2022年11月26日土曜日

「リボルバー」2022リミックスを深掘りしてみる(3)



 <ラバーソウルから音楽性の変化が始まっていた>

ジョージが生前インタビューで「ラバーソウルとリボルバーは兄弟みたいな
アルバムで、どっちにどの曲が入ってるかよく憶えていない」と言っていた。
時系列ではラバーソウル→リボルバーだから記憶が曖昧なのだろう。

確かにラバーソウルでは、内省的で陰影のある歌詞と美しいメロディー
ンションやクリシェを活かしたコード進行、ルート外しのベース、複雑で美
しいコーラスワーク、アコースティックギターの多用(フォークロックへの
傾倒)など、ビートルズが新しい次元に入ったことを示す要素が多い。

Norwegian Wood、Nowhere Manはディランの影響と思われる。
If I Needed Someoneはバーズのサウンドを取り入れたものだ。



↑5フレットにカポをしている。たぶんGirlのレコーディングだろう。
J-160Eのピックアップはブリッジ側に付け変えられている。
ロセット(サウンドホールのリング)が一本であることから、ジョンの2台目
の1964年製ではなくジョージ所有の1962年製を借用していると判明。


サウンドも変化し始めた。

ポールはレコーディングにリッケンバッカー4001Sを使用するようになった。
(ステージでは軽くて動きやすいホフナー500/1を使っている)
Think For Yourselfではベースをファズ(VOX社の試作品)に通して弾いた。

リンゴはラディックのオイスターブラック・パールのセットを2台購入。
バスドラムは22×14インチに、フロアタム、タムタムも大きくなった。
スネアは14×5.5インチのジャズ・フェスティバル。
シンバルはジルジャン製かパイステ製。スタンド類はラディック製。
スネアの底面にはテープが貼られ鳴りを抑えて重くする工夫がされた。


ラバーソウルではパーカッションも多用された。

ジョージは映画「ヘルプ!」撮影中にシタールに興味を持ち、バーズのデヴ
ィッド・クロスビーの紹介でインド音楽とシタールにのめり込んで行く。
そしてNorwegian Woodで初めてシタールを弾いた

Nowhere Manのキャッチーな間奏・オブリはヘルプ!でも使用したストラト
キャスターだが、後処理のイコライジングで高音を強調している。
ラバーソウルではコンプレッサーやイコライザーでギターやピアノの音を変
える技術が用いられた。




10月12日から11月15日の約1ヶ月間でレコーディング行われている。
ヒット曲量産のレノン=マッカトニーもさすがに曲が足りなかったらしい。
前アルバム「ヘルプ!」セッション時に録音したWaitを引っ張り出して、オ
ーバーダブを施して体裁を整え加えている。


急場で制作されたにもかかわらず、美しい粒揃いの曲が並び、全体を通して
統一感がある(ブライアン・ウィルソン談)ため、ビートルズ初のコンセプト
・アルバムと評価されることが多い。

ラバーソウルというアルバム・タイトル(本場のブルースマンがストーンズ
を揶揄したプラスティック(まがい物の)ソウルという言葉をもじった)
4人の歪んだ写真が使われたジャケット・カヴァー(ロバート・フリーマン
がジョンの家で撮影した写真をボール紙へ写したところ歪んで見え、メンバ
ーたちは面白がりそのまま採用した)もその評価に一役買っている。



↑ラバーソウルのジャケットに使用された写真(本来の歪みのない状態)




<Tomorrow Never Knowsから始まった革新的なロック>

1965年12月にラバー・ソウルをリリースした後、1966年1月から3ヶ月4人
休暇をとり(1)それぞれ自由に新しい音楽の探求をしていた。


ポールは前衛芸術と前衛音楽に刺激を受け、創作意欲を掻き立てる。
ジョージはシタールの弾き方を学び、インドの神秘主義を学び出す。

ジョンとジョージはLSD服用による幻覚症状を体験。(2)
リボルバーの制作に大きく影響している。
ジョンは「ラバーソウルはマリファナをやりながら作った。リボルバーはLSD
体験が大きい」とインタビューで答えている。


