2015年11月9日月曜日

ビートルズ「+1」がやって来た! Vol.1<映像篇>

来ましたよー!ビートルズの「1+」!

全世界同時発売日の6日にちゃんと届きました (^_^)
僕が買ったのは2DVD+1CDのデラックス版。輸入盤で¥5,175と値段も◎。




ビートルズの歴代No.1ヒット曲を収めたCDの最新リマスターとビデオクリップ集
をセットにしたものである。

ビデオクリップ集は1995年のAnthologyプロジェクトの際、ジョージ・マーティン
がいずれ何らかの形で出したいと言っていたが、20年も待たされたことになる。
しかし、こうして日の目を見ることになってとてもうれしい。



さっそくその日にさらっと2枚のDVDを見てみた。
35mmのフィルムからスキャンした映像を一枚一枚レストア(褪せた色を復元して
ノイズを消すという作業)したそうで、画像の鮮明さは想像の域を超えていた。






特にカラー・フィルムで撮影されたクリップは細部までくっきり。
4人の顔の吹き出物まで分かって、みんなけっこう肌が荒れてたんだなあ、忙し
すぎたんだろうなあと妙に感心してしまった(笑)
白人特有の肌が部分的にピンクに染まってるのまで分かる。

特にPaperback Writerの庭園ロケ篇は、赤い薔薇と深い緑が美しく印象的。
ポールの前歯が欠けているのもしっかり見える。
(バイクでこけたためらしい。ヒゲはそれを隠すため生やし始めたそうだ)





I Feel Fine、We Can Work It Out、Paperback Writer、Hello Goodbye、
Hey Jude は複数あるヴァージョン違いもめでたく収録。

Hello GoodbyeはSgt.Peppersのジャケットで着てるカラフルなミリタリースーツ
で演奏しているもの、普段着で演奏しているもの、演奏シーンがあまりなくてジョン
がノリノリで踊っているもの、の3ヴァージョン全てが見られる。






Hey Judeはデヴィッド・フロスト・ショー出演時のもの(ボーカルのみ生)だが、
本編にテイク1、ボーナス・ディスクにテイク2が収められている。
紹介された後ジョンがエルヴィスのIt’s Now Or Neverを歌い出し、フロストがう
んざりした顔をしているのが笑える。





Don’t Let Me Downは映画「Let It Be」の屋上での演奏シーン。
Let It Be…Nakedに収録されたテイクでシングル盤のテイクとは異なる。
ジョージとポールが笑ってるシーンがあるが、ジョンが歌詞を忘れてごまかして
いいかげんなことを歌ってるため。
音声はこの部分だけ他のテイクに差し替えられてるのでなぜ笑ってるか?だ。

Long And Winding Roadも映画のシーンでNakedに収録されたテイク。





Let It Beは映画のシーンにシングル盤ヴァージョンの音をシンクロせたもの。
最後のヴァースでのポールのピアノのミスタッチもそのまま。

Get Backも屋上シーンにシングル盤ヴァージョンの音を合体。
Let It BeとGet Backは映像と音声が違うテイクなのにほとんど違和感を感じない。
曲が完成に近づくとテンポや歌い回しも固まってくるんだなあと改めて感心した。



後から製作されたWords Of Loveも楽しいし、Loveでジャイルズ・マーティンが
大胆なミックスを施したWithin Without You/Tomorrow Never Knowsの合体曲
もトリップ感が出ててカッコよかった。





が、ゲームのアニメかよ?と言いたくなるCome Togetherはいただけない。
Abbey Roadのレコーディング風景やジャケット写真の撮影風景、最後のフォト・
セッションでスライドショーにした方がよっぽどよかったのに。







さて、音だがジャイルズ・マーティンによって新たなミックスが施されているので、
聴いていて今までとはだいぶ印象が変わる。
さらにDVDとCDは違うミックスのようだ。
DVDはステレオ・ミックス、5.1chドルビー・デジタル/DTS-HDサラウンド・
ミックスを選ぶことができる。

AQUASの32inchの貧弱なスピーカーで聴いてたのであまり分からなかったが、
あれ?違うぞ、と思った箇所もけっこうあった。







顕著な所ではEight Day’s A Weekのイントロがフェイドインではなく最初から
しっかりギターとドラムの音が聴こえる。
Hey, Bull Dogの間奏はエフェクトが弱くなって単音がはっきり聴こえる。
Real Loveではイントロ、曲間でエレキでもコードを刻んでるのが聴こえ、さらに
ジョージのオブリも少し変えられているようだ。

尚、テレビ局のスタジオ・ライブの映像はその時の音源がそのまま使われている。
A Hard Day’s Nightは1965年パリのオランピア劇場でのライブである。

Revolutionはちゃんとビデオクリップ用の音源(ボーカルのみ別テイク、シュビ
ドゥバ♫の掛け合いコーラス、途中ポールがハモる)がちゃんと収録された。






今回はビデオクリップ集、特にボーナス・ディスクがお目当てでCDの方は2000年
リリースの音質向上でしょ?別になくてもいいや、と思っていたのだが。。。。
CDを聴いてみて考えを改めた。

2000年の「1」とは曲構成は同じなれど音はまったく別物なのだ。
そして2009年の全作品リマスターとも。これはうれしい誤算である。

CDの方のレポートはまた改めて書きたいと思う。


To be continued….

