2023年5月31日水曜日

ウィップラッシュ- 音楽映画の定型をぶち壊した師弟の壮絶バトル。



今回もドラマーの話。

ジャズ・ドラマーを目指す青年を主人公とした映画についてだ。

日本でも「セッション」という的外れでセンスのない邦題(翻訳が難しい
のは同情するが)で2015年に公開された。




<「Whiplash」に込められた意味>

原題は「Whiplash」で「鞭打ち症」という意味の造語だ。
首に大きな負荷がかかるドラマーの職業病でもある。

whip=鞭で打つ、打ち負かす、たたきのめす。
lash=鞭打ち、鞭のしなやかな部分、激しい衝突。 


主人公のドラマーの力強くしなやかなスティックさばきも表している。
指導者の苛烈なしごき、ぶつかり合いもイメージできる。


またスラングで、人の態度の豹変ぶりをwhiplashというらしい。
(例:衝動的で考えや立ち位置が変わるトランプ氏を揶揄する時など)






本作の原題でありテーマ曲として何度も演奏される「Whiplash」は、
ビッグバンド作曲家/サックス奏者のハンク・レヴィが1973年に書いた
作品である。


↓映画で演奏される「Whiplash」が聴けます。
https://youtu.be/-jAtHf9RA4w



ハンク・レヴィは目まぐるしくリズムの変わる曲作りを得意とする。
「Whiplash」のドラム(ブラスに合わせている)も激しく変化する。
物語が思いもよらぬ方向に突き進む、この映画の全てを示唆している。




映画を見終わった時、英語圏の人は(ジャズに造詣が深い人であれば特
に)なるほどね、とタイトルに合点がいくはずだ。
それを日本語で表現するのは無理。だとしても「セッション」はないな。




<映画のあらすじ>

19歳のニーマン(マイルズ・テラー)はバディ・リッチのような偉大
なジャズドラマーになりたいと憧れ、全米屈指の名門音楽院に入学する。
(この学校はNYのジュリアード音楽院をモデルにしていると思われる)





バディ・リッチは圧倒的なスピードと正確無比なビートの天才ドラマー。
ビッグバンドで主役を食ってしまう「見せるドラマー」でもあった。
しかも長時間叩き続けても、まったくリズムが狂わずパワーも衰えない、
という超人である。



↓バディ・リッチがドラムを叩く「Caravan」が見れます。
(レギュラーグリップから
逆手マッチドグリップへの持ち替えに注目)
心臓病を患い医者から忠告されたにもかかわらず、退院すると再びドラム
を叩き始めたという逸話もある。



ニーマンの台詞で何度も引用されるバディ・リッチ的な生き方(音楽に
取り憑かれた狂気)こそが、彼の人生の指針なのだろう。





ニーマンは伝説教師フレッチャー(J・K・シモンズ)に才能を見出され、
初等クラスから最上位クラスであるバンドに引き抜かれる。
喜んだニーマンを待ち受けていたのは、狂気のスパルタ指導だった。




フレッチャーは僅かなテンポのズレも許さない、異常なまでの完璧さを
求めるレッスンを繰り返す、狂気の鬼指導者だったのだ。
生徒全員が悪魔の形相のフレッチャーに怯え、恐怖に支配されていた。

ニーマンも初日から椅子を投げつけられ、頬を平手打ちされ、屈辱的な
言葉を浴びせられる。




↓「Whiplash(邦題:セッション)」の予告編が見れます。
https://youtu.be/v7jEDQlR9BY




もうパワハラ、イジメどころではない。
「巨人の星」の星一徹のちゃぶ台返し、「あしたのジョー」の丹下のお
っちゃんも真っ青・・・と言っても、若い人たちには通じないだろう。
最近だと「教場」の鬼教官、風間公親? いや、もっと陰湿で暴力的だ。

ニーマンは悔しさをバネに血まみれの猛練習を続ける。
ハンク・レヴィの「Whiplash」を暗譜し、コンテストでの優勝に貢献。
主席ドラマーに昇格する。





ニーマンは偉大なドラマーになることに取り憑かれ病み始めていた。
「ドラム以外のことを考える時間がない」と恋人に一方的に別れを告げ、
家族も顧みなくなり、自身が疲弊し狂気に蝕まれていく。