スタジオに入る数週間前に「一つ言えるのは次のアルバムが今までとかなり
違ったものになるということ」とジョンは語っていた。
世界中に、そして彼ら自身にも影響を与え次の大作、サージェント・ペパーズ
への布石となる革命的なアルバムを生む確信を持っていたのだろう。





ビートルズのアルバム・セッション(アルバムに入れずシングで発売する
2曲も含む)はジョンの曲からスタートするのが慣例だった。(3)
アルバムの景色はそこから見えてくる。


セッションの初日、ビートルズはTomorrow Never Knowsに取り組んだ。
ジョンが8世紀の仏教と幻覚剤についての書(4)に影響を受け書いた曲だ。

曲のタイトルはリンゴが何気なく呟いた一言に由来している。(5)
(レコーディング時は「Mark I」と記されていた)
「リンゴの言い回しを拝借し、重い哲学的な詩を書いた」とジョンは言う。

チベット仏教の儀式の雰囲気を取り入れたいと考えたジョンは、マーティンに
数千人もの僧侶がヒマラヤ山の頂上で経典と唱えているような感じにしたい
」と伝えている。
ジョンは「天井から自分を吊し周りながら歌う」ことも提案。
それは不可能だったが、代わりにジェフ・エメリックの妙案でジョンが望む効
果は得られた。(後述)



↑クリックするとTomorrow Never Knows テイク1のPVが視聴できます。
ジョンは逆さになってを歌っている。
音響的効果があったかは疑問だが、本人は高揚感が得られたのかも(笑)



テイク1で「今までのビートルズではない」ことがよく分かる。
Cのコードを鳴らした音を逆回転させたループを延々と繰り返す
それに合わせ同じ音を繰り返すベース、単純なビートを刻む重いバスドラム
とシンバルインド音階の単調なメロディーの反復(メロトロンか?)。
そしてお経を読むようなジョンのヴォーカルが乗る。

逆回転という発想はジョンのメカ音痴の産物である。
オープンリール・テープが終わったことに気づかず、そのまま逆回転で再生
したことで、ジョンは思いがけない効果を発見したのだ。

この時点で既にライブ演奏で再現することを全く考慮していない。
当然だがヒットチャートを狙うことも意識していない。
スタジオで様々な実験を行うことで、誰もなし得なかった、想像もつかない
新しい音楽を探求していたことが伝わる。




テンポを早くしたテイク3が採用された。
イントロから全編にわたりタンブーラが響きドローン効果が続く
コードはずっとCだがSEのオーケストラでB♭も入る。(ベースはCを維持)
轟くようなドラム(コンプレッサーで圧縮した)とベースはミニマムな演奏

無数に乱舞する摩訶不思議な音は30本のテープループをコラージュしたSE(6)
ほとんどはポールが自宅で作った(前衛音楽の影響)もの。
現在は当たり前のサンプリングを手作業でやっていたのだから驚きだ。


間奏には逆回転させたジョージのギター・ソロが入る。(7)
ジョージのシタールジョンのレズリー・スピーカーを通したボーカル(後述
をオーバーダブして完成した。



↑ポールは完成したTomorrow Never Knowsを周囲に聴かせ反応を見た。
ストーンズは興味を示したが、ディランは「やめてくれ」と言ったらしい。
写真をクリックするとTomorrow Never Knows 2022 Mixが聴けます。



こうした異次元的な音楽を発表したということ自体、挑戦である。
Tomorrow Never Knows、そしてリボルバーというアルバムはアシッド・
ロック(サイケデリック・ロック)の先駆けと言っていいと思う。(8)




<ジェフ・エメリックがスタジオで起こした奇跡の数々>

リボルバーが革新的なアルバムになったのは、このセッションからチーフ・
・エンジニアに就任したジェフ・エメリックの貢献度が大きい。

エメリックはEMIのアシスタント・エンジニアとして働いていた。
ポールが気軽に声をかけてくれ、いろいろな話をする仲になったという。
そのエメリックに思いがけないチャンスが巡ってきた。




それまでビートルズのレコーディングにおいて、ジョージ・マーティンの下で
チーフ・エンジニアを担当していたノーマン・スミスがプロデューサーに昇格。
別なアーティストを任せられることになった。
それはビートルズのレコーディング作業から外れるということを意味する。

