2014年11月1日土曜日

もう森へなんか行かない。


時々フランソワーズ・アルディが聴きたくなる。
たいてい今にも空が泣き出しそうな日だ。

ラジオで流れていた「さよならを教えて(Comment te dire adieu)」という曲が
気に入ってフランソワーズ・アルディの日本盤を買ったのは18才の秋だった。

「もう森へなんか行かない(Ma jeunesse fout l'camp)」が一番好きだった。
内省的でメランコリックな歌だ。





原題を直訳すると「私の青春が逃げて行く」というニュアンスだろうか。

私の青春が去って行く 一篇の詩をたどり 韻を踏み 手をふりながら
私の青春が去って行く 枯れた泉へ 柳の枝のように私の二十歳は刈り取られる

私たちはもう森へなんか行かない 詩人の歌 安っぽい節まわし 下手な詩
夢見心地で歌った 祭りで出会った男の子たち 名前さえ忘れてしまった


二番の歌詞に「もう森へは行かない(Nous n'irons plus au bois)」が出て来る。

フランスには「Nous n'irons plus au bois」という童謡があるそうだ。
森で楽しく踊って好きな相手にキスしましょうという内容らしい。


「もう森へなんか行かない(Ma jeunesse fout l'camp)」はそんな「楽しかった
青春」との別れの切なさを歌っているのだと思う。 

少し脱線するが、ドビュッシーの作品「忘れられた映像」に「いやな天気だから
「もう森へは行かない」の諸相」という曲がある。
この「もう森へは行かない」というのも前述のフランスの童謡のこと。
しかも童謡のメロディが転用されているのがおもしろい。
さらに「いやな天気だから」は「版画」の中の「雨の庭」の元にもなってる。







2 件のコメント:

Unknown さんのコメント...

この曲はずいぶん昔に聴いたことがあって、歌い方や音やメロディーから、
なんとなく感じた切なさだけをよく覚えています。

「もう森へは行かない」という意味が分かっていないと、
飛んでもない解釈をしたり、まったく理解できないまま聞き流すことに
なってしまいますね。

PP&Mの歌にも、そんな場面がよく出てきて、最初に英語圏に精通している
メンバーから簡単な説明を受けています。
宗教やお祭りごとでのその国の習慣を知っていて初めて歌える曲が
結構ありますし、その国の時代背景、特に宗教弾圧や戦争などの歴史を
知らないままに歌っていても、その国の人が聴くとおかしなものなんでしょうね。
ですから、いくらいい曲でも演奏はできても、日本人の私たちに理解できない曲は、
選曲しないでいます。


イエロードッグ さんのコメント...

>Mary Ppmさん

僕はあまり歌詞をちゃんと聴いていない(日本語だろうが英語だろうが)
のでぜんぜん曲の本質を理解していないことが多いです(恥)
ビートルズでもなんとなく耳でメロディーの一部として憶えてるけど何を
言ってるかは知らない曲もけっこうあるんですよ。

ましてやフランス語ですからね。
ライナーノーツと翻訳は最初さらっと目を通すだけです。
でもこういう邦題をつけたということは童謡のこともきっと触れてたんで
しょうね。

18才のガサツな男にフランスの女性が去り行く青春を惜しむ気持ちなんて
分るはずないけど、アンニュイな空気と切なさはひしひしと伝わりました。
この頃はフランス映画なんか好きでよく見てましたよ。

PP&Mやディランはメッセージ性が高いから意味を理解せずに歌詞を暗記
しててもカバーにならないんでしょうね。

この間10才若い音楽仲間から日本でのスリーフィンガーの源流はどこから
来てるのか?と訊かれ、改めて見つめ直してみたらPP&Mなんです。
しかしPP&Mの二人は本当はツーフィンガーですよね。
勘違いしてる人が多いけど。

ドノヴァンも音楽的にはケルティック、詩はルイスキャロルやイエーツが
ベースにあったりするので本当はそこを押さえておかないと理解できない
部分があります。
古語もよく出て来ますしね。
いやいや。音楽って本当に奥が深いです。