コンクールの日、ニーマンはトラックと衝突事故を起こしてしまう。
血まみれで執念で会場にたどり着く。が、まともな演奏はできなかった。
フレッチャーに「お前は終わりだ」と冷たく言われたニーマンは、舞台
でフレッチャーに殴りかかる。





騒動でニーマンは退学処分になる。
弁護士の勧めで匿名で証言し、フレッチャーも音楽院から追放される。



ドラムから離れ穏やか生活を送っていたニーマンは、ある晩通りかかった
ジャズクラブに出演していたフレッチャーを見つける。
フレッチャーはニーマンに声をかけ、週末カーネギーホールで開催される
音楽際で彼が指揮をとるバンドが出演すること、曲は音楽院時代のレパー
トリーでデューク・エリントンの「Caravan」であることを伝え、ドラム
を叩かないかと話を持ちかける。

音楽祭は多くのスカウトマンも集まり、目に留まればブルーノートとの
契約などチャンスがある。ニーマンは誘いを受けることにした。




↓フレッチャーがニーマンとバーで会話するシーンでバックに流れる曲は、
スタン・ゲッツ&マイルス・デイヴィスの「Intoit」。渋い選曲だ。
ジェリー・マリガン、リー・コニッツ、ソニー・ロリンズ、ズート・シム
ズが参加している。何気にすごいメンツだな。
https://youtu.be/v9qjtwpli44




当日フレッチャーがバンドに演奏させたのは違う曲だった。
音楽院を追放されたことへの報復である。
知らない曲でうまく演奏できず、ニーマンは失態を晒してしまう。

ステージを降りたニーマンは意を決して引き返し、フレッチャーの曲の
紹介を無視し、バンドに「Caravan」と伝え激しく叩き出す。
メンバーたちはニーマンの気迫に押され「Caravan」を演奏し出す。




↓最後の9分に及ぶ「Caravan」は圧巻!
https://youtu.be/ZZY-Ytrw2co
https://youtu.be/2TAfvMn8_EQ




無我の境地で鬼気迫るドラミングをひたすら続けるニーマン。
完全に主導権を奪われ戸惑っていたフレッチャーだったが、やがて歓び
の表情を浮かべる。そしてニーマンも。





<映画の評価>

本作は監督・脚本のデイミアン・チャゼルの体験が反映されている。
第87回アカデミー賞で5部門にノミネートされ、鬼教師フレッチャー役
のJ・K・シモンズの助演男優賞を含む3部門で受賞した。

ニーマンを演じたマイルズ・テラーの演技も大きく評価された。
テラーは2か月間、一日に3~4時間ジャズドラムの練習を続け、撮影
では自ら演奏した。作中の手からの出血はマイルズ本人のものである。




「Whiplash」は多くの映画賞でノミネートまたは受賞。
バラエティ紙は「音楽界の神童を扱った映画の定型を見事に壊した。
伝統のある優雅なステージと最高の音楽学校のリハーサルスタジオと
いう舞台で、スポーツアリーナや戦場で繰り広げられるような壮絶な
心理ドラマが展開されている」と評している。

音楽映画お決まりの、拍手喝采でめでたしめでたしでは終わらない。
師と弟子がひしと抱き合い涙の和解、という感動的シーンもない。
別れた恋人が会場に駆けつけよりが戻ることもなかった。
ふっと突き放したようなエンディングがいい。





<劇中演奏曲「Caravan」について>

「Whiplash」とともに音楽院のクラスで何度も演奏され、ラストシーン
で圧倒的なドラム演奏が聴けるのが「Caravan」である。
シニア世代にはベンチャーズの演奏でお馴染みだろう。


この曲はデューク・エリントンと彼の楽団のトロンボーン奏者ファン・
ティゾールによる共作である。

アフロ・キューバンのリズムで始まり、砂漠を渡るキャラバン隊を思わ
せるエキゾチックなメロディー(非西洋の音階、ハーモニックマイナー・
スケール)と続き、アップテンポの4ビート・スウィングへと展開して
いくスリリングな曲である。





バディ・リッチの演奏ではドラム・ソロが入るが、この映画でもかなり
激しいフィルと長いドラム・ソロが聴ける。


↓映画で演奏された「Caravan」が聴けます。
僕はビッグバンドは聴かないが、このアレンジは文句なしにカッコいい!
https://youtu.be/38CRu1rCaKg