後任のミキシング・エンジニアを選ぶにあたって、ポールはマーティンにジェ
フ・エメリックが適任だと進言した。
エメリックとの会話から、彼の可能性を見出していたのだろう。


エメリックはノーマン・スミスの助手としてレコーディング・テクニックの
基本を徹底的を学びマーティンとの相性もよかった
ポールの意向どおり、エメリックはビートルズのチーフ・エンジニアとして、
ジョージ・マーティンの下で働くことになる。

この時エメリックは弱冠19歳。プレッシャーは相当大きかったはずだ。



↑左からブライアン・エプスタイン、ジョージ・マーティン、ジェフ・エメリック。


リボルバー・セッションの初日スタジオにエメリックが入ると、ジョージは
わざと聞こえるように「ノーマンはどこ?」と言った。
ジョンとリンゴもエメリックを無視した。もちろんポールは歓迎してくれたが。

ビートルズのレコーディングはクローズドであり、気心知れた信頼できるスタ
ッフしかスタジオに入れない主義である。
ポール以外の3人のエメリックへの態度は拒絶からすぐ称賛と信頼に変わった



前述のTomorrow Never Knowsにおけるジョンの「数千人もの僧侶がヒマラヤ
山の頂上で経典と唱えているような感じ」という抽象的な要求に対し、エメリ
ックは画期的な方法を発案しジョンを喜ばせた

ハモンドオルガン用のレズリー回転スピーカーからジョンのボーカルを流し、
それをマイクで拾う、という方法だ。
レズリーを通すとエフェクターのコーラス、フランジャーのようなドップラー
効果(当時はそんなエフェクターはなかった)が得られる。(9)




Tomorrow Never Knowsではボーカル以外のバッキング・トラックもレスリー
・スピーカーへ送り、ワン・コードでミニマム・ノートの曲に対して斬新な
アプローチを試みている。


さらにエンジニアのケン・スコットのと共に、テイクを2度重ねしなくてもダブ
トラッキング(2重録音)効果を作り出すADT(Artificial Double Tracking)
という方法を考案。(10)
ボーカルを2度重ねするのが苦手だったジョンはこれにも喜んだ




        ↑エンジニアのケン・スコット


モータウンレコードみたいな迫力のある太いベース音にしたい」というポ
ールの要求に対しては、アンプ集音マイクの代わりにウーファーを代用
Taxman、Paperback Writer、Rainのブンブン唸るベースがその成果だ。

ギターをコンソールに直接つなぎ録音するダイレクトボックスの開発もエメ
リックとケン・スコットの功績の一つ。
ギターはコンプレッサーで圧縮されイコライジングもされてる。



↑クリックするとTaxman 2022 MixのPVが視聴できます。



リンゴのドラムの音もこのアルバムからクリアーでラウドな音になった。
マイクはドラムセット全体の収音用のオーバーヘッドの他に、ハイハット&
スネア用、フロアタム用、バスドラム用、と4本のマイクを使用したと思わ
れる。(2022リミックスを聴くとそれぞれ別に定位されている)
初期はトップのみ、ラバーソウルでやっとトップとキックの2本だった。(11)


バスドラムには音を重くするためのセーター(12)が詰め込まれ、収音用マイク
オンマイクで(録りたい音にできるだけ近づけ)セット。
フェアチャイルド660コンプレッサー/リミッターで処理した。
Taxmanではアタック成分を強調したドラムが聴ける。




Got To Get You Into My Lifeでもブラス・セクションをオン・マイクで収録
し、迫力のあるサウンドに仕立てた。


エメリックはテープ速度を落とすと特定の楽器のニュアンスが良くなり、音
の深みも増すこと、ドローン効果が得られることに気づいた

Rainは速度を上げて録音。マスタリング時にノーマルに戻している。



↑写真をクリックするとRain Take 5 速度を落とす前の音が聴けます。



I'm Only Sleeping、She Said She Saidはバッキング・トラックをテープ
速度を上げて録音したものを再生時にノーマルに戻す
結果テンポがゆっくりでキーが下がる。ボーカルやコーラスをオーバーダブ。
ジョンが望んだレイドバック感、トリップ感を表現した。


