2022年6月7日火曜日

アリス=紗良・オット 2022ピアノリサイタルに行った。



5月30日、東京・サントリーホールで開催されたアリス=紗良・オットのピアノ

リサイタルに行ってきた。
2018年の「ナイトフォール」ツアー以来4年ぶり、待望の単独来日である。

昨年発売された「エコーズ・オブ・ライフ」のツアーであるが、9月に予定されて
いた来日公演が、新型コロナウイルスの感染拡大のため中止になっていた。

既にヨーロッパ各地で開催され、やっと日本でも7都市を巡るコンサートが決定。
5月30日サントリーホールでの東京公演は最終日だった。



↑大津公演で。叶匠壽庵(和菓子の老舗)の差し入れをいただいたらしい。
                     (写真:Instagram alicesaraott_official) 



<日本のクラシック音楽の歴史を変えたサントリーホール>

サントリーホールは故ヘルベルト・フォン・カラヤン氏の協力により「世界一
美しい響き」を目指し造られた東京初のコンサート専用ホールである。(1)
日本のクラシックはサントリーホール誕生以前と以後に分けて語られるという。

中央にそびえ立つ巨大なパイプオルガンと天吊の照明が厳かな雰囲気を醸し出す。
ヴィンヤード型の客席(ぶどうの段々畑状にステージを囲む)は音響的にも視覚的
にも演奏者と聴衆が一体となって臨場感あふれる音楽体験を共有するためのもの。




側壁を三角錐とし、天井は内側に湾曲させ、全2006席のすみずみに理想的な反射音
伝える構造となっている。
壁面の内装材にはウイスキーの貯蔵樽に使われるホワイトオーク材を、床や客席
の椅子背板にはオーク(楢)材を使用することで、暖かみのある響きを実現。

視覚的にも上質で豊かな気分で音楽が味わえる。



<「エコーズ・オブ・ライフ」はコンセプト・アルバム>

新作「エコーズ・オヴ・ライフ(Echoes Of Life)」は、ショパンの「24の前奏曲 
作品28」に7つの現代作品(2)を間奏曲のように織り込んだコンセプト・アルバム。




前作「ナイトフォール」も「夜の帳が降りてゆく昼と夜の狭間」をテーマとし、
ドビュッシー、サティ、ラヴェルの曲で構成したコンセプト・アルバムだった。
移ろいゆく群青のグラデーションと、夢と現実、光と闇、が美しく紡がれている。

エレクトロニカの雄、オーラヴル・アルナルズとの共演作品「ショパン・プロジ
ェクト」ではポスト・クラシカル(3)にも挑戦した。


彼女は伝統的なクラシック作品を踏襲するだけではなく、自分の感性や解釈を加えた
ストーリー仕立てのパーソナルな表現を目指しているのはないだろうか。
クラシックはもっと自由であっていい、多くの人に自由に楽しんで欲しい、と。(4)

(彼女は交響楽団との共演以外はクラシック・コンサート定番のドレスを着ない。
ラフな格好で裸足でピアノのペダルを踏む。リラックスして演奏したいから。
観客にも自由な格好でリラックスして聴いてもらいたい、と言っていた)




ショパンの「24の前奏曲」はいろいろなピアニストによる録音が山ほどある。
自分ならではのタッチ(感触、作風)を加えない限り出す意味はない。
そこで「24の前奏曲」の合間に7つの間奏曲(インタールード)を置くという
構成を思いついたという。

サブスクやプレイリストなど近年の音楽の聴き方の変化も考慮したようだ。
そういう時代に、必ずしも作品を頭から番号順に録音していく必要はない。

7つの現代作品を織り交ぜつないで行くことで、ショパンの作品とどのように
響き合い、一体となるのか?実験的な試みだったという。



                     (写真:Instagram alicesaraott_official)