2015年11月4日水曜日

花のような二人があの日から恋した。

突然ですがクイズです。

ベッツィ&クリスってどっちがベッツイでどっちがクリスなの?





クリスじゃない方がベッツィでベッツィじゃない方がクリス。
そーゆーガキみたいな答えはやめましょう(笑)


僕はいまだに分らない。知ってる方、教えてください。
最初はかわいい方がクリスで、大柄でややおばちゃんっぽくてギターを弾いて
いたのがベッツィだと思い込んでたけど、逆のような気がする。。。。違う?


ついでに言うと水戸黄門の助さん角さんも僕にはどっちがどっちか分らない。
シモンズだったら分るんだけどなあ。

ま、いっか。二人の区別がつかないまま話を進めます(笑)



ベッツィ&クリスはデビュー曲「白い色は恋人の色」(1969)を大ヒットさせた
ハワイ州出身のベッツィとアイダホ州出身のクリスによるフォークデュオ。

透明感のある柔らかく美しいハーモニーと外国人の女性がていねいに歌う日本語
が健気で印象的だった。
むしろ外国人だからこそ言葉を一つずつ発音していたのかもしれない。


かつて加藤和彦が「日本語の歌詞を英語みたいに崩して歌うのは大嫌い」と
言っていたことがある。
せっかく美しい言葉なんだからしっかり美しく歌ってほしい。同感だ。

北山修の素直な詩と加藤和彦の美しいメロディーを外国人女性がていねいな発音
で歌うのは、もしかしたらその辺の意図もあったのかもしれない。
それはともかくベッツィ&クリスの成功は加藤和彦あってこそだと思う。




        ↑ジャケット写真をクリックするとYouTubeで聴けます。




余談ではあるが、昔FM東京で放送していた「小室等の音楽夜話」という月〜金夜
の帯番組に関わったことがある。
番組何回目だったかの記念で今までのゲストを呼んでライブをやることになった。
場所は三軒茶屋にある昭和女子大の人見記念講堂。
クラシックのホールでポッピュラー音楽での使用許可は初めてだったらしい。


そのオープニングが加藤和彦だった。
ハンチングを小粋に被り加藤和彦はスタスタと現れて、ボサノヴァ・アレンジの
「白い色は恋人の色」をD-45一本で弾き語りで披露した。

PUではなくマイクで拾ったD-45の生鳴りの凄さと加藤和彦のよく通るきれいな声、
アレンジの上手さに圧倒され、その後の出演者のことは全く憶えていない。
加藤和彦の手元を見ていたが、Cmaj7→Dm7で「恋人の色〜♪」の所はDm7(♭5)
→G7でCmaj7に戻るというコード進行だった。

これを聴いて改めてこの曲の素晴らしさに感動したものである。
その後も加藤和彦がセルフカバーしているのをテレビで何度か見たが、ボサノヴァ
・アレンジの「白い色は恋人の色」はあの時が最初で最後だった。



「白い色は恋人の色」は名曲中の名曲である。
同じく北山修・加藤和彦コンビによる2枚目のシングル曲「花のように」も地味
ながらとても素敵な曲だと僕は思う。
より繊細で、儚げな感じで。そこに惹かれるのかもしれない。




        ↑ジャケット写真をクリックするとYouTubeで聴けます。

2015年10月29日木曜日

あなたの心の隣にいる白雪姫(2)


三人娘の中で歌が上手いのは小柳ルミ子という印象が強かったが、実は天地真理の
歌唱力もかなりのものである。



↓天地真理と小柳ルミ子のデュエットによる「四月の雨」。
(1973年4月TBS「となりの真理ちゃん」出演時の音源)

二人とも上手いしきれいな声ですね。聴いてて安心感があります。



天地真理は小学生の頃買ってもらった88鍵のアップライト・ピアノに親しみ腕を上げ、
国立音楽大学附属中学校〜高校ピアノ科に進学。後に声楽科へ転科。
しっかりした音楽教育を受け基礎ができているのだ。発声法もクラシックっぽい。
                    <出典:レコード・コレクターズ>

