2016年2月1日月曜日

40高中。

僕が最初に勤めた会社の本社ビル1Fにはレコーディング・スタジオがあった。
仕事にかこつけては入り浸ってエンジニアと雑談したり遊んでいたものだ。


一度スタジオの前のベンチでスタンバってた高中正義に「ストラトとヤマハの
SG(1)はどう使い分けてるんですか?」と質問したことがある。

彼は間をおいてから頭の後で両手を組み、足元の大きなジュラルミン・ケース
を顎で指しながら「これくらいかますと何使っても同じだよね」と言いながら、
へへへと笑った。


ジュラルミン製トランクの中にはMXRのダイナコンプ(2)、ディストーション、
フェーザー、オートワウ、フランジャー、BOSSのコーラスアンサンブルCE-1
(3)、Goodrichのボリュームペダルなどエフェクターがぎっしり配されていた。

高中はリー・リトナーのエフェクター・ボックスを真似して作ったそうだ。
少し前にリー・リトナーのコンサートに行ったが、確かに同じようなジュラ
ルミン製トランクが足元にあって足先でオンオフしていた。

今ならそれだけの機能すべてにアンプ・シミュレーターまで付いたものが手の
ひらにすっぽり収まる大きさになる、あるいは PCのDTM(4)ソフトに付い
いる。しかし時は1979年。まだアナログの時代だ。







会社の先輩によると、高中本人は「ラリー・カールトンを師と仰いでいる」
と言ってたそうだ。
プレイヤーだったかギター・マガジンだかには「今の演奏スタイルはカルロス
・サンタナに触発されて」という 高中正義のインタビュー記事が載っていた。

要するにいろいろ影響を受けてるわけね。(^_^)



高中正義はフライドエッグ、サディスティック・ミカ・バンド、サディステ
ィックスを経て1976年からソロ活動を始める。
ちょうどブームになりつつあったフュージョン(5)、トロピカル・ブーム、
ディスコを取り入れギター・インストゥルメンタルで支持層を広げた。(6)

1979年の「BLUE LAGOON」のヒット。
1981年コンセプトアルバム「虹伝説 THE RAINBOW GOBLINS」とそれを
モチーフにした日本武道館コンサートで高中人気は頂点を迎える。



個人的には高中正義のペンタトニック(7)を一気に駆け上がるような几帳面な
フレーズはあまり好きではない。
しかし彼の楽曲やアレンジのセンスの良さは抜群だと思う。

高中はギタリストであるがアイディア・マンでもあったようだ。
「マンボNo.5」のディスコ・アレンジ、「スターウォーズ」のサンバ・アレ
ンジも、真っ赤なスーツにオールバックのジャケット写真も彼のアイディア。
ブルーのヤマハSG-2000も高中の特注で彼のトレードマークになった。


「虹伝説」はたまたま彼が見つけたイタリアの画家ウル・デ・リコの絵本「虹
伝説」からインスピレーションを得たそうである。
武道館の虹伝説コンサートではステージ全体がゴブリンたちが住む大きな岩場
に見立てて作られ、バンドは色とりどりのマントを羽織って演奏していた。

虹色に染めた髪をオールバックにした高中正義は上田馬之助のようだった(笑)
僕は関係者としてステージの後から見ていたのだが、この日のバンド(8)のパフ
ォーマンスはすばらしく武道館の盛り上がり方は半端じゃなかった。




↑左:高中正義、右:上田馬之助



僕にとっての高中正義の最高傑作はその人気絶頂期の4年前。
1977年にリリースした彼の3rd.アルバム「In Satiable High」である。

このアルバムは日本のフュージョン史に残る名盤4枚の一つだと思っている。
(あとの3枚は、カリフォルニア・シャワー/渡辺貞夫、セイリング・ワンダー
/増尾好秋、ザ・ウィンド・ウィスパーズ/松岡直也&ウィシング)



「In Satiable High」はLAのララビー・スタジオで録音された。
まず参加メンバーがすごいのなんのって。

Guitar : Lee Ritenor 
Drums : Harvey Mason 、Ed Green、村上“ポンタ”秀一
Bass : Aberaham Laboriel、Chuck Rainey
Keyboards : Patrice Rushen、深町純
Percussion : Steve Forman、Paulinho Da Costa、浜口茂外
Horns : Tower Of Power Horns


アメリカと日本のフュージョン界の強者が結集しているのだ。
リー・リトナー、ハービー・メイスン、パトリース・ラッシェン、エイブラハム
・ラボリエルはジャントル・ソウツの第2期メンバー(9)が総揃い。
チャック・レイニー、ポリーニョ・ダ・コスタ、タワー・オブ・パワー、村上
“ポンタ”秀一(10)も参加している。