<映画で使われる音楽用語(英語)>

この映画の面白さはもう一つある。会話の中で使われる音楽用語だ。
英語ではこういう言い方をするのかと勉強になった。
以下、聞き取れた範囲だが。


rudiments(ルーディメンツ)
日本でも同じ言い方をする。スネア・ドラムの基本奏法。
ピアノのレッスンでやるハノンのようなもの。以下3つはその例。

roll(ロール)
スネアの連打。マーチングやブラスバンドの小太鼓で必ずやる。
サーカスでライオンが火の輪をくぐる前のタララララ・・・もそう。

paradiddle(パラディドル)
これもドラム用語として日本でも使われている。
シングル・ストロークとダブル・ストロークを組み合わせたもの。
(左はシングル・パラディドル、右はダブル・パラディドル)

flam(フラム)
主音の直前に装飾的な音を添えることでパラッといった音を出す。
2つの音量、ストロークのタイミングに差をつけるのがポイント。


double-time
倍のテンポで。

quarter note
四分音符

half note
二分音符

In four
四拍子で。



Trombone. Bars 21 to 23.
トロンボーンの21小節目から23小節目。bar=小節。

Could I have a B-flat please?
B♭を出してくれる?(チューニングのためピアノに頼むシーン)


We have an out-of tune player.
ピッチ(音程)の合ってない奏者がいる。
out-of tune、よく使いますね。これを言われたらキツイ。



Not quite my tempo.
俺が求めてる(指示した)テンポじゃない。



You're rushing.
rushは(リズムが)走ってる、早すぎる。

Dragging.
dragは(リズムが)もたついてる、遅れてる。

Keep counting!
数え続けろ!(テンポを意識しながら演奏しろ)



Here we go.
行くぞ。さあ、やろう。(曲の開始時のかけ声)

upsy-daisy
曲をやる前の掛け声。せーの、みたいな感じ。



All I want to do now is just give you both a crack at it all.
俺としては君たち2人両方に試しに(演奏を)やってもらいたい。
(アンドリューをライバルのコノリーと競わせるシーン)
have (take) a crack at itで~を試してみる、挑戦するの意味。






I'll cue in, Caravan!
入る所を合図する、(曲は)キャラバン!
(最後の演奏シーンで、ニームスがダブルベース奏者に言う。
制しようとしたフレッチャーにも、I'll cue youと言い黙らせる)





使いこなせると外国の方と演奏する時、役に立ちそうですね。


<参考資料:FILMAGA、billboard JAPAN、SOUNDZOO、
ジゴワットレポート、HBのとってもくわしいドラムレビュー、
Percussion Library、Momoska ドラムマガジン、TAP the POP、
That's interesting、YouTube、Wikipedia、他>

2023年5月8日月曜日

ジム・ゴードンは何がそんなにすごいドラマーだったのか?


                       (写真:GettyImages)


ドラマーのジム・ゴードンが3月13日に亡くなった。享年77歳。R.I.P.

ジム・ゴードンといえばデレク&ザ・ドミノスのメンバーとして知られ
ている。ほとんどのロック・ファンもその印象が強いのではないか。
そして名曲Laylaのコーダ部の作曲者としても知られる。



<セッション・ドラマー〜デレク&ザ・ドミノス期>

ジム・ゴードンはデレク・アンド・ザ・ドミノス以前から、そしてドミ
ノス解散後も売れっ子セッション・ドラマーとして活躍していた。




ゴードンはLA生まれで1963年、高校卒業後にエヴァリー・ブラザーズ
のバックで演奏し、プロのドラマーのキャリアをスタートさせた。

その後セッション・ミュージシャン集団、レッキングクルーのメンバー
となる。(1)
重要なのはゴードンが、レッキングクルーのリーダーであり名ドラマー
として名を馳せたハル・ブレインからジャズ、ロック、ポップスのドラム
・テクニックを徹底的に指導された、という点である。



    ↑ハル・ブレイン


ハル・ブレインの後継として頭角を表したゴードンはビーチ・ボーイズ
の「Pet Sounds」、バーズの「The Notorious Byrd Brothers」などの
セッションで演奏。