在学中からジョーン・バエズ等のフォークソングを愛好していたそうだ。
卒業後はヤマハのボーカルコースに入る。


その頃レッスン室にあった本(1)に載っていた「小さな私」という曲と出会う。
これがデビュー曲「水色の恋」の原曲である。

天地真理はこの曲が気に入り持ち歌のように好んで歌うようになる。
CBS・ソニーのオーディションでも「小さな私」を歌った。

デビュー曲を決める際、CBS・ソニーの中曽根ディレクターはいくつかの候補の中から
「やっぱりこれがいい、一番合ってる」と「小さな私」を選んだ。
題名を「水色の恋」変え、メロディーも少し原曲から変更されている。



↓デビュー前TBS「ヤング720」に出演し「小さな私」を歌った時の音源。




デビューのきっかけはTBS系人気番組「時間ですよ」の「松の湯」従業員役のオーディ
ション(2)を受けたことであった。
森光子が彼女の不合格を惜しみ、台本にない新登場人物として出演させることを演出
の久世光彦に提案。

健ちゃん(堺正章)が憧れる「隣のまりちゃん」役で出演し、「松の湯」隣家2階の
窓辺で白いギターを爪弾きながら「水色の恋」「恋は水色」「この広い野原いっぱい」
を歌い(3)注目を浴びた。 
                     <出典:Wikipedia>



↓TBS「時間ですよ」の1シーン。「この広い野原いっぱい」を歌う天地真理。




天地真理がデビューした1971年は、五つの赤い風船、赤い鳥、などのフォークソング
が人気を博し、歌謡曲もそのムーヴメントを受けていた頃(4)である。

「水色の恋」はフォークソングと歌謡曲の橋渡し的な曲だった。
この曲を歌っていた頃の彼女は爽やかだった。


天地真理はポップスよりフォークシンガーが似合っていたと思う。
その路線のままだったら息の長い歌手になったのではと残念である。

2015年10月20日火曜日

あなたの心の隣にいる白雪姫(1)

寒くなってくると天地真理の「想い出のセレナーデ」を思い出すことがある。
この曲が流行ってた頃、ガールフレンドと別れた友人が涙ぐみながら口ずさんで
いて、こいつにも純な所があるんだなあと妙に感動したものだ。

「想い出のセレナーデ」は11枚目のシングル(1974年9月発売)だった。
この曲を最後に天地真理はベスト10から消えて行く。







彼女のヒット曲の大半を手がけた森田公一の作曲で、ヴァースの「今もそうよ〜
聞こえてく〜る〜の〜」やコーラス(サビ)の「あなたのもと〜へいそいそと〜
季節の花〜をかかえては 訪ねたの〜あれは〜まるで 遠い〜夢の〜ようね〜」は
いかにもの森田公一節だ。(1)

個人的にはヴァース4小節目・3拍の裏から入る(「二人言った〜さよな〜らが」
の後)エレピのフィル、ファレドシ♭〜が好きだったりする。
この経過音のおかげでDm → B♭のつなぎがとてもきれいに聴こえるのだ。



天地真理はデビュー曲「水色の恋」(1971年10月)が43万枚を超えるヒット。
その後も飛ぶ鳥落とす勢いでヒットを飛ばしオリコン連続1位を達成。
翌1972年には日本歌謡大賞放送音楽賞、日本レコード大賞大衆賞を受賞。
NHK紅白歌合戦には3回連続出場。(出典:Wikipedia)

真理ちゃんスマイル(2)が 人々の心を掴み一躍国民的アイドルになった。

ブロマイド年間売上枚数は女性部門でトップ。
女子高生たちはこぞって真理ちゃんカット(3)を真似したものだ。
テレビで冠番組の「真理ちゃんシリーズ」(4)が放送され、文房具や玩具などキャラ
クターグッズ、さらにブリヂストンからは「ドレミまりちゃん」という自転車まで
発売される一大ブームだったのである。







歌ってる時に「真理ちゃ〜ん」と合の手を入れる親衛隊も彼女が最初だと思う。
アイドルお約束の振り付けも天地真理から始まった。

振り付け師の三浦亨氏によると、「恋する夏の日」は女の子にジュリーの真似を
させる発想で作った振付だが、あまりにも彼女のノリが悪くステップが出来ない
ためディスコで訓練したそうである。(出典:TBS「マツコの知らない世界」)



天地真理のデビュー時のキャチフレーズは「あなたの心の隣にいるソニーの白雪姫」。


かつての白雪姫は現在は川崎市の高齢者向け住宅で暮らしている。
まだ年金が支給されず、月の家賃14万円、食費4万円はファンクラブの人が出してく
れているそうだ。(持つべきものはファンですね)
その他に渡辺音楽出版との契約で3カ月に1回、5万円が振り込まれるらしい。

19歳でデビューしてすぐブレークし月給300万円(5)もらっていたそうで、
その頃からの浪費癖でお金が残らないのだとか。(出典:週刊新潮)


