2016年2月20日土曜日

スマイル・フォー・ミーの謎。

ビージーズがデビューした1967年。
日本ではグループ・サウンズ(1)が大流行していた。
そのほとんどがレコード会社と所属事務所の意向で王子さまキャラに仕立てられて、
乙女チックな歌謡ポップスを歌っていた。

しかしライブでは自分たちのヒット曲だけでなく洋楽もカバーすることが多かった。
ストーンズ、ヴァニラファッジ、ウォーカーブラザーズ、アニマルズなど。
持ち歌がまだ少ないせいもあるだろうし、ステージでは自分たちが好きな曲をやって
もいいという自由裁量の部分もあったと思う。


中でもビージーズのナンバーを得意としていたのがタイガースである。
「ニューヨーク炭鉱の悲劇」「ホリデイ」「ジョーク」など。(2)
加橋かつみのレパートリーで彼の繊細な高音はビージーズの曲との相性がよかった。


そんな背景からか、また同じポリドール・レコード所属という縁もあってか、集英
社の音楽雑誌ヤング・ミュージック1968年4月号の企画でビージーズとタイガース
のメンバー同士による電話対談が行われた。

これをきっかけにバリー・ギブ/モーリス・ギブによる書き下ろし曲をタイガース
がレコーディングする、というプロジェクトに発展する。



1969年5月29日ロンドンのポリドール・スタジオで「スマイル・フォー・ミー」と
「淋しい雨(Rain Falls On The Lonely)」(3)の2曲がレコーディングされた。
(すでに録音されたバッキング・トラックにヴォーカルとコーラスを入れるだけ)




↑写真をクリックするとタイガースの「スマイル・フォー・ミー」が聴けます。


「スマイル・フォー・ミー」は最後のヴァースで半音上がって転調するのだが、
リフレインされる「For Me」が沢田研二にはキーが高すぎた。
この時点でオケを録り直すわけにもいかない。

沢田研二より音域が高い加橋かつみはすでに脱退していた。
思わぬトラブルにスタッフもタイガースも途方にくれる。

たまたま渡辺美佐副社長と一緒にヨーロッパ旅行の途中ロンドンに立ち寄り、スタ
ジオに見学に来ていた中尾ミエに最後のリフレインだけ一緒に歌ってもらう、とい
う方法でなんとか処理した。(4)


そもそもなぜ歌い手の声域より高いキーで作曲してオケまで作ってしまったのか?


この曲は本当はビージーズを得意とする加橋かつみが歌うことになっていて、バリ
ー・ギブは加橋のキーに合わせて作曲したのではないだろうか?
そしてアレンジャーは加橋のキーに合わせて転調を施したのではないだろうか?


タイガースの録音とバリー・ギブが歌ったデモ・テープはキーが同じである。
バリー・ギブ版ではキーの転調もないし、最後の「For Me」の歌い回しも違う。
しかし、デモを聴くとますます加橋かつみのイメージに近いように思える。(5)

↑譜面をクリックするとバリー・ギブの「スマイル・フォー・ミー」が聴けます。
 (最初の方は音が悪くて聴きづらいです)



加橋かつみ失踪が1969年3月5日。(3日後には除名が発表された)(6)
ヤング・ミュージックの電話対談の時はまだ加橋かつみも在籍して、作曲について
かなり突っ込んだ質問している。

ギブ兄弟に曲の提供を依頼した段階で彼はまだいたはずだ。
ビージーズを得意とする自分が歌いたいと主張もしていたとしてもおかしくない。

さらに深読みすると、一年前から脱退を口にしていた加橋への懐柔策(7)の一つと
して「スマイル・フォー・ミー」を彼に歌わせようと用意していたとも思える。



タイガース通算10作目のシングル「スマイル・フォー・ミー」は1969年7月25日に
発売され、ビージーズからプレゼントされた曲でロンドン録音という話題性もあり、
オリコン3位を記録するヒットになった。

その直前の1969年7月12日にタイガース主演映画3作目「ハーイ!ロンドン」(東宝)
が公開された。
5月29日からのロンドン滞在は「スマイル・フォー・ミー」のレコーディングとこの
映画のロケを兼ねてのものだった。





前宣伝では「タイガースとビージーズが共演」ということだった。
となると映画では両者が一緒に演奏しているシーンが見られるかもしれない、レコ
ーディングにバリー・ギブが立ち会うなんていうシーンもあるかもしれない。
期待は高まる。

しかし実際は沢田研二がバリー・ギブを訪ねて行き握手する、という5秒くらいの
カットが入っているだけであった。
おまけに映画はつまらなかった(と僕は思った)
同時上映の「ニュージーランドの若大将」(8)の方がまだましだった。



タイガースは1971年1月に日本武道館のコンサートをもって解散した。
ビージーズは1972年3月に初来日。渋谷公会堂、日本武道館でコンサートを行う。(9)

ロビン・ギブが電話対談で沢田研二に約束した「もし日本に行けたら一緒の舞台で
共演しよう」は実現しなかった。


加橋かつみがタイガース在籍時にレパートリーにしていた「ホリデイ」「ジョーク」
は代わりに入った岸辺シローが歌っていた。
沢田研二はタイガース解散後に結成したPYGのライブで初めてビージーズのカバー
「トゥ・ラヴ・サムバディ」を歌う(10)ことになる。

(1)グループ・サウンズ
エレキギターを中心に編成され演奏し歌うグループ。和製英語。略称GS。
従来の歌手(用意されたビッグバンドやオーケストラをバックに歌うのが常だった)
やベンチャーズのようなエレキギターによる演奏だけのバンドと区別するために
グループ・サウンズと呼ばれた。
1967年初夏より1969年春にかけて日本で大流行した。