イエローサブマリンも同じ手法で録音され、波間を漂うようなゆったりと
リラックスした味わいを醸し出している。







<EMIをぶっとばせ!>

4人は「アメリカの(特にモータウンの)レコードはどうしてこんなサウンド
が出せるんだろう、低音、音量、音圧がすごい」と憧れていたという。
それはジェフ・エメリックも同じだった。



↑1964年に初渡米後、ロンドンのヒースロー空港に到着。
ポールはアメリカで購入したと思われるLP(R&Bだろうか)を抱えている。


EMIのスタジオでは厳格なルールがあり、機材の保護のためオフマイク(収音
するアンプや楽器から離してマイクをセットする)(13)、コンソールへの入力
音量の制限など、厳しい規定があった。
機材もEMI製、あるいはEMIがテストし承認したものしか使えない(14)



↑エメリックによるとEMIの技術者は丈の長い白衣を着用するよう求められた。
レコーディングも1日5時間以内と規定があった。
もちろんビートルズは例外で、いつでも好きなだけ優先的にスタジオを使えた。


EMIはビートルズのレコーディングでは通常より2〜2.5dB音量を下げていた
クラシックの名門EMIはそれまで大量にレコードをプレスするような経験がなく
、音飛びを防ぐためにそうせざるを得なかったらしい。
またシングル盤は50Hz以下の低音はカットするよう指示されていた。
(アメリカのレコードに比べて迫力不足なのは当然。4人は不満を抱いていた)


当時のEMIは上層部がロックのレコード作りに対する認識が薄く、旧態然と
した制約が多すぎ、設備的にも技術的にも限界があったのだ。
そのためビートルズが出すサウンドを拾い切れていなかった。

裏返せば、既にビートルズはスタジオのレコーディング・テクニックを上回る
サウンドを出していた、ということになる。
ヴェートーベンだけでなくEMIのスタジオまでぶっ飛ばしていたわけだ(笑)




ジェフ・エメリックは既成概念にとらわれなかった。
EMIの厳格ルールを次々と破ることで、ビートルズの貪欲なまでのサウンド
へのこだわり4人の突拍子もないアイディアを現実化する。

それによりビートルズは実験的でより野心的な音楽を創り出した。
ビートルズ、マーティン、エメリックの飽くなき探究心が、革新的な(しかも
時代を超越して愛される)傑作を誕生させたのである。

ピンクフロイドがデビュー・アルバムのレコーディングのためアビイロード
・スタジオを訪れた時、今まで聴いたことがない洗練された音が第2スタジオ
から流れてきたという。
ちょうどビートルズがリボルバーをレコーディングしていたのだ。



さて、今回も長くなってしまいました m(_ _)m

続きは次回。



<脚注>もたっぷりありますよー↓

(1)1966年1月から3ヶ月の休暇
1965年のツアー日程を終え12月にラバー・ソウルをリリースした後、ブライ
アン・エプスタインは3本目の映画(仮題:A Talent For Loving)の撮影を
年明けから予定していた。しかし4人は直前でキャンセルした。
映画の撮影、サウンドトラックのレコーディングなどのスケジュールが無くな
ったことで、次のアルバム制作開始前に3ヶ月の休暇を取ることができた。
4人には充電時間ができた。これがリボルバーの原動力となる。


(2)ジョンとジョージのLSDを体験
ジョンとジョージはそれぞれの妻であったシンシア、パティと共に歯科医師の
ジョン・ライリーがコーヒーに混入させたLSDを服用し幻覚症状を起こす。


(3)アルバム・セッションはジョンの曲からスタートするのが慣例。
ボスとして一発かましたい、仕切りたい気持ちがあったのかどうか。
ラバーソウル、リボルバー、サージェント・ペパーズ、ホワイト・アルバム
は特にそうだったと思う。
1日で10曲の録音を終えたプリーズ・プリーズ・ミーのセッションはポールが
メインで書いたI Saw Her Standing Thereからスタートしている。
が、前年に録音済みのLove Me DoとPlease Please Meはジョンの曲である。