華やかな芸能生活は白雪姫の毒リンゴだったということでしょうか。

2015年10月14日水曜日

俺たちはドゥービー・スモーカーに戻るのさ。

ドゥービー・ブラザーズの1982年フェアウェル・ツアー最終日、LAのグリークシアター
でパトリック・シモンズは「解散して元のドゥービー・スモーカーに戻る」と言った。

「ドゥービー」とはカリフォルニアでマリファナの俗語である。
彼らがガレージで練習していながらマリファナを回しのみしている様子を、リーダーの
トム・ジョンストンの同居人が「ドゥービー・ブラザーズ」と呼んだのがバンド名の由来
らしい。

当初はヘルス・エンジェルス(1)が出入りするバーなどで演奏しバイカー達の支持を集め、
やがて北カリフォルニア地区で評判になっていったようだ。
ワーナーブラザーズ・レコードと契約し「The Doobie Brothers」(1971年)でデビューする
が鳴かず飛ばす。

マイケル・ホサックが加入しジョン・ハートマンとのツイン・ドラムになり、ベースが
タイラン・ポーターに替わった新体制でリリースした2枚目の「Toulouse Street」
(1972)からのシングル「Listen To The Music」「Jesus Is Just Alright」がヒット。






その後「Long Train Runnin' 」「China Grove」(1973)をヒットし「Black Water」
(1974)は初の全米No.1を獲得し、アメリカン・ロックを代表する人気バンドになった。



ドゥービーズの成功はプロデューサーのテッド・テンプルマン(2)の功績も大きい。
テンプルマンは迫力ある分厚いギター・サウンドとクリアーなヴォーカル・ハーモニー
を聴きやすく処理することに長けていた。
また自身がミュージシャン出身であるためバンドと良い関係を築け人脈も広い。
リトル・フィートのキーボード奏者ビル・ペインをドゥービーズに紹介したのも彼である



ドゥービーズのファンはだいたい二分される。

初期のトム・ジョンストン中心の野性味あふれる豪放磊落なロックやパット・シモンズ
によるフォーク色の強い楽曲、ツイン・ドラムと黒人のベーシストが生み出すファンキ
ーなリズムとR&B色、西海岸ならではの美しくキレのあるハーモニーこそドゥービーズ
の真骨頂と言う人。

トム・ジョンストン脱退後、マイケル・マクドナルド中心に洗練された都会的なAOR(3)
バンドに変貌したドゥービーズが好きだと思う人。



個人的な好みとしてはその中間の変革期がドゥービーズの一番魅力的な時期だ。

スティーリーダンからジェフ・スカンク・バクスター、次いでマイケル・マクドナルド
が加入して、まだトム・ジョンストンも在籍していた。
アルバムでいうと「Stampede」(1975)「Takin' It to the Streets」(1976)
「Livin' on the Fault Line」(1977)の3枚の頃である。

音楽の幅が一気に広がった。泥臭さは消えたがワイルドさは残っていた。



僕がドゥービー・ブラザーズを見たのは2回目の来日、1979年2月の日本武道館公演だ。

「Minute by Minute」 (1978)からのシングルカット「What A Fool Believes」が全米
1位を獲得した後で、トム・ジョンストンは既に脱退していたがまだワイルドさも残し
つつドライブ感があり、演奏は油が乗り切っていて完璧だった。
僕が今まで見たライブの中でベスト10に入るすばらしパフォーマンスだったと思う。

ジョン・ハートマンの「We came from Los Angeles, California. Now here’s a 
little bit of Rock n’ Roll !」で始まる「Jesus Is Just Alright」が1曲目だった。

ステージの縁に腰掛けて足をバタバタさせながらのけぞってすごいフレーズを弾く
ジェフ・バクスターと、体全体でリズムをとりながらゴリゴリしたベースを聴かせて
くれるタイラン・ポーターが印象的だった。


この公演はフジテレビが収録し深夜枠で放送している。
YouTubeで探したら一曲だけあった。かなり画像は悪い。






後日フジテレビの関係者からこの時のサウンドボード音源をダビングさせてもらった。
エフェクトもかかっていないラフミックスのモノラル音源(4)だが、パーフェクトな
演奏とハーモニーに改めて感動した覚えがある。

その音源も1曲だけYouTubeにアップされていた。
「What A Fool Believes」はお馴染みのイントロの前に8小節のフィルが入っている
のが新鮮だ。





この年(1979年)は3月にリンダ・ロンシュタットが初来日。
翌1980年11月にはジャクソン・ブラウンが2回目の来日。
二人とも武道館ですばらしいパフォーマンスを見せてくれた。

一方、1979年(何月か失念)のイーグルスの2回目の来日公演はまとまりが悪く、
完全に期待はずれだった。(武道館1階の最前列を取ったのに・・・)

この時期がウエストコースト・ロックの頂点だったように思える。
1980年代に入るとAOR色が強く画一的になってしまいつまらなくなっていった。