アルバムを通して聴き、いかにショパンの作品が現代の音楽と刺激し合えるかを
実感できるものに仕上がったと、アリス=紗良・オットは語っている。

実際に聴いてみて、まったく違和感がなく自然に感じるのに驚く。
現代の7作品がジグソーパズルのピースのようにショパンの24曲に間にぴったり
収まり、旧知の仲のように響き合っている。



<リサイタルは演奏と映像作品のコラボレーションだった>

今回は「エコーズ・オブ・ライフ」をテーマとした映像とのコラボレーション。

ドイツ・グラモフォン120周年記念で行われた森ビルのデジタルアート・ミュ
ージアム「イエローラウンジ東京」のような感じを想像していたが違った。





今回は
建築家のハカン・デミレルが映像作品の制作と演出を手がけている



                     (写真:Instagram alicesaraott_official)


会場の正面、ピアノの上に設置された大型スクリーンに映像が映し出される。
サントリーホールの場合はパイプオルガンの手前にスクリーンが設置された。

彼女の演奏とシンクロするようにデザインされたデジタル・ビデオ・インスタ
レーション(5)が上映される。


アリス=紗良・オットによって紡ぎ出される音楽とスクリーンに映し出された
映像作品で観客は一人一人イメージの翼に乗って旅をする、という演出だ。

演奏曲はアルバム「エコーズ・オブ・ライフ」収録の24+7曲。(約65分)
休憩なしで一気に演奏される。

映像も1曲ごとに異なる空間が映し出され、さらに曲の流れに沿ってその映像
が刻々と変化して行く



↑「エコーズ・オブ・ライフ」の映像のトレーラーが観られます。
                     (写真:Instagram alicesaraott_official)



吸い込まれそうな奥行き感、幾何学的で現代的なのに経年の温もりを感じさせる
空間、どこか瀧安寺を彷彿させる庭と建造物。光と陰の角度で変わる時間軸。
そして最後は壮大な宇宙。眩い星の洪水で「旅」は終わる。





驚いたのは24+7曲の演奏と映像が65分間、完全にシンクロしていることだ。
タイミングもそうだが、音と映像のイメージのマッチングが見事だった。

ハカン・デミレル映像制作チームとは綿密な打ち合わせをしたらしい。



                     (写真:Instagram alicesaraott_official)


終盤「アルヴォ・ペルト:アリーナのために」では映像が消え、仄暗いステージ
演奏するアリス=沙良・オットの姿が浮かびあがる。
繊細な曲だけに(脚注参照)この演出はとても良かったと思う。



↑クリックするとアルヴォ・ペルトの「アリーナのために」が聴けます。

                     (写真:Instagram alicesaraott_official)



<コンサートを見終えて:雑感>

今回は10日間で7地区を廻るタイトなスケジュール。その最終公演である。
彼女は満面の笑顔でステージの袖からスタスタと裸足で歩いて来た。

黒のインナーに黒のワイドパンツ、ロイヤルブルーのカーディガン。そして裸足。
いかにもアリス=紗良・オットらしいスタイルでの登場だった。


ピアノの前に座り、拍手が止むのを待って床からマイクを拾い語り出した。

パンデミックのこと、今回は時間がなく食事を堪能できなかったこと(笑)、
ステージでは裸足で靴が要らないからいつも小さなスーツケースで移動するが、
大きなスーツケースをもう1つ持参し、ドイツで入手しにくくなった日本の食品
をまとめ買いしたこと。。。


これから始める演奏と映像で、一人一人が自分のイメージで旅をして欲しい、と
前置きが終わると、照明が落ちコンサートが始まった。



↑1曲目、トリスターノの「イン・ザ・ビギニング・ワズ」が聴けます。
                     (写真:
Instagram alicesaraott_official)



席は1階センターブロックの前から2列目。かぶりつきである。
鍵盤の上を華麗に舞う彼女の手も、音に感情を込める表情までよく見えた。

客席に数台、鍵盤の脇に手元を撮るビデオカメラが設置されていた。
後日BSで放送されるのかもしれない。



↑矢印の辺りの座席だった。
(インスタグラムのストーリーから部分スクショした写真を使わせてもらった。
流れて消えてしまうため撮影者を確認できず、使用許可も取れず。お許しを)