ウィズ・ザ・ビートルズ → You've Really Got A Hold On Me(カヴァー)
ハード・デイズ・ナイト → You Cant't Do That
フォー・セール → Every Little Thing
ヘルプ! → Ticket To Ride
ラバーソウル → Run For Your Life / Norwegian Wood
リボルバー  → Tomorrow Never Knows
サージェント・ペパーズ → Strawberry Fields Forever
マジカル・ミステリー・ツアー」→ Magical Mystery Tour (ポール)
ホワイト・アルバム → Revolution 1
ゲット・バック(レット・イット・ビー) → Don't Let Me Down
アビイロード → I Want You


(4) Tomorrow Never Knowsの元となった書
ティモシー・リアリー、ラルフ・メツナー、リチャード・アルパートらの
共著「チベット死者の書サイケデリック・バージョン」。
(The Tibetan Book of the Dead)
8世紀の仏教の書を基に、幻覚剤による自我の喪失と幻覚剤から覚めた後の
自我の再生についての解説がされていた。


(5)リンゴが何気なく呟いた一言で決まったタイトル
リンゴは時々おもしろい表現や言い間違いをしたという。
A Hard Day's NightやEight Days a Weekはリンゴ語録を元に作曲された。


(6) 30本のテープループをコラージュしたSE
・カモメの鳴き声(ポールの笑い声を録音したテープの回転速度を上げた)
・B♭のオーケストラ・コード。
・メロトロン(フルート、ストリングス、ブラスの音)
・メロトロン(B♭とCのコードを交互に繰り返す)
・シタール(上昇するフレーズ、回転速度を変えている)


(7)逆回転させたジョージのギター・ソロ
最初に普通に弾いたフレーズをジョージ・マーティンに採譜してもらい、それ
を後ろから弾きなおしたものを録音。
再生時にテープを逆回転させる、という手の込んだ作業をしている。


(8)アシッド・ロック(サイケデリック・ロック)
1960年代後半LSDなどのドラッグによる幻覚を再現したロックを指す。
バーズ、ジェファーソン・エアプレイン、グレイトフル・デッド、アイアン・
バタフライ、クイックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィス、シド・ヴァ
レット在籍時の初期のピンクフロイド、など。


(9)レズリー回転スピーカーのフランジャー効果
高音部用にホーン、低音部用にローターが備え付けられ、モーターで別々に
回転させてる仕組みをもったスピーカーシステム。
コーラス、フランジング効果を発生させ、音に広がりを与える。
後にゲット・バック・セッションでジョージがテレキャスターやストラト
キャスターの音をレズリー回転スピーカーを通して出している。




(10) ADT(Artificial Double Tracking)
ボーカルや楽器に厚みを持たせるため、一度歌った(演奏した)トラックに
合わせて同じように歌い(演奏し)2重録音する手法はよく使われてきた。
この際2回目の歌唱(演奏)が1回目とタイミングが合わないとズレてしまう。
ポールは得意だが、ジョンはこのボーカルのオーバーダブに苦戦していた。

ADTは2台のテープレコーダーの位相のズレを利用した技法である。
レコーダーAの1番目のヘッドで再生した音をレコーダBで録音、再生する。
両者の2番目のヘッドからの再生音をミックスすると僅かな時間差が生じ、
ダブルトラッキングの効果が得られる。


レコーダBの回転するテープリールの縁(フランジ)を手で触れると回転ムラ
を起こす。(フランジング効果)
現在では電気回路的な手段によってこのようなダブリング、フランジャー、
コーラスなどの効果が得られるエフェクターがある。
手動で回転ムラを与えるが故のニュアンスや、テープを通る事による歪み成分
の特性なども含めて再現するソフトウェアプラグインも存在する。


(11) ドラムセットに複数のマイクをセッ
2022リミックスではバスドラム、ハイハット、スネア、フロアタムが別に定位
されているのでそう推察できる。
今でこそドラムセットだけでも9〜10本マイクを立てるのは常識だが、当時
4本のマイクというのは贅沢なセッティングだっただろう。
翌1967年のサージェント・ペパーズではトップ、キック、フロアタム、タムと
ハイハットとスネア用、と5本のマイクがセットされている。
(グリン・ジョンズが録音した屋上コンサートではトップ、キック、ハイハット
&スネア、フロアタムの4本だった)




