2022年2月28日月曜日

ビートルズ、エド・サリヴァン・ショー初出演の1曲目は?


 
<1964年2月エド・サリヴァン・ショーで演奏された曲>


1回目の出演 1964年2月9日夜、ニューヨークCBSスタジオ 生中継

1. オール・マイ・ラヴィング
2. ティル・ゼア・ウォズ・ユー
3. シー・ラヴズ・ユー
4. アイ・ソウ・ハー・スタンディング・ゼア
5. アイ・ウォント・トゥ・ホールド・ユア・ハンド(抱きしめたい)


2回目の出演 1964年2月16日夜、マイアミ・ドーヴィルホテル 生中

1. シー・ラヴズ・ユー
2. ディス・ボーイ
3. オール・マイ・ラヴィング
4. アイ・ソウ・ハー・スタンディング・ゼア
5. フロム・ミー・トゥ・ユー
6. アイ・ウォント・トゥ・ホールド・ユア・ハンド(抱きしめたい)


3回目の出演 1964年2月23日録画放送(2月9日、CBSスタジオで収録)

1. ツイスト・アンド・シャウト
2. プリーズ・プリーズ・ミー
3. アイ・ウォント・トゥ・ホールド・ユア・ハンド(抱きしめたい)




<1回目の出演の1曲目がオール・マイ・ラヴィング」だった理由>

「街がこんなに興奮しているのは初めて」というエド・サリヴァンの紹介に続き、
1曲目に演奏したのはポールが歌う「オール・マイ・ラヴィング」だった。





ちょっと意外であった。
景気づけに一発目は(1964-1965ツアーのオープニング曲の)ツイスト・アンド・
シャウトをかますか、この後のワシントンDCのオープニングでジョージが歌った
ロール・オーヴァー・ベートーヴェン、といったノリのいいロックンロールで行き
そうなものだが。


以前読んだ記事で(たぶんレコード・コレクターズではないかと思うが)どなたか
音楽評論家の方が「ブライアン・エプスタインの判断で好印象を与えるために優等
生のポールの曲を最初に持ってきたのでは」と書いていた。

それは違うと思う。
デッカのオーディションに落ちた後、エプスタインはジョンから「あんたは選曲
に口出しするな。俺たちが決める」ときつく言われている。
エプスタインが言えたのは「できるだけヒット曲を」とか「間奏はアドリブにしな
いように」「ステージでガムを噛まないように」くらいであった。





初めてアメリカの大衆の前で披露するのに「オール・マイ・ラヴィング」を選んだ
理由は、この曲があらゆる面で高度な自信作だったからではないだろうか。


小気味好い、弾むようなテンポに乗せて歌われる、きれいで明るいメロディ。
この曲はもともとコーラス部のAll My Loving〜から歌われていたが、ジョージ・
マーティンのアドヴァイスで、ヴァースからスタートするように変えた。
しかもイントロなし出だしのClose your〜の2拍は演奏もなしの歌のみ
Eyesから一気にスピード感のある演奏が始まる。これだけでもインパクト充分。

マーティン卿は最初に耳に入る音でリスナーをノックアウトするのに長けていた。
(「キャント・バイ・ミー・ラヴ」では逆にヴァースから歌っていたのを、Can't
 buy me loveから始めてみてはどうか、と的確な提案をしている)




↑1回目の出演の1曲目、オール・マイ・ラヴィングの冒頭部分が観れます。
(デジタル処理でカラー化されています)



「オール・マイ・ラヴィング」は演奏もキレがよくアイディアが詰まっている
ジョンによるヴァースでの歯切れのいい3連の早弾きコードカッティング
All my loving〜ではアフタービートのカッティングを強調したクリシェ。

ポールは4ビートのウォーキングベース。しかも歌いながらカウンターメロディー
のようなベースラインを正確に弾いている。歌のピッチも正確だ。
リンゴのドラムはハネ感のあるハーフ・シャッフルの8ビート
複雑なリズムを組み合わせて一体となったグルーヴ感ビートとメロディーの両立





