2023年5月1日月曜日

マリー・クワントとスウィンギング・ロンドンの時代。



英国のファッション・デザイナー、マリー・クワントが亡くなった。

93歳で自然死だったそうだ。

クワントは1960年代にミニスカートを流行らせた。
彼女は英国の車、BMCミニのファンであったことからミニスカートと
命名した。
(フランスのクレージュも同時期に丈の短いスカートを発案してる)




ミニスカートは世界中で一大ブームを巻き起こし、女性の生き方を変
えた、女性解放の象徴、と言われている。

ココ・シャネルは「膝は関節であり、見せるものではない。下品よ」
とミニスカートを酷評し、スカートの丈を決して上げようとはせず、
あくまでもシャネル・スタイルにこだわり続けた。
かつてシンプルで機能的なデザインとジャージー素材で、女性を解放
したシャネルが保守的な価値観に固執した。しかし時代は変わる。


                     
                        (写真:リチャード・アヴェドン)

ミニスカートの火付け役となったのはモデルのツイッギーだった。
枯れ枝のような細い少女はミニの象徴となった。
女性自身のツイッギー特集で、ミニスカートは日本でも有名になる。

日本でいち早くミニスカートを取り入れたのは野際陽子だと言われて
いるが、記憶に残っているのは小山ルミ、小川ローザ、山本リンダだ。
ブームはコシノジュンコや森英恵のようなデザイナーも魅了していく。
森英恵は日本航空の客室乗務員の制服をミニ丈でデザインした。




マリー・クワントはホットパンツ、プラスチック製のレインコート、
パレットのように色鮮やかなメイク、ウォータープルーフのマスカラ、
ロングブーツ、チェーンベルト、ショルダーバッグ、リブセーター、
カラーストッキング、なども考案している。

彼女は遊び心に満ちた、気取りすぎないファッションを好み、幾何
学的な形、水玉模様、対照的な色使い、PVC(ポリ塩化ビニール)
のような素材を多用した。





マリー・クワントの個性的なショートヘアーは、ヴィダル・サスーン
がスタイリングしている。
彼女はいつも「もっと短く!」と言っていたそうである。





「私の服がポップ、エスプレッソバー、ジャズクラブといった10代の
流行にぴったりだったのは偶然だった」とクワントはコメントしている。




彼女は「もっと自由に、もっと楽しく」「欲望の足かせになるような
タブーに挑戦するのはワクワクする」「ファッションはルールではなく
感覚であり、好奇心。楽しい、好きなモノを着ればいい。飽きたら新し
いものに挑戦する」と言っている。

マリー・クワントはシンプルなラインと鮮やかな色使いのドレスや
パンタロンでウィンドウディスプレイを豪華に演出した。




チェルシー地区キングズロードの彼女の店は、ファッションの発信地
となり、ソーホーのカーナビー・ストリートと共に、スウィンギング・
ロンドン(1960年代後半にロンドンで起こった若者主導のファッショ
ン、音楽、映画、建築などのストリートカルチャー)の発信地となる。

彼女の店は若者やアーティストたちの出会いの場でもあった。
ブリジット・バルドー、オードリー・ヘップバーン、ビートルズ、ロー
ング・ストーンズらもそこに集った。





1969年1月30日、サヴィル・ロウのアップル本社ビル屋上で行われた
ビートルズ最後のコンサートで、ジョージ・ハリソンが着てたモフモフ
の黒いコートもマリー・クワントである。
(毛皮ではなく、アクリルかポリエステルだと思う)





パティーの毛皮のコートもマリー・クワントだそうだ。
リンゴの赤いエナメル・コートもマリー・クワントではないか。




昨年暮れに他界したヴィヴィアン・ウエストウッドもニューウェーヴ、
パンクのファッションのカリスマ的存在であった。
ポール・スミスも1960年代、1970年代のブリティッシュ・ロックのス
タイルを基調としたジャケット、モッズコート、革ジャンなどのアイテ
ムが多い。

英国のファッションはロック、ポップカルチャーと一体なのだろう。
だからだろうか。英国のロック・ミュージシャン、バンドはカッコいい。



↑マリー・クワントを着たモデルとヤードバーズ。ジミー・ペイジもいる。


<参考資料:Quant by Quant、アナザーストーリーズ 運命の分岐点、
madame FIGARO japan、日テレNEWS、Wikipedia、他>

 

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