間近で聴くスタンウェイの生音の良さ、サントリーホールの音響特性。
あの華奢な体でよくあんな凄みのあるフォルテッシモが出るものだ。
そして繊細でありながらも会場全体に響き渡る美しいピアニッシモ。



          
↑最後の曲、アリス=紗良・オット「ララバイ・トゥ・エターニティ」。 
                          (写真は別な公演Instagram alicesaraott_official)


ピアニスト、アリス=紗良・オットはステージでの所作が美しくカッコいい
流れるように鍵盤の上を自在に滑る両手、ときおり宙を舞う片手、ハンドクロス、
体全体で鍵盤を叩きつけ思い切りよく手を引くミュート。
天を仰ぎ音に身をまかせ陶酔した表情。鼻筋が通った横顔がきれいだ。



                                                            (写真:Instagram alicesaraott_official) 


65分間の演奏を終えた彼女は(いつものように)右手を胸に当てて感謝の意を
表し笑顔で深々とおじぎをし、祈るように両手を合わせて礼を言う。
この人はタレ目のせいか笑うと子供みたいにかわいい。
それからさっと踵を返し、入って来た時と同じようにステージを後にする。



                                          (写真は別な公演Instagram alicesaraott_official)


鳴り止まぬ拍手に、結局3回も挨拶をしにステージに戻った。
そして3回目、(最終日だけのようだが特別アンコールに応え)サティの「グノ
シエンヌ第1番」を弾いてくれた。

前作「ナイトフォール」収録曲である。
アリス=紗良・オットのサティを最後に聴けるとは思いがけないプレゼントだ。
弾きながら彼女が気持ちよさそうにハミングしているのまで聴こえた。



↑「グノシエンヌ第1番/3番、ジムノペディ第1番」が視聴できます。(2019年
              (写真は別な公演Instagram alicesaraott_official)



コンサートの余韻に浸りながら会場を後にする。少しだけ肌寒い。
彼女はこの後すぐに成田からドイツへ帰国すると言っていた。

次の来日はいつになるのだろう。今度の新譜は何がテーマになるのだろう。
アリス=紗良・オットはどんな「旅」に連れて行ってくれるのだろうか。


<脚注>

(1) サントリーホールが目指した「響き」
サントリーホールは森ビルが1986年に開発したアークヒルズの一施設。
目標に掲げた音響特性は、余裕のある豊かな響き、重厚な低音に支えられた安定感
のある響き、明瞭で繊細な響き、立体感のある響きの4点。
人の心への「響き」は故・佐治敬三氏のこだわりだったのだろう。
3年後の1989年にサントリーは国産ウイスキーの最高峰「響」を発売している。


(2)7つの現代作品(2021年7-8月 アリス=紗良・オット インタビューより)

◆フランチェスコ・トリスターノ:イン・ザ・ビギニング・ワズ
ショパンがバッハに敬意を持って書いた「24の前奏曲」の幕開けにと、友人のトリ
スターノにバッハの前奏曲につながるような現代的な作品を頼みました。


◆ジェルジュ・リゲティ:ムジカ・リチェルカータ 第1曲
リゲティのこの曲は一つの音からいろいろなリズムへと広がり大きく展開します。
子ども時代の音との出会い、その後の広がりに通じるものを感じ、「子ども時代の
反抗期」という副題をつけました。


◆ニーノ・ロータ:ワルツ
フェリーニやヴィスコンティの映画でニーノ・ロータの音楽は大好きでした。
この神秘的なワルツを聴いた時ショパンかと思い、ロータの作品と知り驚きました。


◆チリー・ゴンザレス:前奏曲 嬰ハ長調
ゴンザレスとは友人。この曲はバッハを思わせるような作品だと思いました。
アルバムの真ん中に置いて、一つの章の終わりを表わすのにぴったりだと。
副題のとおり「大人への第一歩」ですね。