きわめつけは間奏で見せたジョージのチェット・アトキンス奏法
間奏はヴァースと異なるコード進行なのも見逃せない。
最後のヴァースでポールにハモるジョージ。完璧なパフォーマンスだった。

ジョンとポールは自信に満ち溢れている。リンゴも余裕で楽しんでいる。
ジョージは堂々とした盤石のプレイ。(この時ジョージはまだ20歳である)





どうせビートルズなんてうるさいだけで実力の伴わないアイドルだろうとタカを
くくって見ていた人たちは、4人のレベルの高さに唖然としたに違いない。
ギター、ベース、ドラムのテクニックも当時の(レコーディングはスタジオ・ミュー
ジシャンに代行してもらってた)アメリカのポップ、ロックバンドより上手い。

それこそがビートルズの狙いだったのではないか。
「俺たちはそんじょそこらのロックンロール・バンドじゃないんだぜ」とアメリカ
の横っ面を引っ叩く
だから「オール・マイ・ラヴィング」だったのではないだろうか。

それに加え、ビートルズはとにかくカッコよかった。(1)スーツの着こなしも動きも。
2本のマイクを分け合い、曲によってポールとジョージが、ポールが歌うときはジョン
とジョージがもう1本のマイクに向かう。
左利きのポールとジョージまたはジョンがマイクを挟んでネックがシンメトリーにな
るのも美しかった。ビートルズには美学があったのだ。



↑本番前のドレスリハーサルと思われる。4人の衣装がばらばらである。



<2曲目のティル・ゼア・ウォズ・ユーも意外だった。>

続く2曲目もポールがボーカルを取る美しいバラード。
メンバー1人ずつの名前がテロップで入る。
ジョンの時は「Sorry Girls, He's married」と一言添えられていた。

「ティル・ゼア・ウォズ・ユー」はデビュー前よりポールのレパートリーとして、
ハンブルク巡業時代でも演奏していたお得意の曲である。

元々はブロードウェイ・ミュージカル「ミュージック・マン」の劇中歌で、1962
年に公開された同名の映画でも使用された。
アメリカでは馴染みのある曲だったのかもしれない。



↑映画版「ミュージック・マン」劇中歌のティル・ゼア・ウォズ・ユー。


しかしポールは「ミュージック・マン」劇中歌であることは後年まで知らなかった。
1961年にペギー・リーによるカヴァーを聴いて自身も歌うことにしたらしい。
ペギー・リーのヴァージョンはジャック・マーシャル楽団によるラテン~アフロキュ
ーバン・アレンジが陽気な「Latin Ala Lee!」というアルバムに収録されている。



↑クリックするとペギー・リーのティル・ゼア・ウォズ・ユーが聴けます。


ビートルズの「ティル・ゼア・ウォズ・ユー」はこのペギー・リーのヴァージョン
を参考にアレンジしたもので、ラテン・フレーバー(2)を感じさせる。



イギリスから来た4人組が騒々しいロックではなくラテン・アレンジのバラードを
演奏したことは意外性もあり、アメリカのお茶の間(?)では好意的に捉えられ
のではないかと思う。

もっともビートルズの狙いはそうした「受け」ではなく、幅広い音楽性と高度なテク
ニックを披露することにあったはずだ。
特にこのパフォーマンスでキーとなるのはジョージのギターである。
レコードではクラシックギターを演奏しているが、ライブではエレキギター用にアレ
ンジを少し変えている。




↑エド・サリヴァン・ショー出演時のティル・ゼア・ウォズ・ユーが観れます。


ディミニッシュ、オーギュメント、マイナー7th、マイナー9th、などふつうのロック
・バンドが使わないようなテンションコードをうまく多用している。
肝は間奏の最後不協和音の混じったコード。この響きが効いている。

コード名で言うとF#7 (add#9)。めったに使われない。
ちなみにその間、ジョンはC7を弾いている。
2つのコードは同じ構成音もあるが、濁る音も出てくる。それも計算づくだろう。