(12)バスドラムに詰め込まれた4人のセーター
デビューした頃、フォトセッション用のネックが4人分あるウールのセーター。


(13)EMIのオフマイク規定
ドラムセットからは2フィート(60cm)離してマイクをセットするよう定めら
れていた。
しかもビートルズの初期はリンゴの上にオーバーヘッド1本だけである。
ラバーソウルでやっとキック用が追加され2本になった。


(14) EMIの機材
アビーロード・スタジオではEMIが自社開発した真空管のREDD.37コンソール
やREDD.51コンソールが使用されていた。
4トラックレコーダーはステューダーのJ-37

        ↑EMI製REDD.37&REDD.51真空管コンソール

      ↑1968年まで使用されたステューダーの4トラックレコーダーJ-37


3MのM23、8トラックレコーダーはEMIが何度もテストをし(ビートルズは業を
煮やしていたが)1968年にやっと使用できるようになった。
モータウンレコードやビーチボーイズが1965年には既に8トラックで録音してい
たのに比べ、ビートルズの機材環境は3年も遅れていた
(それでリボルバーやサージェント・ペパーズを作ったのだからすごい!)

1967年にソリッドステート式のEMI TGコンソールが開発され、1968年12月に
アビイロード第2スタジオに設置される。
しかし翌年1月のゲット・バック・セッションはEMIではなくアップル本社ビル
のスタジオ(未完成で機材が揃ってなかった)で行われた。
急遽EMIからREDD.37とREDD.51の2台の4トラック・コンソールを借用。
8トラックレコーダーはジョージが所有してた3MのM23を搬入された。
ソリッドステート式EMI TGコンソールを使用したのはアビイロードだけである。
ジョージとリンゴが今までの作品との音の質感の違い(メロウすぎ)を指摘。
エメリックは苦心してイコライジングで真空管特有の太い音に近づけた。

コンプレッサーは1959年に発売され世界のスタンダードとなったフェアチャイ
ルド660/670が使われていた。
エメリックの要望だと思うが、アルテック436をEMIのエンジニアがアップグレ
ードしたRS124もリボルバーから使用されている。

       
      ↑アルテック436をEMIがアップグレードしたRS124

マスタリングの際はEMIが開発したイコライザーRS56が使用された。
当時のコンソールのトレブル、ベースEQでは物足りない際に使われたようだ。
各帯域にHigh End、Low Endが付いていて、アグレッシブな音作りが可能。
ギターをコンソールに繋げるダイレクトボックスもEMIの自社開発。

マイクロホンはジョージ・マーティンお気に入りのノイマンU47真空管マイク
(テレフンケンが供給してた時代ではない)
二人が向い合って歌う時は双指向性のU48が使用された。
マイク用プリアンプはEMIが開発したREDD.47。REDD.51コンソールに対応。


後期はノイマンU67も使っている
AKG C28もボーカル収録用に使用された。
曲がったスタンド付けの小マイクで風防代わりにスポンジが被せてあった。
ゲット・バックの前半セッション、屋上コンサートで見られる)

リンゴのドラム収音用マイクはシュアーSM57ではないかと思われる。
帯域が狭い大音量にはダイナミック・マイクロホンが向いてるのだ。
キック用は不明だがAKGかな?
後期にはトップ用だけノイマンのコンデンサーマイクがセットされている。

4人のあモニターヘッドホンはS.G. Brown: Type “Super K”(英国製)。


ジョージによると
EMIは変な会社で、ケチなくせにトイレットペーパー1枚1枚
にもEMIロゴが刻印されてたとか。


<参考資料:ヒビノインターサウンド ドラムセットのマイキング方法、偏った
DTM用語辞典、ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ、ジェフ・
エメリック - ザ・ビートルズ・サウンド 最後の真実、ジョージ・マーティン - 
耳こそはすべて、The BEATLES楽曲データベース、Sound&Recording、
ユニバーサルミュージック、Beatles的 Drummerな日々、Rollingstone、
Wikipedia、他>

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