 ↑ジャケット写真をクリックするとAmazonで試聴できます。


リー・リトナーの小気味いいコード・カッティングをバックに高中はのびのびと
ソロを取っている。
これを聴くとリーのバッキングの上手さにはつくづく感心させられる。
高中はリーとの共演をきっかけにエフェクター・ボックスを作ったのだろう。


1曲目の「Sexy Dance」はバラエティー番組のBGMでも使われるノリのいい曲。

次の「Malibu」はこのアルバムの中でも出色の出来。
エイブラハム・ラボリエル(11)のゴリゴリしたベースとリー・リトナーお得意の
ワウを使ったワカチョ〜ンで始まり、続いて入るパトリース・ラッシェン(12)
奏でるフェンダー・ローズの美しさは最大の聴きどころ。

タイトル曲「In Satiable High」は疾走感が心地よい。
リーvs.高中のギター・バトルも堪能できる。
高中のストラトのシングルコイルならではの抜けのいい音と、リーのES-335の
セミアコ+ハムバッカー特有のウォームでファットな音が対照的でいい。


エイブラハム・ラボリエルのブンブンうなるベースに続いてコーラスを効かせた
(たぶんリーの)ギターのリフが入り、タワー・オブ・パワーのホーンが絡む
「E.S.P.」も人気曲だ。



「ジャケットがいいアルバムは中身もいい」が僕の持論だ。逆もまた然り。
このアルバムもジャケットがいい。

どこまでもまっすぐの道路を走る高中選手。
昔よく見かけた「40高中」の道路標示(13)。「高中」にかけてるわけだ。
パースペクティブが効いた構図が気持ちいい。

でもこんな場所、日本にあるのか? それに右側通行じゃないの!
とジャケットの裏を見ると「40高中」は道路に布を貼り付けたものというシャレ。






ジャケットは有りポジ(14)使って社内のデザイン部でちゃちゃっと済まして極力
お金をかけないのが日本のレコード会社の常。
それがレコーディングのついでとはいえ海外ロケでちゃんとしたフォトグラファー
とデザイナーを起用するなんて、このアルバムにかけるキティー・レコードの
意気込みは大きかったのではないかと思う。

<脚注>
(1)ヤマハのSG
1970年代後半〜1980年代初頭にかけて高中は特注のブルーのヤマハSG-2000を
ライブ等でメイン器として愛用していた。
レッドサンバーストのSG-1000もサブ機として使用していたが「虹伝説」コンサ
ートの際、虹色にペイントされた。


(2)MXRのダイナコンプ
ギター・コンプレッサーの定番。パーカッシブなアクセントを付けたり、ロング
サスティンのクリーンサウンドを作ることができる。
高中はリー・リトナーが愛用していたDan Armstrong社のオレンジスクイーザー
というギター本体差込型のコンプレッサーもヤマハのSGに使用していた。


(3)BOSSのコーラスアンサンブルCE-1
弦を弾いた音をほんの少し遅らせて2回弾いたかのような動作を電気的に作り出し、
12弦ギターのような透明感と広がり、それに揺らぎの効果を出すエフェクター。
CE-1はコーラスアンサンブルの1号機で当時としては高価の25,000円であった。
リー・リトナーなどフュージョンのギタリストによく使われた他、ライ・クーダー
のようにエレアコの音作りに使用するギタリストもいた。


(4)DTM
Desk Top Musicの略(和製英語)でPCを使用して音楽を作成編集すること。 
海外ではComputer Musicと呼ばれている。 
DTMソフトをDAW(Digital Audio Workstation)と呼ぶが、DTMとDAWが同義
で使用されることもある。


(5)フュージョン
当初はクロスオーバーと呼ばれた。ジャズやラテンとロックが融合した音楽。
ギタリストではラリー・カールトン、リー・リトナー、渡辺香津美のようなジャズ
畑からのアプローチとジェフ・ベック、スティーヴ・ルカサー、高中正義などロッ
ク畑からのアプローチがあった。


(6)高中正義の支持層
日本のギター少年の憧れ的存在だったが、トロピカル、ディスコ、フュージョン
のブームにより女性までファン層が広がった。


(7)ペンタトニック・スケール
ロック、ポップスでよく使われる音階。
5つの(ペンタ)構成音(トニック)でできている。
キーがCなら「ド・レ・ミ・ソ・ラ」の5音。
メジャー・スケールが7音なのでそれよりさらに2つ少ない。