1969年に参加したデラニー&ボニーのツアーで、ボビー・ウィットロック
、カール・レイドル、スワンプに傾倒していたクラプトンと出会う。



↑左からボビー・ウィットロック、デラニー&ボニー、ジム・ゴードン、
クラプトン、カール・レイドル


4人は1970年クラプトンの初ソロ・アルバム、ジョージ・ハリソンの
「All Things Must Pass」のレコーディングで一緒に演奏(2)した後、
デレク・アンド・ザ・ドミノスを結成。(3)



↑一番左がジム・ゴードン


1970年マイアミのクライテリア・スタジオでの「Layla」セッションは
非生産的だったが、デュアン・オールマンの参加で劇的に良くなる。(4)

2枚目のアルバム・セッション中、クラプトンとジム・ゴードンが激しい
口論になり、ドミノスはわずか1年で解散してしまった。




<Laylaのピアノ・コーダ盗作疑惑>

アルバムのハイライトでもあるLayla(邦題:いとしのレイラ)は2つの
セクションを合体させて完成した。
当初は前半のギター・リフが印象的なセクションだけが録音された。



                       (写真:GettyImages)



エンディングが物足りないと判断したクラプトンは、ジム・ゴードンが自
身のソロアルバム用に作曲したというピアノのリフレインを「Layla」の
コーダとして使いたいと交渉。
作曲クレジット、スタジオのプライベート使用を見返りにゴードンも同意。

数週間後に後半のピアノ・コーダ部分が録音された。
ゴードンの演奏をカバーするため、ウイットロックもピアノを弾いている。



↑左からリタ・クーリッジ、ボビー・ウィットロック、カール・レイドル、
クラプトン、ジム・ゴードン(後ろ姿)、デイヴ・メイソン



近年ウィットロックがコーダ部は盗作でゴードンの作曲ではないと告白。
ゴードンの恋人だったリタ・クーリッジが作ったTimeという曲だという。
リタ・クーリッジ本人も自分が作曲したと自伝で主張している。



↑リタ・クーリッジはデラニー&ボニーのツアーに参加。
この時ジム・ゴードンと恋仲になったのかもしれない。





↑クラプトンのソロ・アルバムのセッションにもリタ・クーリッジは参加。
ジム・ゴードンと仲睦まじいように見える。




アルバム「Layla」発売後、1973年にリタの姉プリシラ・クーリッジとブ
ッカー・T・ジョーンズが発表したアルバム「Chronicles」でTimeを聴く
ことができる。






ゴスペル色が強い。いい曲だ。メロディーは確かにあの曲のあの部分。
ジム・ゴードン、パクったというか・・・まんまじゃん!


ジム・ゴードンはホテルの廊下でリタ・クーリッジを殴り、2人の関係は
終わった。クラプトンとの口論といい、激昂しやすい性格だったのか。
ゴードンは重度のアルコール、ドラッグ中毒の問題も抱えていた。




<映像から読み解くジム・ゴードンのドラミング>

ドミノスの活動期間は短く、その演奏を見れる映像は唯一のTV出演「ジ
ョニー・キャッシュ・ショー」出演ではないかと思う。
そしてジム・ゴードンの動く姿が見れるのも珍しい。(5)




↓ジョニー・キャッシュ・ショーでのデレク&ザ・ドミノスが見れます。
https://youtu.be/IW1BFtWPbX4




僕はドラマーではない。あくまでも素人の印象としてだが。

曲は4/4拍子のブルースで、1拍が3連符になる典型的なシャッフルである。
注目したいのはハイハットのきめ細かい叩き方だ。


通常こうしたシャッフルでは、ツツツタツツ〜か、ツッツッツタツツ〜と
いう叩き方が基本だと思う。
ゴードンはツッツクツッタッツッツ〜とハイハットを刻んでいる。
変則的なオープンハイハットのタイミングも絶妙だ。

タムの大小による音色の違い、スネアとのコンビネーションによるフィル、
ライドシンバルの入れ方、そのバリエーションの多さは職人芸の領域だ。
単調になりがちなミディアムスローのブルースを彩っている。






ジム・ゴードンはいわゆる手数の多いドラマーだということが分かる。
しかし、決して無駄に叩いてるわけではない。
(いますよね。やたら叩きまくり曲の邪魔をするジャズ系ドラマーって)