◆武満徹:リタニ ―マイケル・ヴァイナーの追憶に―第1曲
前奏曲第18番から境目がはっきりしないぐらい自然に「リタニ」へと入ります。
西洋音楽に日本的な要素を入れた武満さんもまた、自身のアイデンティティを
模索し、格闘し、獲得した作曲家であったと思います。


◆アルヴォ・ペルト:アリーナのために
非常に細かい音符と、その間にある空間の微妙なニュアンスから成り立っていて、
全神経を集中しないと聴き落としてしまうような作品です。
それは、多発性硬化症と診断された時期の状態に似ていました。
潜在意識も含めた自分の意識をフルに投入しなければ弾けない作品です。

※個人的にはとても思い入れのある曲。これを取り上げてくれたのは嬉しかった。


◆アリス=紗良・オット:ララバイ・トゥ・エターニティ 
(モーツァルトのレクイエム ニ短調 K.626から ラクリモーサの断片による)
モーツァルトの絶筆8小節をベースに、そのエコーを響かせる曲をきました。
ショパンが自分の葬式でモーツアルトのレクエイエムを演奏させたという意味
でも、このアルバムにふさわしいかと。
人生に対するさまざまな問いへの答えとして、この曲を最後に持ってきた。
人間は永遠を求めますよね。副題は、その問いへの子守歌という意味です。

(以上、U discovermusic.jp、MiKiKiのインタビュー記事より抜粋)


(3)ポスト・クラシカル
伝統的なアコースティックなクラシック音楽と先進的な音楽であるエレクトロ
ニカ(電子音楽)とを混ぜ合わせた音楽。(線引きは曖昧である)
アップライトピアノのタッチ音やノイズをあえて録音し温もりを表現するなど、
レコーディング方式においても従来の掟から逸脱するアプローチが取られる。
オーラヴル・アルナルズ、ニルス・フラーム、ルドヴィコ・エイナウディ、
故ヨハン・ヨハンセン、などがいる。


(4)クラシックはもっと自由であっていい
伝統を重んじる保守層は作曲家の完成形を忠実に再現することを善しとする
しかしモーツアルトは観客のリクエストに応え同じ楽章を繰り返し演奏して
いたし、ハイドンも柔軟で観客へのサービス精神旺盛だったと言われている。
1995年に20世紀楽壇の帝王カラヤンが遺した膨大なクラシックの名演から、
美しく「心に安らぎを与える」名曲を厳選したCD2枚「アダージョ・カラヤン
」が全世界で500万枚以上販売を記録したことで、クラシック界も柔軟になり、
一定テーマに沿ったコンピレーション・アルバムを出すようになった。


(5)インスタレーション ( installation art) 
1970年代以降一般化した絵画・彫刻・映像・写真などと並ぶ現代美術における
表現手法・ジャンルの一つ。 
特定の室内や屋外などにオブジェや装置を置いて、作家の意向に沿って空間を
構成し変化・異化させ、場所や空間全体を作品として体験させる芸術。


<参考資料:ららら♪クラブ、ジャパン・アーツ、東洋経済ONLINE、MiKiKi、
サントリーホール、U discovermusic.jp、Wikipedia、YouTube、Instagram、他>

2 件のコメント:

provia/ さんのコメント...

コンサートに行かれたんですね。良いコンサートだったようですね。
私も好きなピアニストなんです。
今回もプログラム次第では行きたかったのですが、見送りました。
個人的にはモーツァルトのピアノ協奏曲など生で聞きたいです。
いずれにしても今後がたのしみですね。

イエロードッグ さんのコメント...

>proviaさん

コメントをありがとうございます。

2018年のソロリサイタル(ドビュッシー、サティー、ラヴェル)を逃し、
ずっと行きたいと思ってました。
翌年に来日したのですが、ワーグナーや伊福部昭で交響楽団との共演だった
ため見送り。その後コロナでしたからね。
待ちに待った、という感じでした。
今回はアルバムのツアーでソロでしたが別な形でも来日してくれるでしょう。

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