このF#7 (add#9)というコードは、リバプール時代、ジャズ・ギタリストが弾いてる
のを見て、ポールとジョージはバスに乗ってその人の家に教わりに行ったそうだ。

とっておきのコードで、ビートルズでは2回しか使わなかったとポールは言う。
この「ティル・ゼア・ウォズ・ユー」と「ミッシェル」のヴァースの2小節目。
(「ミッシェル」では5フレットにカポでF7 (add#9)を弾いている)
つい最近のインタビューでコード名はいまだに知らないと言っていた。
いかにもポールらしい(笑)


この2曲目でも音楽業界や音楽通の人たちを唸らせたはずだ。






<1回目の後半はノリのいいヒット曲>

3曲目はシー・ラヴズ・ユー。頭を振ってOooh!に女の子たちは絶叫する。
エド・サリヴァンと4人の会話、エルヴィスからの電報の紹介を挟んで、アイ・ソウ
・ハー・スタンディング・ゼア、アイ・ウォント・トゥ・ホールド・ユア・ハンド
(抱きしめたい)とヒット曲で盛り上げ終わる。

尚、前半と後半はセットが変わる。大きな矢印のオブジェがあるのが前半。
後半は頭上と横に金属のバー、縦長のパネルがある。




↑クリックすると1回目の出演時の最後の演奏曲、「抱きしめたい」が観れます。



<2回目、マイアミでは1本のマイクでハモるディス・ボーイが絶品。>

ワシントン・コロシアム、カーネギー・ホールと2箇所でのコンサートを成功させ
た4人はマイアミに飛び、暖かい太陽を浴びリラックスする
そして2回目の出演、ドーヴィル・ホテルからの生中継に臨む






1曲目の「シー・ラヴズ・ユー」の後、1本のマイクをジョン、ポール。ジョージが
囲み3声でハモる「ディス・ボーイ」は絶品だ。
5曲目の「フロム・ミー・トゥ・ユー」もマイアミだけで演奏された。




↑断片的だけどマイアミ でのパフォーマンスが観れます。


ニューヨークCBSスタジオと比べて観客にきれいな女性が多く時々アップで映る。
ドーヴィル・ホテル滞在客なのか、当時のマイアミが別荘地で裕福な人が多かった
せいか、カメラさんがいい仕事をしてたのか。。。(笑)






尚、生中継は夜のショーであるが、昼間も観客を入れてリハーサルを行っており、
その映像も残っている。
リハーサルはエンジニアの調整のため楽器やボーカルのバランスが適正ではな
いが、演奏は本番と変わらない出来である)


アメリカは生中継であっても、時差がある地域の局には録画テープを送って同じ
時間帯に放送していた。
そのためビデオテープが残っていたわけだが、CBSで保存していた素材よりも、
エド・サリヴァンが自宅で保管していたテープの方が保存状態が良く画質もいい。
DVD化されたものはエド・サリヴァン所有テープをレストア(修復)してある。






<3回目の出演で演奏した3曲は「2月9日事前に」収録されていた。)

ビートルズは2月23日に3回目のエド・サリヴァン・ショーに出演しているが、
4人はその前日に既に帰国していた。
23日に放映された3曲は、2月9日の1回目生放送の前に収録されたものである。
セットは2月9日の前半、後半とは違い、縦長の曲線のある柱が組まれていた。


オープニング向きのツイスト・アンド・シャウト、プリーズ・プリーズ・ミー、
大ヒット中のアイ・ウォント・トゥ・ホールド・ユア・ハンド(抱きしめたい)。
実際にスタジオで演奏した順番はこの3曲が先だったわけだ。




↑本番前のドレスリハーサルと思われる。



つまり実際に演奏した順でいうと。。。


1964年2月23日録画放送分(3回目の出演)を収録(2月9日、CBSスタジオ)

1. ツイスト・アンド・シャウト
2. プリーズ・プリーズ・ミー
3. アイ・ウォント・トゥ・ホールド・ユア・ハンド(抱きしめたい)