ゴードンはダイナミクスのコントロール(強弱の付け方)がとても巧い。
音量・音圧を上げたり抑えたり、音数を増やしたり減らしたりすることで
、曲全体に自然な抑揚をつけている。

それは技術であるが、耳がいい(他メンバーの演奏をよく聴いている)と
いうことであり、それ以前に曲の意図を理解し何がベストか考えている、
ということでもある。





↓デレク&ザ・ドミノスのBell Bottom Bluesのドラムを実演している。
この人はプロのドラマーらしい。なるほど、こんなふうに叩いてたのか!
https://youtu.be/2gTFJDc9TdQ



ヴァースのBell Bottom Blues you made me cryのスネアの入れ方に注目。
2拍と4泊に入るのがふつうだが、ジム・ゴードンは4拍すべて叩いている。
2拍と4拍にタップストロークを入れているところがミソ。
(タッ、トルルタッ、タッ、トルルタッ・・・という感じ)

タップストロークはゴーストになるが、これのおかげで表情が豊かになる。
その間、ライドシンバルで16音符を小さい音で叩き続けるのも心憎い。

I don't want to lose this feeling後、コーラスのI don't want to fade 
away, in your heart I long to stayの後、F→Gの3連符シンコペーション
で入るフィルのバリエーションの多さには脱帽である。







<ジム・ゴードンのドラム・セットと叩き方>

ジョニー・キャッシュ・ショー出演時の映像を見ると、ツイン・タム(右
のタムがやや大きい)、フロアタム、1バスタム、ライドシンバルx2、クラ
ッシュ、ハイハットというラディックの比較的シンプルなセットである。





バスドラムはフロントヘッドが外され毛布らしきものが詰め込まれ、スネ
アにもタオルが被せられている。
音を重くするためだが、リンゴ・スターの影響と思われる。

スティックの握り方は左手がジャズ・ドラマーに多いレギュラーグリップ。
(親指と人差し指の水かき部分で挟み、薬指で支えるという2点方式。
柔軟な動きで音の抑制がしやすく、繊細なニュアンスが出しやすい)(6)
軽く持ち手首のスナップを利かせたストロークが基本のようだ。






左右ともにグリップ・エンド近くを握っている。
この方が音量が得られ音に重みが出る。



ジム・ゴードンのドラムの特徴の一つがリズムの正確さだと言われる。

リズム感(日本ではタイム感と呼ぶ人もいる)は人それぞれ違う。
前のめりの人もいればもたつく人もいる。
それはそれで個性だし、そのバンドに合えばそれなりのグルーヴ感になる。
だから必ずしも正確さだけがドラマーに求められるわけではない。

が、「いいバンドには鉄壁のリズム隊」というのも事実。屋台骨のドラム
がもたつきも走りもせず、どっしりしてれば演奏は乱れない。







1980年代に最も売れっ子だったドラマー、ジェフ・ポーカロが生前のイン
タビューで「正確さではジム・ケルトナーとジム・ゴードンに敵わない」
と答えていた。

そのジム・ケルトナーも「ジム・ゴードンの方が正確」と言っている。
ドラマーが認める理想のドラマー。それがジム・ゴードンなのだ。


映像で判断できないが、彼のキックは恐ろしく正確なのだろう。(7)
またストロークも拍のど真ん中でヒットしているはずだ。(8)



<ジム・ゴードンとジム・ケルトナー>

ジム・ケルトナーの特徴を簡単に言うと、ジャズ・ドラムに精通しR&Bを
基本としたシンプルで安定感のあるドラミング、に尽きると思う。
こう言ってしまうとおもしろくもナンともないが、どんな要求にも即座に
応えられる確かなテクニックがある、ということではないか。



        ↑ジム・ケルトナー(写真:GettyImages)


ジョージ・ハリソン、ジョン・レノン、リンゴ・スターが好んでジム・ケル
トナーを起用したこともその証だろう。

ジョンンから「ジム、君のドラムは素晴らしい。でも僕のNo.1はリンゴなん
だ」(9)と言われたジム・ケルトナーはこう返したそうだ。
「いいんだよ、ジョン。僕の一番好きなドラマーもリンゴだ」と。
ジム・ケルトナーは「リンゴだったらどんなプレイをするだろう?」と考え
ながら演奏していたという。