(8)虹伝説コンサートのバンド
田中章弘(b)、石川清澄(p)、小林泉美(kb)、宮崎まさよし(ds)、他。


(9)ジャントル・ソウツ
リー・リトナー率いるフュージョンの一流ミュージシャンのプロジェクト。
1977年〜1978年にかけて2枚のアルバムをダイレクト・カッティング録音。
テープを介さずダイレクトにラッカー盤に録音するという方式で、オーディオ・
マニアにも好評だった。
第1期はアーニー・ワッツ(sx)、ハービー・メイソン(ds)、アンソニー・ジャクソ
ン(b)、デイブ・グルージン(p)、スティーヴ・フォアマン(pc)。


(10)村上“ポンタ”秀一
日本一と評価されるセッションドラマー。
赤い鳥、五輪真弓、吉田美奈子、山下達郎、高中正義、松岡直也&ウィシング、
渡辺香津美、吉田拓郎、沢田研二などバックを務めたアーティストは多数。

スティーヴ・ガットが超売れっ子の頃ダブルブッキングは茶飯事で、そういう時
村上が海外まで赴き代役を務めていた、という逸話もある。
ジャケットのクレジットはスティーヴ・ガットになってるが、本当は村上が叩い
ているのものが多いらしい。


(11)エイブラハム・ラボリエル
メキシコ出身のベーシスト。3000作を越える楽曲の録音に参加。
ポップスからR&B、フュージョンと幅広く活動。
日本でも渡辺貞夫、松任谷由実などのレコーディングに参加している。
ポール・マッカートニー・バンドの巨漢ドラマー、エイブラハム・ラボリエル・
ジュニアは彼の息子である。


(12)パトリース・ラッシェン
リー・リトナーとデイヴ・グルーシンなどLA勢のミュージシャンと共にフュー
ジョン早創期の中心メンバーの一人とななった。
ハービー・ハンコックばりのソロで「ハンコック少女」と呼ばれた。
このレコーディング時はまだ南カリフォルニア大学(USC)の学生であった。

1982年には自らのボーカルをフューチャーしたブラコンのアルバム「Straight 
From the Heart(邦題:ハート泥棒)」をリリース。
シングルカットした「Forget Me Nots」がヒット。
この曲は映画「メン・イン・ブラック」(1997年)のテーマ曲としてサンプ
リングされリヴァイバルヒットとなる。

邦題:ハート泥棒→奥村チヨみたい(笑)


(13)「40高中」の道路標示
以前は一般道路の法定速度は車両別に高速車・中速車・低速車の区別があった。
高中低は頭文字。
高速車は大型乗用・普通自動車・250ccを超える自動二輪。
中速車は大型貨物・特殊自動車、250cc以下の自動二輪。低速車は原動機付自転車。
「40高中」は高速車・中速車は時速40km以下で走りなさいという標示。
平成4年の道路交通法改正で高速車・中速車の区分は撤廃されて廃止となった。


(14)有りポジ
別名:借りポジ、 レンタルポジ、レンタルフォト、 ストックフォト。
専門の写真をストックしている会社から、用途・シーンに応じた写真フィルムを
使用料を払ってレンタルで使用するもの。
わざわざロケするほどの時間や予算がない、という場合に利用される。

2 件のコメント:

Unknown さんのコメント...

目玉曲ないものの(失礼)必ずいつの時代も所有していたこのLP、、今、本格的な解説拝読しながら聴くと、有難さが一入です。リー・リトナーとの共演は他のLPでも良く知られていて、ちょっとこの通称「40高中」はこんなにありがたいアルバムとは知らず、、45年目にして真面目に聴いて楽しんでます。

イエロードッグ さんのコメント...

コメントをいただきありがとうごじます。
解説というほど詳しくなく個人的雑感ですが光栄です。
思うに、このアルバムが出た1977年ってすごくいい時代だったと思うんですよ。
ロックとジャズの融合が始まった頃で、まだフュージョンではなくクロスオーヴァーと呼ばれてました。
LAやNYのスタジオ・ミュージシャンって圧倒的なくらい巧いし、テクだけじゃなくセンスがありました。
それを日本のプレイヤーたちも消化していったんですね。
それが1980年代になると面白くなくなっちゃうんです。
フュージョンもそれを取り入れたAORも定型化してしまいました。
あと1970年代って音と音の「間」があったんです。ある意味、音のスカスカ感?
1980年代になるとびっしり隙間がなく硬質な音、つまらない音楽になってしまいました。
個人的好みの問題ですけど。