2016年2月15日月曜日

ミスター・ジョーンズを探して。

空気を節約するためにカンテラが吹き消され、あたりは漆黒の闇に覆われた。
抗夫たちは闇の中で身を寄せあい、耳を澄ませ、ただひとつの音が聞こえて
くるのを待っていた。つるはしの音だ。

         「ニューヨーク炭鉱の悲劇」村上春樹著(1981年)より



村上春樹氏はビージーズの楽曲「New York Mining Disaster 1941」(邦題:
ニューヨーク炭鉱の悲劇)の歌詞にひかれて同名の短編を書いたそうだ。(1)
エピグラフに歌詞の一節が引用されている。


ビージーズは長兄のバリー・ギブ、二卵性双生児のロビンとモーリスの三兄
弟を中心としたイギリス出身のグループである。(2)
移住先のオーストラリアで人気が出るが、これに着目したのがビートルズの
マネージャー、ブライアン・エプスタインである。
エプスタインは自分が経営するNEMSエンタープライズのロバート・スティグ
ウッド(3)をオーストラリアへ赴かせビージーズと契約。


ポリドール・レコードからのデビュー曲(1967年)が「New York Mining 
Disaster 1941」(邦題:ニューヨーク炭鉱の悲劇)だ。

落盤事故で坑内に閉じ込められた炭鉱夫が救出を待ちながら地上の音に聞き耳
を立てている様子、そして絶望的な思いを美しいメロディで歌っている。



バリーとロビンはポリドールのスタジオの暗がりで曲作りに悩んでいた。
その前年イギリスのウェールズ地方で実際に起きた炭鉱の土砂崩れによる大惨
(4)を思い出し、自分たちも炭鉱の中に閉じ込められていることを想像しなが
ら書き上げたそうだ。

実際にはニューヨークに炭鉱はない。
タイトル最後の1941はちょうど世界的に炭鉱ブームだった年代である。




1966年10月22日イギリスの炭鉱町 アバーファンで起きた土砂崩れ事故
写真をクリックするとYouTubeで曲が聴けます。



New York Mining Disaster 1941(ニューヨーク炭鉱の悲劇)

         Barry Gibb - Robin Gibb (対訳:イエロードッグ)

In the event of something happening to me,  
there is something I would like you all to see.  
It's just a photograph of someone that I knew.  
私に身に万一のことがあった時のために 
あんたに見ておいてもらいたいものがあるんです
いやね、身内の写真なんですよ

Have you seen my wife, Mr. Jones?  
Do you know what it's like on the outside?  
Don't go talking too loud, you'll cause a landslide, Mr. Jones.  
ジョーンズさん、あんた私の妻をご存知でしたっけ?
外はどんな様子なんですかね?
あまり大声を出さないようにしなきゃ 
土砂崩れが起きますからね ジョーンズさん

I keep straining my ears to hear a sound.  
Maybe someone is digging underground,  
or have they given up and all gone home to bed,   
thinking those who once existed must be dead?   
何か聞こえないか耳を澄ましているんですよ 
誰か地下まで掘り進んでるかもしれないぞってね
それとも みんなあきらめて家に帰って寝ちまったのかな
生き埋めになった連中はどうせ死んじまってるだろうって




歌詞の中で気になったことがある。

ミスター・ジョーンズというのは誰のことなのだろう?



調べたところ「一緒に生き埋めになった同僚」という解釈がほとんどである。
しかし炭鉱夫が同僚をミスター・ジョーンズなどと呼ぶだろうか?

ミスター・ジョーンズは雇用側なのではないか。
この炭鉱夫は近くにいる同僚に語りかけているのではなく、その場にいない
会社のマネジメントの立場にある人に絶望的な思いをぶつけているのでは?


僕はそういう解釈で訳してみた。
Have you seen my wife?は同僚に妻を見かけなかったか尋ねてるのではなく、
ジョーンズ氏に「私にも大切な妻がいるんですよ」と言いたいのだと思う。



この曲の2年前(1965年)ボブ・ディランの「Ballad Of A Thin Man」(邦題
:やせっぽちのバラッド)(5)でもミスター・ジョーンズと歌われている。


Because something is happening here 
But you don't know what it is Do you, Mister Jones?
だってここじゃ何かが起こってるんだぜ
けど、あんたはそれが何だかわかっていないときた だろ?ジョーンズさん


このミスター・ジョーンズは「本質が分かっていない、見ようとしない体制
側にいる人間、あるいは体制そのもの」の代名詞だと言われている。(6)




1968年ビートルズのホワイト・アルバムに収録された「Yer Blues」(7)では
ジョン・レノンがこう歌っている。


I feel so suicidal just like Dylan's Mr.Jones 
自殺してしまいたい気分だよ ディランのミスター・ジョーンズみたいにね



ビージーズが「ニューヨーク炭鉱の悲劇」を歌った1967年は、アメリカを発端
に反体制を掲げた一大ムーヴメントが起こった時期である。(8)
そしてボブ・ディラン、PP&M、ジョン・セバスチャン、ジョーン・バエズ、
ピート・シーガーらのプロテストソングが大衆の心を捉えていた。


ビージーズのデビュー・シングルを美しいメロディーとハーモニーだけでなく、
社会的メッセージを込めた内容の歌にしたのは、こうした時代性を鑑みてのこと
ではないだろうか。

またイギリス、アメリカという市場を見据えた時、労働者階級にフレンドリーな
イメージ(9)の方が大衆に受け入れられる、というNEMSとポリドールの戦略だっ
た。。。。というのは考えすぎだろうか。