↑ジョンの後、一番右がジム・ケルトナー


ジム・ゴードンもジョージ・ハリソンの「All Things Must Pass」(10)、
ジョン・レノンのPower To The People、アルバム「Imagine」(11)に
参加している。
レッキングクルーを好んで使うフィル・スペクターが呼んだのかもしれない。



 
↓ジョン・レノンのPower To The Peopleが聴けます。
https://youtu.be/4Epue9X8bpc
ジム・ゴードンはこういうドカドカ・ドラムも叩ける。


↓ジョージ・ハリソンのWhat Is Lifeが聴けます。
https://youtu.be/fiH9edd25Bc
フロアタムのドコドン!が効いてる。ジム・ゴードンはフィルが巧い。
それにしてもひどいPV。なんだ?このダンスは。音だけ聴いてね。




では、ジム・ゴードンとジム・ケルトナーはどこが違うか?聴いて分るか?

2人のジムは一緒に呼ばれて演奏することも多かった。





↓ジョー・コッカーのThe Letter (Live At The Fillmore East 1970)
https://youtu.be/LlX5IWwizGg

正直言って、どっちがどっちか分からない。ぴったり合ってますねー。
うーん、左がジム・ゴードンかなあ。。。


↑ジョー・コッカーのライヴ。ドラムはジム・ゴードン。



あえて2人のドラミングをピッチングに例えるなら。。。
ジム・ゴードンは相手に応じて変化球を自在かつ正確に投げられる投手。
ジム・ケルトナーは直球で勝負の安定型。あとはお人柄ですかね。



<1970年代に売れっ子ドラマーとなったジム・ゴードン>

デレク&ザ・ドミノス以降もジム・ゴードンは数々のレコーディングに
参加し、名演を残している。

デイヴ・メイソン、ジョー・コッカー、ハリー・ニルソン、フランク・
ザッパ、カーリー・サイモン、スティーリー・ダン、マリア・マルダー、
ミニー・リパートン、カーペンターズ、ホール&オーツ、アート・ガー
ファンクル、スティーヴン・ビショップ、ジャクソン・ブラウン、ビル
・ラバウンティ、など。


1970年代には新しいシンガーやバンドが現れ、スタジオ・ミュージシ
ャンに求められるサウンドが大きく変化した。
レッキングクルーの出番は少なくなる。
超売れっ子ドラマーだったハル・ブレインの出番も減っていく。

一方AORやフュージョンが主流になる1970年代後半においても、ジム
・ゴードンはメロディックなドラム(「歌うドラム」と形容された)が
評価され第一線で活躍し続けた。
ジム・ゴードンのドラムがなければ成り立たなかった名曲も多い。





↓カーペンターズのOnly Yesterdayもゴードンのドラムありきの作品だ。
(ロネッツのBe My Babyがハル・ブレインのドラムなしで成立しない
のと同じように)

https://youtu.be/0-gYu68VT24





↓スティーリー・ダンの名盤「Pretzel Logic」収録曲。
Rikki Don’t Lose That Numberのジム・ゴードンのドラムが聴けます。
https://youtu.be/kaxMrzrkzwI


ヴァースではライドの縁を小音で8符、ハイハットで4拍。
キックはベースとタイミングを合わせている。

Rikki Don’t Lose〜の前、タカラッタ、ドンドンのフィルが効果的。
今度はライドの中心をカンカン鳴らしながらリムショット。
ギターのオブリに合わせてスネアとタム連打で盛り上げる。芸術的!



↑「Pretzel Logic」レコーディング中のスティーリー・ダン



ジム・ゴードンはアルコールとドラッグの過剰摂取で精神に異常をきた
し、自身をコントロールできなくなる。ドラムも演奏できなくなった。
1983年6月、ゴードンは母親をハンマーで殴打し殺害。

統合失調症と診断され、16年の禁固刑を宣告される。
仮釈放の審理を拒否し獄中生活を続け、カリフォルニア州の医療刑務所
で亡くなった。77歳。死因は自然死だという。

ジム・ゴードンの人生の後半は悲劇だった。
しかし彼が賞賛に値する偉大なドラマーであったことに変わりはない。



                       (写真:GettyImages)