1回目の出演 1964年2月9日夜、ニューヨークCBSスタジオ 生中継

1. オール・マイ・ラヴィング
2. ティル・ゼア・ウォズ・ユー
3. シー・ラヴズ・ユー
4. アイ・ソウ・ハー・スタンディング・ゼア
5. アイ・ウォント・トゥ・ホールド・ユア・ハンド(抱きしめたい)


2回目の出演 1964年2月16日夜、マイアミ・ドーヴィルホテル 生中継

1. シー・ラヴズ・ユー
2. ディス・ボーイ
3. オール・マイ・ラヴィング
4. アイ・ソウ・ハー・スタンディング・ゼア
5. フロム・ミー・トゥ・ユー
6. アイ・ウォント・トゥ・ホールド・ユア・ハンド(抱きしめたい)


ということになる。




↑2月9日に事前収録され、2月23日に放映されたツイスト・アンド・シャウト。


さすがのジョンも緊張してたのか、最初の演奏(2月23日録画放送分収録)の
1曲目、ツイスト・アンド・シャウトでは表情がやや硬い。


この後に生演奏した2月9日の1回目の方が余裕が見られる。
初登場での「オール・マイ・ラヴィング」「ティル・ゼア・ウォズ・ユー」で
肩の力が抜けて、笑顔で自信たっぷりなのもうなづける。




もちろん3回目分を先に収録することは事前に教えられていて、それも承知の上
で2月9日の最初の曲を「オール・マイ・ラヴィング」、2曲目を「ティル・ゼア・
ウォズ・ユー」に選んだのだろう。
そして3回目は前述の3曲でしめくくる、ということも。


賢明な選曲であり、結果的に大正解だったと思う。
3回のエド・サリヴァン・ショーの出演で全米にビートルズとは何者かを知らし
めたわけで、とりわけ1回目のお披露目でガツンと一発食らわせることが重要
だったのだから。
ビートルズのアメリカ征服(Beatles conquer America)は大成功だった。





<脚注>

(1)ビートルズはカッコよかった。

当時アメリカのロックバンドで音楽はともかく、ビートルズのようにスタイリッシュ
な、絵になるバンドはいなかったと思う。
ビーチボーイズもいいけど、カッコいいか?と言えるのはデニスくらいだろうか。
ジャン&ディーンもアストロノウツもシャンティーズもベンチャーズも、それなり
にカッコよかったんだろうけど、ビートルズのルックスはそれらと次元が違った。
怒れるロックンローラーだったエルヴィスも、除隊後は大人たちが喜ぶものわかり
のいい従順な青年を演じ、ハリウッドに匂いがする「歌う俳優」になってしまった。


(2)ラテン・フレーバー
折しも1960年代前半アメリカ東海岸ではラテン・ジャズがブームになっていた。
キューバ移民が持ち込んだ西アフリカのリズムを感じさせるアフロ・キューバンで、
マンボ、ルンバ、チャチャチャ、サルサもこの系統である。
ウエストサイド物語(1961年公開映画)の音楽(レナード・バーンスタイン)も、
クラシックの手法にラテン、ジャズの要素を取り入れていいる。

もう一つの潮流はブラジル音楽で、サンバ、そのサンバにジャズの要素を加えたボサ
ノヴァがブラジルの裕福な知的階級に好まれ、アメリカのジャズにも影響を与えた。
クインシー・ジョーンズ、ハービー・マン、ラムゼイ・ルイスなど。
1962年スタン・ゲッツがジョアン・ジルベルトと共演した「ゲッツ/ジルベルト」、
アストラッド・ジルベルトが英語で歌った「イパネマの娘」は大ヒット。
1963年にはイーディ・ゴーメが歌うポップな「恋はボサ・ノバ」もヒットした。
アントニオ・カルロス・ジョビンのアルバム「WAVE」はボサ・ジャズと呼ばれ、
セルジオ・メンデスのようなジャズというよりボサ・ロックもヒットした。


<参考資料:Udiscovermusic.jp、TAP the POP、Distractions、OTONANO、
Wikipedia、ザ・ビートルズ楽曲データベース、アドニス・スクエア、他>

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