吉田拓郎も使用)と同じ低価格ラインで000サイズ。
表板はスプルース、横&後板はマホガニー合板、指板とブリッジはローズウッド。
FG-180は低価格ながらいい音だが、FG-150はあまり鳴らなかった憶えがある)
自宅で使用していたらしい。ヤイリより前に入手していたのではないか。


◆春日W-20

国産初の12弦ギター。福岡で浪人時代、人に買ってもらったそうだ。
アンドレ・カンドレ時代に使用。


◆ギルド(Guuld)D-55

1968年からギルド最上位モデルとして特注でのみ生産していたが、1974年から
通常ラインとして販売されているドレッドノート・サイズ。
トップはスプルース、サイド&バックはローズウッド、マホガニー・ネック、
指板とブリッジはエボニー。
スケールは25 5/8インチで若干マーティンのドレッドノートより長い。


◆ホーナー製ブルースハープ・マリンバンド

10ホールズのブルースハープ(ハーモニカ)。ベンドがしやすく音抜けが良い。
フォーク、ブルースの定番。(日本製のトンボ・メジャーボーイも人気があった)
ハーモニカ・ホルダーはホーナー製、トンボ製を使用していたらしい。


<脚注>

(1) トライデント・スタジオ

EMIが8トラックを導入しないため、1968年7月末にビートルズはヘイ・ジュード
の録音をトライデント・スタジオの8トラック・レコーダーで行う。
(EMIが重い腰を上げ8トラックを導入したのは1968年9月)
翌1969年にトライデント・スタジオは早くも16トラックを導入。
エルトン・ジョンの「僕の歌は君の歌」は16トラックで録音されている。
1975年クイーンのボヘミアン・ラプソディ録音時は24トラックになっていた。


(2) ヤイリ(S-Yairi)
矢入楽器製造株式会社が製作するギターのブランド。
1938年に矢入貞夫が名古屋で完全手工によるアコースティック・ギターの製作
を始めた。 マーティンを手本としている。
谷村新司、井上陽水など著名なミュージシャンにも愛用された。
1970年代のフォークソング・ブームで売り上げを伸ばすが、そのブームの衰退で
アコースティックギターの市場が冷え込み、1982年に倒産した。
(製品の永久保証を謳っていたが、会社の方なくなってしまった

2000年に息子の矢入寛の監修で復活したS.Yairiは社名の権利のみの別メーカー。 
廉価モデルは中国製、高額モデルは国内のギター製造メーカー製造を委託。

K.Yairiブランドを展開するヤイリギターはS.Yairiとは全く別のもの。
1970年代からAlvarez Yairiの商標でアメリカで販売され、ポール・マッカートニー
、デヴィッド・クロスビー、グラハム・ナッシュ、リッチー・ブラックモア、
カルロス・サンタナ、ドミニク・ミラーなどのミュージシャンが使用している。


<参考資料:「井上陽水 氷の世界40年」日本初ミリオンセラーアルバムの衝撃
とその時代(NHK 2013年12月放送)、ラジオ番組「陽水の世界」1974年6月、
ORICON MUCIC 井上陽水が語る忌野清志郎との共作秘話 2014年5月、
井上陽水と愉快なギターたち、アコギラボ S-Yairi YD-304、Wikipedia、
レコードコレクターズ、他>

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