<脚注>

2023年5月1日月曜日

マリー・クワントとスウィンギング・ロンドンの時代。



英国のファッション・デザイナー、マリー・クワントが亡くなった。

93歳で自然死だったそうだ。

クワントは1960年代にミニスカートを流行らせた。
彼女は英国の車、BMCミニのファンであったことからミニスカートと
命名した。
(フランスのクレージュも同時期に丈の短いスカートを発案してる)




ミニスカートは世界中で一大ブームを巻き起こし、女性の生き方を変
えた、女性解放の象徴、と言われている。

ココ・シャネルは「膝は関節であり、見せるものではない。下品よ」
とミニスカートを酷評し、スカートの丈を決して上げようとはせず、
あくまでもシャネル・スタイルにこだわり続けた。
かつてシンプルで機能的なデザインとジャージー素材で、女性を解放
したシャネルが保守的な価値観に固執した。しかし時代は変わる。


                     
                        (写真:リチャード・アヴェドン)

ミニスカートの火付け役となったのはモデルのツイッギーだった。
枯れ枝のような細い少女はミニの象徴となった。
女性自身のツイッギー特集で、ミニスカートは日本でも有名になる。

日本でいち早くミニスカートを取り入れたのは野際陽子だと言われて
いるが、記憶に残っているのは小山ルミ、小川ローザ、山本リンダだ。
ブームはコシノジュンコや森英恵のようなデザイナーも魅了していく。
森英恵は日本航空の客室乗務員の制服をミニ丈でデザインした。




マリー・クワントはホットパンツ、プラスチック製のレインコート、
パレットのように色鮮やかなメイク、ウォータープルーフのマスカラ、
ロングブーツ、チェーンベルト、ショルダーバッグ、リブセーター、
カラーストッキング、なども考案している。

彼女は遊び心に満ちた、気取りすぎないファッションを好み、幾何
学的な形、水玉模様、対照的な色使い、PVC(ポリ塩化ビニール)
のような素材を多用した。





マリー・クワントの個性的なショートヘアーは、ヴィダル・サスーン
がスタイリングしている。
彼女はいつも「もっと短く!」と言っていたそうである。





「私の服がポップ、エスプレッソバー、ジャズクラブといった10代の
流行にぴったりだったのは偶然だった」とクワントはコメントしている。




彼女は「もっと自由に、もっと楽しく」「欲望の足かせになるような
タブーに挑戦するのはワクワクする」「ファッションはルールではなく
感覚であり、好奇心。楽しい、好きなモノを着ればいい。飽きたら新し
いものに挑戦する」と言っている。

マリー・クワントはシンプルなラインと鮮やかな色使いのドレスや
パンタロンでウィンドウディスプレイを豪華に演出した。




チェルシー地区キングズロードの彼女の店は、ファッションの発信地
となり、ソーホーのカーナビー・ストリートと共に、スウィンギング・
ロンドン(1960年代後半にロンドンで起こった若者主導のファッショ
ン、音楽、映画、建築などのストリートカルチャー)の発信地となる。

彼女の店は若者やアーティストたちの出会いの場でもあった。
ブリジット・バルドー、オードリー・ヘップバーン、ビートルズ、ロー
リング・ストーンズらもそこに集った。





1969年1月30日、サヴィル・ロウのアップル本社ビル屋上で行われた
ビートルズ最後のコンサートで、ジョージ・ハリソンが着てたモフモフ
の黒いコートもマリー・クワントである。
(毛皮ではなく、アクリルかポリエステルだと思う)





パティーの毛皮のコートもマリー・クワントだそうだ。
リンゴの赤いエナメル・コートもマリー・クワントではないか。




昨年暮れに他界したヴィヴィアン・ウエストウッドもニューウェーヴ、
パンクのファッションのカリスマ的存在であった。
ポール・スミスも1960年代、1970年代のブリティッシュ・ロックのス
タイルを基調としたジャケット、モッズコート、革ジャンなどのアイテ
ムが多い。

英国のファッションはロック、ポップカルチャーと一体なのだろう。
だからだろうか。英国のロック・ミュージシャン、バンドはカッコいい。



↑マリー・クワントを着たモデルとヤードバーズ。ジミー・ペイジもいる。


<参考資料:Quant by Quant、アナザーストーリーズ 運命の分岐点、
madame FIGARO japan、日テレNEWS、Wikipedia、他>