(2)加橋かつみが歌うビージーズの曲
村井邦彦は加橋かつみが歌う「ホリディ」を聴き「花の首飾り」を作曲した。


(3)「淋しい雨(Rain Falls On The Lonely)」
この曲はビージーズとは無関係の作品。
イギリスの音楽出版社の管理楽曲。公式レコーディングされたのは初めて。
しかしビージーズが書いても良さそうな曲でなかなかいい。
沢田研二の声質にも合っていた。タイガース・ファンには人気の曲である。
イギリス盤は「淋しい雨」がA面「スマイル・フォー・ミー」がB面扱いだった。


(4)中尾ミエが歌う最後のリフレイン
新メンバーの岸辺シローにも高くて無理だったのだろうか?
それともまだ歌唱力に難があったのか?
確かにレコードでは沢田以外の誰か?が一緒に歌っているのが聴こえる。


(5)バリー・ギブのデモ・テープ
タイガースへの書き下ろしということになっているが、英国の歌手マット・モンロ
ーのために作ったものの発売されずお蔵入りになっていた曲である。
このテープがマット・モンローに用意されたものを流用したのか、タイガース用に
新たに録音されたのかは分からない。


(6)加橋かつみ脱退事件。
自発的な失踪と発表されたが、渡辺プロ主導の脱退劇だった。
加橋が抜けることでタイガースの人気が落ちることを恐れた渡辺プロは、加橋の
踪でプロダクションと残りのメンバーが被害者であるが如くふるまい、体裁を繕お
うとした。

3月5日に渋谷の斉藤楽器でのレッスン中に加橋が突然いなくなり、8日になっても
何の連絡もない、四方八方手を尽くしたが行方が分からないというシナリオで、
8日には「加橋除名」の記者会見が開かれた。
後任は岸部シローに決定しており、彼がアメリカから帰国するのを待ち15日にシロ
ー加入の記者会見を行う、というあっという間の新生タイガースが誕生だった。

当時沈痛な面持ちの4人のメンバーがのコメントがトップ記事になり、ラジオで4人
が「トッポ、どこにいるんだ?帰ってこいよ」と呼びかけたのも茶番劇であった。
失踪報道が流された頃、加橋は母親と共に事実上ホテルに拘束され外部に連絡を
取ることを許さなかったのである。


(7)加橋かつみの脱退意向と懐柔策
タイガースの中でも一番アーティスト志向だった加橋はアイドル的な存在に疑問を
持ち、与えられた仕事を従順にこなす沢田研二とは対立することが多かった。
また沢田研二とバックバンドに仕立てようとする渡辺プロにも不満を示していた。
渡辺美佐副社長は沢田に惚れ込んでいて他のメンバーには興味がなかった。
飯倉キャンティで挨拶した加橋に「あなた誰?」と言ったという逸話がある。
それもデビュー仕立てではなく「花の首飾り」ヒット後の話である。

アルバム「ヒューマン・ルネッサンス」はアーティスト志向の加橋の意向を反映し
たものであり、加橋がボーカルをとる「廃虚の鳩」も彼を立てたものらしい。


(8)ニュージーランドの若大将
加山雄三主演の若大将シリーズの第14弾。東宝製作。1969年7月公開。
ニュージーランド・オーストラリアでロケされた。
前作の「フレッシュマン若大将」同様、若大将はサラリーマンという設定である。
若大将の相手役は前作より星由里子演じる澄子から酒井和歌子の節子になった。


(9)ビージーズの初来日公演
1972年3月24日の日本武道館がテレビ放映されたことでファン層が広がった。


(10)沢田研二が歌う「トゥ・ラヴ・サムバディ」
FREE WITH PYG(田園コロシアム ライブ 1971年11月リリース)に収録された。 

 (参考資料:ザ・タイガースの真相、Bee Gees Days、Wikipedia他)

2 件のコメント:

Provia さんのコメント...

こんにちは。
興味深い話ですね。

確かにイエロードッグさんが言われるような感じだったのかも
しれませんね。

マネージャーの中井さんとお会いした時などにもっと
詳しくいろいろな話を聞けば良かったと思います。

蛇足ながら「トゥ・ラヴ・サムバディ」はタイガース時代にも
歌ってますよ。
なかなか良い演奏です。

個人的にはトッポが抜けたあとのタイガースには興味が無くなって
しまい、そういう事もあったのか「スマイル・フォー・ミー」には
とても淋しい印象が残ってます。

イエロードッグ さんのコメント...

>Proviaさん

コメントをありがとうございます。
「スマイル・フォー・ミー」はトッポがボーカルという前提で話が進んでいたの
が渡辺プロの意向でジュリーに変更、それが決定打でトッポは脱退を決意した、
というストーリーもあり得ると思うんですが。。。。
真相はどうなんでしょうね?
中井マネージャーのお話を聞いてみたい気がします。

確か「スマイル・フォー・ミー」の少し前に「嘆き」をレコーディングしていて、
トッポの声が入ったコーラス部をシローで録り直していますよね。
B面の「風は知らない」はトッポのハモりのままでしたが。
僕もトッポのいないタイガースは一気に魅力が失せ「スマイル・フォー・ミー」
と「嘆き」の後は聴かなくなりました。

「トゥ・ラヴ・サムバディ」はタイガース時代も歌ってたんですか。
ジュリーの声質もビージーズにはよくマッチしていたと思います。