※タイトルは「ミスター・グッドバーを探して」(10)のもじりです。
次回もビージーズについて。


(1)「ニューヨーク炭鉱の悲劇」村上春樹著
「BRUTUS」1981年3月号に掲載された短編。
雑誌掲載時の挿画は佐々木マキ。村上氏は本作について次のように述べている。

「担当の編集者は当時この作品を掲載することを渋った。『ビージーズはおしゃれ
じゃない』というのがその理由であったと記憶している。まあそれはそうかもしれ
ないけれど、そんなこと言われても僕としてはとても困った。僕はこの曲の歌詞に
ひかれて、とにかく『ニューヨーク炭鉱の悲劇』という題の小説を書いてみたかっ
たのである。ビージーズが歌おうが、ベイ・シティー・ローラーズが歌おうが関係
ないのだ。人はおしゃれになるために小説を書いているわけではない・・・と思う」
(講談社刊 村上春樹全作品 1979~1989 第3巻  付録:自作を語る)

短編集「中国行きのスロウ・ボート」(1983年5月 中央公論社)に収録された。
表紙の絵は安西水丸。


(2)イギリス出身のグループ
ギブ兄弟は英国王室属領マン島に生まれ1950年に父の故郷マンチェスターに移る。
1958年父の仕事の都合でオーストラリアのクイーンズランド州に移住。
3人は人前で歌うようになり1960年にはラジオとテレビのレギュラー番組を持ち、
1963年にレコード・デビューし国民的人気を博す。
1966年にはオーストラリアで最優秀ボーカルグループに選ばれた。


(3)ロバート・スティグウッド
オーストラリア出身。イギリスに渡り音楽業界に入る。
ビージーズ、ザ・フー、クリーム、エリック・クラプトンで成功を収める。
豪腕マネージャー、プロデューサー 、興行主として名を馳せた。
ロックオペラ「トミー」、映画「サタデー・ナイト・フィーバー」をプロデュース。

ブライアン・エプスタインが経営するNEMSエンタープライズでビージーズのマネ
ジメントを担当した。
エプスタインがビージーズとの契約をスティグウッドに任せたのは同じオーストラ
リア人だったからだと思われる。
エプスタイン死後ロバート・スティグウッド・オーガナイゼーション(RSO)設立。
ビージーズはRSOに移籍した。
またポリドール傘下にRSOレコードも設立。
ロゴはザ・フーと来日した時に日本人の友人が土産にくれた赤べこをヒントにした。




(4)ウェールズ地方で起きた炭鉱の土砂崩れ事故
1966年10月22日イギリスの南ウェールズ地方のアバーファンという炭坑町で、ボタ
山が崩れ近くの小学校や住宅家屋の上に襲いかかり、学童、教師、住民が生き埋めに
なり172人が死亡するという大事故が起きた。

ニューヨークに置き換えたのは実際にある炭鉱では生々しすぎるから、設定をニュー
ヨークにすることでデビュー時のインパクトを出した、アメリカ市場で売るため、と
諸説ある。


(5)ボブ・ディランの「やせっぽちのバラッド」
1965年にリリースされたボブ・ディラン6作目のスタジオ・アルバム「追憶のハイウ
ェイ61」(Highway 61 Revisited)に収録されている。


(6)ミスター・ジョーンズ
ローリング・ストーンズのブライアン・ジョーンズへの警告という説もある。
リーダーであったブライアンはミック・ジャガーに主導権を握られ、ドラッグ中毒で
1968年に解雇されその後、自宅のプールで溺死体で発見される。
しかし1965年の時点ではブライアンはうまくやっていた。この説はこじつけだ。


(7)ビートルズの「Yer Blues」
1968年頃イギリスのポップス界ではブルースが流行。
ジョンは皮肉の意味を込めてこの曲を作ったという。歌詞は退廃的で暴力的。
険悪な関係になっていたポールが作る脳天気な曲へのアンチテーゼともとれる。
Yerはyourのスコットランド訛り。
曲中の「ディランのミスター・ジョーンズ」は「やせっぽちのバラッド」に登場する
「自分に起こる出来事が理解できない人物」であるが、ディランを皮肉っているとい
う説もある。


(8)反体制ムーヴメント
反体制はこの1967年にサンフランシスコで起こったたヒッピー・カルチャー、フラワ
ームーヴメント、サマー・オブ・ラブにつながり、1969年のウッドストック・フェス
ティバルでピークを迎える。


(9)労働者階級にフレンドリーなイメージ
ビートルズのデビュー時のノー・カラーのスーツはホテルのクラークなどサービス業
をイメージさせるが、これはマネージャーのブライアン・エプスタインのアイディア。
彼のことだからビージーズをアメリカ市場に売り込む際のイメージも考えたはずだ。
なにしろアメリカでの発売元アトコ・レコード(アトランティック・レコードの子会
社)は新人では異例の25万ドルという高額でビージーズと契約している。
是が非でも成功させなければならかったはずだ。


(10)「ミスター・グッドバーを探して」
原題:Looking for Mr. Goodbar。1977年のアメリカ映画。
美しい女教師が麻薬とセックスに溺れ身を滅ぼしていく様を描くジュディス・ロスナ
ーの小説の映画化。ダイアン・キートンが体当たりの演技で見せた。
監督・脚本はリチャード・ブルックス。
原作は1973年に起こったロズアン・クイン殺人事件をもと書かれた。

<参考資料: Wikipedia他>

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